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人類の歴史上つねに存在してきた所得格差は、20世紀の先進国で驚くほど縮小した。
自由主義や資本主義に基づく経済成長と、民主的な福祉国家による所得再配分によって、社会全体が共に豊かになるという理想が、一時は実現するかに見えていたのだ。
だが以前ピケティの著書『21世紀の資本』で広く知られたように、経済成長の鈍化・停滞や新自由主義を背景に、21世紀に入る頃から格差は再拡大しつつある。
今までの先達の努力は何だったのか。彼らの敷いてきた路線をどう継承すべきか。このままでは世界はどんな様相を呈するか。あるいは再び過去に逆戻りか。
このように私たちは経済史上の現在地を測り直し、将来像を描き直す必要にいま迫られている。
前近代から続く格差が縮小し始めたのは第一次大戦(1914~18年)終結後である。つまり大戦前夜、19世紀末から20世紀初頭の「世紀転換期」や「世紀末」は、まさに格差の時代の最終章だった。
この時の格差社会を象徴するのがヨーロッパの大都市で花開いた文化芸術であろう。例えばウィーンでは、クリムトやマーラー、フロイトやシュニッツラーといった学芸の巨人が活動したのはよく知られている。
では、こうした文化を生んだウィーンの上流社会の経済的基盤とはどんなものか。そもそもなぜ当時のウィーンでこうした社会が形成され得たのか。
この、かつてほとんど論じられかった問題に正面から取り組んだのが、オーストリアを代表する経済史家ロマン・ザントグルーバー(1947年~)の著書『Reich sein: Das Mondäne Wien um 1910(富裕であること : 1910年のウィーン上流社会)』である。
当時のウィーンはハプスブルク君主国、つまりオーストリア帝国やハンガリー王国など、ハプスブルク家が一手に治める国家・諸地域の中心であった。
この君主国では社会経済の近代化が19世紀半ばに少しずつ進み、世紀後半に様々な大企業が生まれ、経済成長を実現させた。その経営者がまさにウィーンの富裕層だった。
また大貴族は、封建領主制の廃止以降は大地主として農林業や不動産業からの莫大な収益を得続け、その一部はウィーンに主居住地を置いていた。
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