アステイオン

サントリー学芸賞

『サントリー学芸賞選評集』受賞者特別寄稿vol.1 学芸のコミュニティ

2020年04月24日(金)
飯尾 潤(政策研究大学院大学教授)

SUNTORY FOUNDATION

講演などで受賞歴を読み上げられる際に、誤って、サントリー「文芸賞」と紹介されることがある。学芸という言葉になじみがないことを感じて、少し残念な気分になる。

この「学芸」は、おそらく西洋の学問でいうリベラル・アーツ(自由学芸あるいは教養)を指しているものと思われる。広い意味での知識人であれば、誰もがそれなりに理解しておくべき事柄が、学芸と呼ばれる。そこで優れた専門書であっても、分野外の読者には分からないという書物は、学芸賞の対象から外れる傾向にあるようだ。いわば、読書人が読んで楽しい本が選ばれているのである。その年の受賞作が発表されると、専門外の本であっても、いくつかを読んでみたいと思うのは、筆者だけではないだろう。

ただ、学問の進歩は、より高度な研究技法への関心を高め、専門分化を前提にした精緻な研究業績を評価する傾向を持っている。そこで、最新の研究成果が、読んで分かるものだけでなくなってくる。だからといって、学問ごとの基準で、この賞を出すのは、適切でもないだろう。学芸の意味を考えれば、高度に専門化したなかで得られた知識を、より広い世界で理解されるものへと変換した著作が望ましいからである。むしろ、専門を超えた活動のきっかけとして、この賞は機能すべきではないか。

サントリー学芸賞は、特定の著作を対象に選定されているが、その著者を顕彰するという意味も強い。時に見られる「何々を中心として」という選考理由は、著者の研究活動を選ぶということを示唆するものであろう。若手から中堅といった世代の研究者を対象とするのも、賞を贈ることによって、その活動を励まし、さらに広い舞台に立ってもらおうという期待があるものと推測される。いわば、学芸のサークルに新たな仲間を呼び込もうという仕掛けである。サントリー文化財団のさまざまな研究プロジェクトで、過去の受賞者が活躍しているのも、その現れであろう。

ただ、受賞者の交流の場が、プロジェクトの参加に限られるのは惜しい気がする。目的のあるプロジェクトだと、参加者の広がりが抑えられるからである。たとえばイギリスの古い大学で、ディナーの席に列席して専門外の学者と会話を交わすことが、学術活動の重要な一環と考えられているように、専門を超えた研究者の交流は、学問の発展に大きな意味を持つ。そこに酒食が加わるのも、くつろいだ雰囲気を与える。ところが、現実には、日本の大学は、ますます世知辛くなり、目的のない知的会話や、研究者のくつろいだ交流の機会は減るどころか、敵視される傾向さえある。

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