「芋粥」は、芥川の短編のなかで、わたしがもっとも好きな作品だ。「王朝もの」といわれている作品群のひとつで、宇治拾遺物語に題材を得ている。

平安時代、風采のあがらない貧乏侍「 五位(ごゐ)」がいた。上司にも同僚にも、子供にさえ馬鹿にされる、うだつのあがらない男。自分の酒瓶の中身を飲まれて、そのあとへ小便を入れられるという、たちの悪いいじめも受ける。

しかしそんなときでも、この男は怒りを見せない。怒ることができない。

彼は笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔をして、「いけぬのう、お身(み)たちは。」と云ふ。
 
 ──芥川龍之介「芋粥」

うだつのあがらない男の発する、なにげないこの言葉を耳にして、ふと、ある若侍が電撃に撃たれる。深く、感じ入る。自らを恥じる。

所が、或日何かの折に、「いけぬのう、お身たちは」と云ふ声を聞いてからは、どうしても、それが頭を離れない。それ以来、この男の眼にだけは、五位が全く別人として、映るやうになつた。営養の不足した、血色の悪い、間のぬけた五位の顔にも、世間の迫害にべそを掻いた、「人間」が覗いてゐるからである。この無位の侍には、五位の事を考へる度に、世の中のすべてが、急に、本来の下等さを露(あらは)すやうに思はれた。
 
 ──同前

弱き者、小さくされた者、世間の迫害にべそをかいた人間。なぜか子供のころから、わたしの眼にも、それら「五位」たちの姿が映りやすかった。その声が耳を離れがたかった。彼ら彼女らに、大きな過ちを犯さずに生きていきたい。「マッチョ」で、無意識に人を傷つけやすいわたしに、多少なりとも歯止めがかかっているならば、それはこの作品のおかげだ。

つねづね、どこかで読んだことのある話だとは思っていた。ある日、ゴーゴリの『外套』に似たような筋があることに気づいた。どうやら英訳本でゴーゴリも読んでいたらしい。親友である作家・久米正雄に、そういう証言がある。

芥川の速読は、希代の名作も生んだ。速読は、人を救うことがある。

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  物語の筋とは関係のない、なんということのない一節だが、わたしはこの一節から離れられなかった。救われた。