1976年3月。アルゼンチンで軍事クーデターが起こり、7年もの間、この国で史上最悪と言われる軍事独裁政権が敷かれました。「汚い戦争」と称されるその歴史から、今年で45年目となります。
社会主義、共産主義の排除、左派的思想の弾圧を目的とした政策により、多くの人々が拉致され、拷問・殺害されました。
強制失踪による死者、行方不明者は推計3万人を超えると言われています。
現在では、クーデターが起こった日が「真実と正義の記念日」という祝日に制定されています。毎年大きなデモ運動があるほか、街中に「Nunca mas」=二度と繰り返さない、という文字が書かれた白いハンカチが家のベランダや公園の木などにくくりつけられます。
(前回の記事では「緑のハンカチ」について書きましたが、この国では大きな抗議運動のシンボルにハンカチが用いられます。路上や街のキオスコなどで売られるカラフルなハンカチは、その一色ずつに意味があります。)
そして今年は、コロナ禍により例年のようなデモが出来ないということで、その代わりに木や植物を植えて、#plantamosmemoria のハッシュタグを付けてSNSなどに投稿しようという運動が行われました。
この運動に参加した人々は公式サイトによるとおよそ4万人を超えるとのこと。
大統領もこの日、例年のデモ運動の中心的存在である人権団体を訪れ、一緒に木を植えている映像がシェアされました。
A 45 años del hecho más trágico de nuestra historia reciente, el sábado junto a mi querida Taty Almeida me sumé a la campaña de @abuelasdifusion y los organismos para plantar un árbol por los 30.000.
-- Alberto Fernández (@alferdez) March 24, 2021
La memoria, la verdad y la justicia son políticas de Estado.#PlantamosMemoria pic.twitter.com/M2jARMjduM
私の周りでも、特に小さな子供がいる家庭などで、子供と一緒に木を植えている写真がSNSで沢山見かけられました。
2度と繰り返してはいけない、ということが若い世代にも語り継がれています。
当時犠牲になったのは過激な活動家や新聞記者たちだけではありません。
私の友人の中にも、前政権側の国営の企業に勤めていたから、という理由で不在時に軍に家の中を荒らされていた(もしも在宅であったら拉致されていたであろう)という話や、家族や親族が拉致されて行方不明、という事も身近にある話です。
また国内一のエリート校である国立ブエノスアイレス高校では、未来に脅威となる存在を育成していると見なされ、108人もの優秀な若い学生たちが強制連行され帰らぬ人となりました。
特に卑劣であったのは、反体制派の妊婦は軍の施設で赤ん坊が生まれるとすぐに殺害され、生まれた子は政府関係者の家庭や親族に引き渡されていたことです。そして強制連行された人々は軍の飛行機に乗せられ、生きたまま空の上から海に突き落とす、通称「死のフライト」などの方法がとられていました。
これらの歴史については、後に映画など、事実を基にした作品が数多く残されています。
そしてその子供を奪われた家族が集まって抗議しているのが、先程シェアをした動画の団体、「五月広場の母・祖母たち」。未だに多くの人々が当時軍の施設の中で生まれた子供、孫の行方を探し続けています。
これまでに130人の本当の身元が判明していますが、真実を知らずに暮らしている人たちが未だ300人近くいると予測されています。
少しでも自分の出生に疑問がある人のためにDNA鑑定などが行われており、自分のアイデンティティーを求めて足跡をたどっているのです。

(Adriana Lestido - Public domain)
この日とは別で、10月22日には、この団体へ敬意を捧げる「アイデンティティーの権利の日」が国として制定されており、この日のSNSには #LaBusquedaSigue (捜索は続いています) のハッシュタグと共に、手のひらに自分の名前を書いた写真の投稿で溢れます。そこには、自分の出生が明らかであることに感謝をし、またこの歴史はまだ終わっていません、というメッセージが込められています。
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この時代に活動していたアーティストたちにとっても厳しい時代であり、政府による検閲、脅迫などにより、国内での芸術活動の幅は大きく縮小しました。
少しでも体制や資本主義に疑問を抱かせるような内容の作品は削除され、そういった作品を発表している人々はブラックリストに載っていたそうです。
実際に亡命したアーティストも少なくありません。
アルゼンチン・フォルクローレの代表的な歌手、メルセデス・ソーサは当時共産党員だったため、自国で活動することが困難となり、一時期拠点をフランスに移しています。
当時混沌としていた社会への不満を歌にしていたロックバンドなども多く、検閲やコンサートの妨害、さらには日常の行動にも目を付けられていました。男性で髪が長いという理由だけで交番へ連行され数日間拘留される、ということが日常茶飯事の時代でした。

(Mercedes Sosa, serie Grandes Artístas ジャケット)
一時はアストル・ピアソラに次ぐ世代の代表として活躍し、現在も現役で活動するアルゼンチン人バンドネオン奏者、ファン・ホセ・モサリーニ氏もそのうちの一人。
彼が所属していた音楽家の組合はいつも政府から脅迫にあっていました。左派団体が主催する音楽イベントに出演した際、演奏中に軍が乗り込み死者も出た銃撃戦を経験したことなどから、亡命を決めたと言います。
ラジオ局との専属契約も、「グループ内にいたメンバーが髭を生やしていた、という理由で解雇された」とも語っています。
今ではそのままフランスを拠点にし、年に1、2度、重要なコンサートがあるたびにアルゼンチンに戻り演奏をしていますが、演奏の合間のMCでは毎回のように、
「アルゼンチンにこうして戻ることができて、演奏することができてとても嬉しく思う、自分は国を出てしまった人間であるが、受け入れてくれてありがとう。」と語られます。その言葉はずっしりと重く、会場の空気も一瞬変わります。
他にも、フランスに亡命したギタリスト・歌手である、タタ・セドロンの亡命についてのエピソードは、ドキュメンタリー映画にもなっています。(「Tata Cedron」という映画で、cine.arというアルゼンチンの映画配信サイトから無料で見ることができます。)
これらのことが起きたのが45年前。
この日の夜の大統領府では、白いハンカチのシンボルを用いたプロジェクション・マッピングも行われるなど、国としても2度と繰り返さない、という強い意志が感じられます。
コロナ禍であってもこの国にとってとても大切な一日であることは変わりませんでした。
次回の記事では、この時代にブラックリストに載りながらも亡命せずに活動し続けた国民的ロックスターと、その作品に焦点を当ててみたいと思います。