ブラジル大統領選挙決選前日、私はとあるバーの店主の誕生日会に顔を出した。
バーの経営陣の1人がレズビアンということもあり、ここに集まる人たちの多くは同性愛者かそれに反しない人たちで、みんな周りの目を気にすることもなく生演奏に合わせて踊っていた。

誰も大統領選挙に関する話はしていなかったが、客も店員もルーラ元大統領の顔写真が入ったステッカーを胸に張っていた。
選挙前日でもここに緊張ムードが一切なかったのは、政治思考による暴力事件が増える度にそれを恐れて両者の支持者同士の距離が遠くなっているからであろう。おそらく同じようにボウソナロ派が集まるバーも存在し、そこにルーラ派はいないはずだ。

|選挙当日も検問やフェイクニュースで大騒ぎ

選挙当日、サンパウロ市は公共交通機関を無料開放。心配だった雨も降らず、寒くも暑くもない絶好のお出かけ日和だった。
昼過ぎ、ルーラ優勢のブラジル北東部にて「選挙会場に向かうバスに対して連邦道路警察が不当な検問をしている」と当事者が訴える様子がSNSで流れはじめた。それに対し「北東部の人々に投票させろ」と抗議が殺到したが、最高裁は「影響はない」と判断し選挙は時間通りに終了。一時はこれに関するフェイクニュースも流れ、SNSは混乱状態だった。

17時に投票が締め切ると、早速開票作業が始まった。
ブラジルの選挙は電子投票システムを導入しているため、あっと言う間に結果が決まる。

開票当初はボウソナロ現大統領がリードしていたが、18時44分、周りのアパートから「わーー!!」「きゃーー!!」と大歓声が聞こえてきた。 ふとテレビを見ると、ルーラ氏が逆転した瞬間だった。 そして20時前には選挙高裁がルーラ当選を発表。
結果はルーラ 50,9%、ボウソナロ 49,1%と僅差だった。

|ボウソナロ氏、44時間の沈黙

ボウソナロ大統領は兼ねてから電子投票を批判しており、自分が再選しなかった際は支持者と共に軍事クーデターを起こすのでは?と噂までされていたが、ルーラ当選確定から44時間、会見もSNSの更新も一切行わなった。

これを不審に思った国民は、選挙後に大統領とミシェリ夫人がお互いのSNSのフォローを外したことを指摘し「仮面夫婦」だったのでは話題になり始めたところで夫人がインスタグラムを更新。 「以前からも申し上げていますが、私たちのアカウントは第三者が管理しております。私たちの夫婦仲に変わりはありません」と書いたが、選挙結果については一切触れなかった。
このミシェリ夫人は非常に熱心な福音派の信者で、ボウソナロ氏と結婚する前は国会議員の秘書を務めた経験もある。実は陰で"夫のサポート"をしていた夫人に憧れる女性も多いようだ。

この翌日、ようやくボウソナロ氏は会見を開くと発表。 大幅に遅刻した後、まずは自分に投票した国民に感謝の意を述べた。
ルーラ当選に関する言葉は一切なかったが、憲法に従うと発言し、事実上、政権交代を認めたと捉えられている。

|選挙後、トラック運転手らによるストライキと街中

沈黙していた現大統領とは対照的に、トラック運転手らは選挙翌日から高速道路をふさぎ大規模なストライキを起こしている。 もちろん、全てのトラック運転手がボウソナロ派という訳ではないが、これまでにトラック運転手向けの援助をしてきたことも支持と関係しているだろう。
またトラック業界は男性が多く、男尊女卑でボウソナロ氏の思想と重なる部分が多い事も政治学者が指摘している。

このストライキによって燃料や食料の物流、バスや飛行機にも影響が出始めるが、軍警察も介入しきれず。終いには強烈なサポーターが多い事で有名な名門サッカーチーム「コリンチャンス」の応援団が試合観戦に向かうためにトラック運転手たちのストライキを解散させる事態となった。今現在も一部ストライキは続いているが、さすがにボウソナロ大統領も「平和的デモなら大歓迎だ」とこのストライキを批判している。

一方で、街中は意外と落ち着いているように感じる。
私も自宅の周りである東洋人街や旧市街を歩いているが、今のところ暴動が起こっている所はみていない。 レストランやバーに入ると「ルーラが!」「ボウソナロが!」なんて会話をしているのがよく聞こえてくるが、これは日常的な風景だ。こんな風に国が大きく揺れる大統領選挙が4年に1度必ずやってくるブラジルの国民たちは、ある意味慣れっ子なのだろうか。

|大統領選後も選挙運動ソングが国内チャート独占中

ルーラ氏は当選後、同日中にサンパウロ大通りに集まった支持者の前で勝利宣言。 二極化しているブラジル国民に対し、「自分に投票した人だけでなく全てのブラジル人のために政治を行う」と発言した。

選挙から5日が経とうとしているが、今回非常に盛り上がった選挙運動ソングが今でもスポティファイの国内チャートを独占している。 15位までの中に、ルーラ支持楽曲が9曲、ボウソナロ支持楽曲が4曲がチャート入りと驚きの結果だ。

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赤丸=ルーラ支持、青丸=ボウソナロ支持の楽曲(11月5日付Spotfy画面キャプチャ)

1位となった「Tá na hora do Jair já ir embora(ジャイールが去る時間がやってきた)」は決戦の前から急な盛り上がりを見せた。
選挙のための公式コマーシャルソングについては以前にも記事を書いているが、候補者公式ではない曲がここまで大盛り上がりしているのは、楽曲の歌詞がルーラや労働者党を支持するものではなく、ボウソナロ現大統領に反対する内容だということも関係しているだろう。

歌詞では大統領の名前ジャイールと「もうじき去る」という語句「ジャ イール(エンボーラ)」をかけことばにしているあたりがブラジル人らしいユーモアを感じられる。
一回目の選挙で3番手となったシモーニ・テベッチ氏は落選後、ルーラ氏の応援に回り選挙カーでこの楽曲に合わせて元気よく宣伝する姿が印象的だった。

この曲を歌っているのはジュリアーノ・マデラーダ、チアゴ・ドイダォンというブラジル北東部で活動するミュージシャンだ。
ジュリアーノは元数学教師。音楽で生計を立てられるようになってから教師を辞め、北東部で近年大流行している音楽アホシャを演奏していた。2011年にも一度ルーラ賛歌を収録しているが、パンデミック中、ショーがなくなった時に今回の大統領選を応援する楽曲をリリースすることを思いついたそうだ。

チアゴを誘い収録したこの曲は、どでかいスピーカーを積んだ車で流すのにぴったりで、支持者は飛び跳ねながら熱唱した。
歌詞はともかく、エネルギーあふれるリズムにはブラジル音楽の宝庫である北東部の勢いを感じる。それは実際に大統領選の結果にも表れており、ルーラ氏は北東部で圧倒的な支持を受けた事が勝因になったといっても過言ではない。

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|なぜここまで政治運動ソングが受け入れられるのか

このようにブラジル人が選挙運動ソングに拒否反応を示さないのは、軍事政権下においてプロテストソングが大流行したことも関係している。現大統領を批判する楽曲が国内チャートで1位になるとは、日本では考えられないことだろう。

サンバが人々の日常を歌ったことで流行したことからも示されるように、大衆は常に自分たちの現実と重ねられる楽曲が好きになる。そして上位中産階級の間でボサノヴァが誕生したのだが、軍事政権になってから国民の心をつかんだのはプロテストソングだった。 当時は軍部の検閲が厳しかったため、作詞家は思考を凝らして二重の意味を持たせた。

中でも「明日は違う日がやってくる!」と民主主義を訴えたシコ・ブアルキの「Apesar de você」は強いインパクトを与え、1978年の作品にも関わらず民主主義を訴える際に今でも歌われる。今回の大統領選でもルーラ氏の勝利宣言にてこの楽曲が流れ、国内チャートでも22位にランクインしている。

シコ・ブアルキだけでなく、ミルトン・ナシメントやカエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジルなどMPB(ブラジルポピュラー音楽)を代表するアーティストたちは、当時政治的なメッセージを送り、ブラジル人は今でもそれらの楽曲を歴史のひとつとして違和感なく聴くことができるのである。

ただし、今回のような他候補者をあからさまに否定するような楽曲がここまで人気になったのは初めてだろう。

|スポーツ、環境問題、世界が注目するブラジルへ

今日も各地でボウソナロ支持者によるデモが行われているが、そんな中、東京オリンピックで体操金メダルに輝いたへベッカ・アンドラーデ選手が世界体操にてブラジル人初の優勝を果たしたというおめでたいニュースが入ってきた。
へベッカはその実力はもちろん、ブラジルのリオデジャネイロで生まれたファンキ・カリオカというアンダーグラウンドの音楽を床の演目に使用したことでも大注目された。 今月にはワールドカップが開催される。

近年ボウソナロ派の象徴となっていたセレソン(ブラジル代表)のユニフォームが国民全員のものとなり、それを着て応援する時がやってきた。ブラジル代表には大きなプレッシャーだろうが、ここで良い結果を出してブラジルを盛り上げてほしい。

また、ルーラ氏が当選したことで世界的にはアマゾン森林破壊問題に対する期待が高まっている。 今回、熱心にルーラ氏の隣で選挙運動に参加していた環境活動家で政治家のマリーナ・シルヴァ氏が環境大臣の候補に挙がっている。同氏は2003年~2008年までルーラ政権で環境大臣を務め、国際的にも評価を受けている。

喜ばしいニュースが続き、少しでもブラジルの二極化を緩和させてくれないだろうか、と願うばかりだ。

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