「オリンピック観た?」
久しぶりに連絡をくれた音楽院時代の友人から、そう質問をされた。
私は普段からテレビを観ないため、ネットでハイライト放送を観た程度で終わってしまったのだが、ニュースやTwitterでブラジル勢の活躍と共に面白い話題が流れてきたことを思い出した。
ヘベッカ・アンドラーデ、東京で"バイリ・デ・ファベーラ"
このニュースの見出しは、おそらくブラジル人かブラジル音楽好きにしかわからない内容だと思うが、ヘベッカがメダル獲得した朗報はもちろん、床の演目で使用した"バイリ・デ・ファベーラ"の選曲はブラジル人にも意外だったようで話題となった。
曲の前に、少しヘベッカについてお話ししたい。
|女性体操でオリンピックメダリストになった初のアフリカ系ブラジル人
ヘベッカ・アンドラーデ(日本のニュースではレベッカと表記されているが、現地でReは"へ"の発音となるため、ここではヘベッカと表記する)は、1999年5月8日、サンパウロ市郊外のグァルーリョスで生まれた。
バスもしくは電車だと1時間程度のサンパウロ中心部に面した街で、国際空港があることでしられている。
ヘベッカはシングルマザーであるホーザと8人兄弟の家庭で育った。
ホーザは子供たちを養うためにレストランなどで必死に働いたが、不安定な収入から家族は何度も引っ越しせざるを得なかったそうだ。
ヘベッカは幼い頃から活発で、ホーザの姉妹が子供たちを体操教室のテストに連れって行った際、その才能を見せつける。
ヘベッカの動きをみて、先生たちはダイアニーニャと名付けた。これは同じくアフリカ系ブラジル人の体操選手で、数多くのタイトルを獲得したダイアナ・ドス・サントスから取った"小さなダイアナちゃん"を意味している(ダイアナは現役時代惜しくもオリンピックではメダルを逃しており、ヘベッカの朗報に「アフリカ系ブラジル人として嬉しい」とスポーツ番組で涙ながらに称した)。
娘の才能を信じ、ホーザはヘベッカを体操教室に通わせることにし、就業先からもらう交通費手当を教室へ通うバス代に充てた。
しかし、手当を生活費に回さなければならなくなり、当時13歳だった長男のエメルソンは4歳のヘベッカの手を引いて片道1時間半かかる道のりを歩くことになる。
エメルソンは妹の稽古が終わったら、彼女を学校に送り届け、自分の授業に向かった。食事はその合間に素早く済ませた。
ある日、エメルソンは鉄回収場にて壊れた自転車をみつける。
早速回収場の主人に相談してみると、集めた空き缶と交換してもらうことができた。それからは空き缶を集め続けて自転車の部品と交換し、見事に自転車を組み立てヘベッカの送迎に使った。
|生きる上で大切なことは家庭で覚えた
大会には寄付を募りながら参加し、家族の支えと本人の強い意志と努力が結果に現れ始める。
今では父親的存在とも言われるコーチのフランシスコ・ポラーチに招かれ、サンパウロから遠く離れたクリチバで体操に専念することになった。
当時9歳だった娘に母は、「いってらっしゃい。次に戻ってくるときは金メダルを持って帰ってきてね」と冗談を言いながらも、娘の決意を主張し、羽ばたくのを見守った。
のちにBANDニュースにて「母の愛は時々利己的になってしまうもの。それでも娘にとって一番良い選択をさせてあげたい」と当時を振り返った。 娘も別日に行われた同番組インタビューにて「母はとても勇気のある人。私や兄弟に対しても、自分が一番良いと思う道へ歩けるように支えてくれた。生きる上で大切なことは家庭で覚えた」と話した。
ヘベッカの選手としての道のりも険しいもので、これまでに三度の手術を行い体操を辞めることも考えたそうだが、家族とコーチに励まされながら、東京オリンピックの切符を手にすることができた。
振付師であるホニー・フェヘイラは2016年の大会からビヨンセの楽曲を選んでおり、今回いきなりファンキ・カリオカという路線変更にヘベッカは少し驚いたそうだが、「この曲の方が私っぽい!ブラジルっぽくて良い!」と練習するうちに惹かれていったと話す。
大会で使われた音源はファンキ・カリオカというブラジルのポピュラー音楽と、クラシックの名曲をミックスしたものだ。
冒頭に流れる有名なバッハのトッカータとフーガから、まさかファンキのヒット曲"バイリ・デ・ファベーラ"(スラムのパーティー)が流れるとは、視聴者も想像していなかったのだろう。
そのため、SNSでは「ヘベッカが東京でバイリ・デ・ファベーラを舞う!」と話題になり、翌日にも大々的なニュースになった。
では、なぜそんなに"バイリ・デ・ファベーラ"のニュースが人々を興奮させたのか考えてみたい。
=====
|究極のパーティー音楽"ファンキ・カリオカ"の誕生
その始まりは1970年代のリオデジャネイロにあった。
社交場には生演奏が付き物だったブラジルにて、レコードの登場でDJがパーティーに呼ばれるようになり、元大学の地理教師だったが大の音楽好きが高じてラジオ局のDJに転職したビッグボーイことニウトン・アウヴァレンガが、ボタフォゴにあったシュハスコレストラン"カネカォン"でDJを始めた所、大盛況。
ビッグボーイはジェームズ・ブラウンからビートルズまで非ポルトガル語のロックやソウル、アメリカのファンクをかけまくり、その流行は飛び火していった。
しばらくしてアメリカのヒップホップがブラジルに届くと、マイアミスタイルはリオで、ニューヨークスタイルはサンパウロで定着した。
その後、リオのパーティーでは、アメリカでマイアミビートと名付けられたビートの上にポルトガル語の歌詞を付けて歌われるようになった。
ファンキ・カリオカ史の中心人物の一人、DJマルボロは「パーティーではこのマイアミスタイルのヒップホップが中心となったが、それまでアメリカのファンクをかけていたという流れで、この音楽がそのままファンキと呼ばれるようになってしまった」とインタビューで話している。
ファンキ・カリオカ(カリオカはリオっ子の呼称)はこうして生まれたのだ。
ちなみに何故ファンクではなくファンキかと言うと、ポルトガル語でFunkはファンキと発音するからである(同じようにFacebookもフェイスブッキと呼ばれる)。
ファンキの歌詞は、初めは自分たちのコミュニティ(貧困層が住む地区)やグループ単位で「俺たちが一番だ!」と叫ぶようなスタイルが主流だった。
ビートのサンプルに和音が付いていなかったため、誰でも気軽にメロディを考えて歌うことができたのが特徴である。中にはドレミにできない程音痴な人もいたが、そんなことは重要ではなかった。
やがてコミュニティ/グループ賛歌を歌うファンキパーティーはエスカレート。
暴力沙汰になり、死人が出る事態になると、元々アンチ・ファンキだった層だけでなく、パーティー参加者もファンキに対して否定的な意見を持ち始めた。
そんな時、チジーニョ・イ・ドカのドュオが歌った"ハッピ・デ・フェリシダーデ"(幸せのラップ)は、「ただ幸せになりたい。コミュニティを平穏に歩きたい」という人間なら誰でも望むメッセージが歌われて大ヒット。
この頃からファンキは貧困層だけでなく幅広い層に聴かれ始めた。
こうしてファンキは貧困層のある丘を下り、次第に中流階級の人々も巻き込んでいった。
ビートもアフロブラジル文化マクレレをベースにしたものが登場し、より一層ブラジルらしさを強めた(今ではこのビートこそファンキの核となっている)。
それでもファンキには暴力・ドラッグ・麻薬取引というイメージがこびりついていたため、路線変更が始まる。
犯罪的なイメージから脱するように、ロマンティックな恋愛を描いた楽曲や、セクシュアルな楽曲が市場を独占することによって、パーティーが男女の社交場であることを示すようになる。
それが今でも続くファンキの傾向である。
加えて、スラムの日常、サクセスストーリーや、中にはプロテストソング的な歌詞の楽曲も存在する。
チジーニョ・イ・ドカが"furacão 2000"に出演
"furacão 2000"はこの番組やアルバム制作、ショーなどファンキをプロデュースする重要なグループだ
|ファンキはブラジルを代表する文化と言えるのか
ヘベッカの振付師が選んだ"バイリ・デ・ファベーラ"は2015年から2016年に大ヒットしたMCジョアンの楽曲だ。
ジョアンはサンパウロ郊外の街で育ち、17歳で父親を亡くしてからは配達員として働き家族を養った。
サンパウロ生まれの彼が作ったファンキは、正確にはファンキ・カリオカではなくファンキ・パウリスタ(パウリスタはサンパウロっ子の呼称)に分類される。
メロディは楽曲通してたった5つの音で作られており、歌詞も特に深い意味はない。
それが良かったのか人々の耳にこびりついて離れなくなり大ヒットした。
私も嫌というぐらい街中でこの曲を聴いたのを覚えている。
YouTubeで再生回数1億回を越えた初のファンキだ(現在は再生回数2億回越え)。
ビデオクリップを観ていただけらおわかり頂けるように、現在ファンキの象徴は女性によるセクシュアルなダンスと男尊女卑とも思えるスラングの連発だ。
和訳を紹介したいと思ったが、当てはまる日本語がみつからない。それほど過激なのである。
ファンキは貧困層のサブカルチャーからブラジルのメインカルチャーに移りつつある(いいや、既に移っている)が、どうしても大人がこれを認めないと言うのが現実だ。
「もし自分の娘(もしくは息子)がファンキ・パーティーに行ってたらどう思うか」という街頭インタビューでは、殆どの親が、ファンキパーティーだけでなく、ファンキ音楽自体に否定的な意見を述べ、麻薬取引や暴力事件、性犯罪などに巻き込まれることが心配する声を挙げていた。
また、その歌詞やダンスが原因でエリート層やフェミニストから嫌悪されているのも、ファンキが公にブラジルの顔にならない理由だろう。
それでも人気を誇り続けているのには、一定の層から変わらぬ強い支持を受けているからだ。
ファンキがオリンピックで流れたことは、ファンキ否定組に「ついに認めざるを得ない」という気持ちを抱かせたに違いない。
ちなみに、"バイリ・デ・ファベーラ"は2018年にボウソナロ大統領を支持するミームとして再ヒットしたため、この選曲が大統領に対するオマージュだというフェイクニュースが流れたが、振付師と楽曲のミックスを担当したミサエル・パッソス・ジュニオールは、この選曲に政治的な意味はないとニュースを否定。
更にミサエルは「アスリートがより良いパフォーマンスを発揮するために必要な音楽を作ることだけを考えています。これ以上何もありません」と回答している。
最後に近年ヒットしたファンキを1曲ご紹介して終わりたい。
MCポーズィ・ド・ホードはリオデジャネイロのスラム街ホード出身の20歳。
スラム出身の彼が、「若くして富を得た」と歌うこのビデオクリップを観て、第二のポーズィを目指したいという少年、少女が出てくるだろうか。

