再生と滅びの美学・終焉・死のテーマへ

改めて、杉本の活動を振り返ると、過去のシリーズのリメイクや《五輪塔》などのヴァリエーションや、彼が「何かを学び取り、その滋養を吸収し、私自身のアートへと再転化する為に、必要上やむをえず集められた私の分身(注4)」と呼ぶ骨董の数々と作品を組み合わせた展示も含め、杉本の活動が大幅に多様化するのは2000年代以降のことである。

まるで、病を克服し、再生を謳歌するかのような精力的な活動に対して、この頃より一気に数が増えた大規模な個展では、滅びの美学や終焉、死がテーマとなっていく。

2014年に筆者がパリのパレ・ド・トーキョーで企画した個展「今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない/ Lost Human Genetic Archive」は、総合芸術的に発展する杉本の活動を包括的に捉えようとした初の大規模な試みであり、彼の幅広い関心とタルボットや千利休、マルセル・デュシャンらへのオマージュも含み、杉本の個人体験史を色濃く反映。また、ホワイトキューブ空間を超えて、妄想から科学的・宗教的・芸術的関心を発展させる彼の創作の在りようとその多様な方向性を示唆するものとなった。

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パレ・ド・トーキョーでの展覧会展示風景

ピカソの《ゲルニカ》で知られる1937年のパリ万国博覧会にあわせて「近代美術宮殿」として開館した同建物は、国立近代美術館や国立高等映像音響芸術学校、国立写真センターといった視覚芸術に関する機関の拠点として使われる一方で、第二次世界大戦中にはユダヤ系市民から没収された資産の倉庫に使用されたりもしている。

度重なる改装の痕跡を各所に残すその建物に最初に足を踏み入れた杉本は、そこに滅びの美を感じ取り、即座に未来からみた人類の滅亡に関する33のシナリオを提案してきた。

その際、特に、彼が興味を示したのが、直前の建築改装で発見された「Salle 37」という映画室である。過去の改装で封鎖され、長年歴史の中に忘れさられていた「開かずの間」は、まるで時間が止まっていたかのように、建造時の雰囲気を奇跡的に残しており、杉本はこの部屋に大いに触発され、ここで実に10年ぶりに「劇場」シリーズを再開。それが「廃墟劇場」シリーズ誕生となった。

起源に立ち戻ること・精神と技術を遺す表現とは

杉本の「末法感」は、直接的にはアメリカ同時多発テロの大惨事や東日本大震災の自然災害などを目の当りにしたことをきっかけとしているだろうが(注5)、2014年当時においては、虚像と実像の間を問い、時間の断片化、世界の模型化に取り組んできた杉本による、「本物より本物らしい世界の終焉の捏造」は、まだ荒唐無稽に捉えられる向きもあった。

注4. 杉本博司『歴史の歴史』新素材研究所、2008年、p.5 注5. 杉本と筆者は、2011年3月11日15時よりヨコハマトリエンナーレ2011の記者発表にともに出席予定だったが、その直前に東日本大震災が発生、会見は中止となる。また同様に筆者キュレーションによる京都市京セラ美術館での杉本の個展は、開幕直前にコロナ禍により延期の事態となった。