こうした習近平政権の取り組みは、私たちが想像する強権的な中国政治のイメージとは異なるだろう。中国政治は民意の重要性を強く意識し、多様で、複雑な民意を如何に把握し、調整してゆくかということの必要性を強く理解している。

 これまでも中国共産党は、政策決定にたいする住民の関与を拡大しようとする取り組みを積み重ねてきている。胡錦濤政権は人々の政治参加意欲が不断に拡大していることを理解し、「秩序ある政治参加の拡大」という概念を提起していた。習近平政権も「秩序ある政治参加」を継承するとともに、政策決定に際して、一定程度住民の声を採り入れる「協議民主主義」の充実を提唱している。もちろん中国共産党政権は政治参加の質的向上は容認するが政治的自由は容認していない。政権は、「秩序ある政治参加」の「秩序」とは何か、を決定するのは社会ではなく、自分たちだという。

中国政治のゆくえ

 今日の中国政治は、まるで王滬寧論文が提示したモデルを実践しているようだ。

 王滬寧論文は興味深い問題提起をしている。「決定権の集中」モデルの問題点を、次のように指摘している。すなわち、「決定権の集中」モデルは、往々にして人々の広範な政策決定へ参与を軽視してしまい、その結果として、下された決定は果たして人々のコンセンサスを得たものであるのかどうか社会に疑われ、ひいては「決定権の集中」の政治はエリート政治だという批判を招いてしまう、という。エリート政治は「統治の効率を重視し」、「人々の多様な要望を軽視」してしまうため、社会の多様な発展を阻害することになる。

 王滬寧主任は、つづけて次のように論じて論文を結んでいる。「経済発展が一定の段階に到達した後、こうした潜在的な衝突の可能性は芽生え、最終的には政治不安をもたらすことになる」。「社会の発展がこの段階に到達したとき、政治方面の改革の必要性も避けられなくなる」と。

 1989年の天安門事件以降の27年間で、中国政治のゆくえをめぐって、問題の所在は大きく変化してきた。かつての「何時、どの様に中国政治は民主化するのか」から、「中国共産党による一党体制はなぜ持続しているのか」へ、である。しかし、こうして問いは変化してきたとはいえ、検討しなければならない論点は変わっていない。政治と社会との関係だ。はたして社会が欲する政治参加を政治は提供できるのだろうか。28年前の王滬寧論文の問題提起は今日も依然として未解決のままなのである。

 つまり中国共産党による一党体制の構造的不安定性は変わっていない。政権は中国社会が提起する増大する政治参加の要望に理解を示し「秩序ある政治参加」を提唱するものの、「秩序」の決定権は政権にあるという。しかし、政権がそう確認し続けなければならないことは、かえって中国政治の現実を示唆してる。いまも、そしてこれからも政権は民意の動向に敏感に反応せざるを得ない。