イスラエルによるパレスチナ人の住宅立ち退きの詳細が動画で配信されことをきっかけに、「抑圧されるパレスチナ人」のイメージが強まり、世界中でパレスチナ人を支持する方向に風向きが変わりつつあります(以前の記事をご参照ください)。
確かにイスラエルでパレスチナ人は抑圧されています。それは否定のしようがない事実。でも、同じパレスチナ出身の背景を持つアラブが別の場所では抑圧する側に回っていることは、まだ日本ではあまり知られていない事実かもしれません。
アラブの裏の顔とは?
アラブには裏の顔があります。Human Rights Watch や世界中の人権団体から「現代の奴隷制度」と非難されている外国人労働者への非人間的な扱いです。中東のアラブ諸国、とくに湾岸エリア (サウジ、クゥエート、UAE、オマーンなど) では男性・女性の出稼ぎ労働者が多く働いています。実際、こうした湾岸エリアに旅行すると、ホテルやレストランなどで接するのは外国人労働者がほとんどで、地元のアラブにはほとんど遭遇しないということが起こり得ます。
そして、湾岸エリアほどリッチではないのに湾岸エリアと同じ慣習 (悪習) を取り入れているのがヨルダンとレバノンです。アラブ世界では外国人男性の出稼ぎ労働者もかなりの程度搾取されていますが、もっと抑圧されているのは外国人女性の出稼ぎ労働者。この記事では、ヨルダンとレバノンの女性の出稼ぎ労働者に焦点を当てたいと思います。そして、女性の出稼ぎ労働者の中でもとりわけ弱い立場に置かれ搾取されている住み込みのメイドの実態についてフォーカスします。
なお、この記事を書くにあたって強調しておきたいのは、この記事の内容がすべてのアラブに当てはまると言っているわけではないという点です。それでも、この記事で取り上げる内容は、「ごく一部の心無いアラブによる単発的な事件」として片づけるわけにはいかない現実があります。つまり、非常に多くのアラブが抑圧や虐待に意図的にあるいは無意識に関わっているのが現実です。
もう一度強調したい点は、これがアラブ世界のすべてではありません。でもこれもアラブ世界の現実です。
このアラブ世界での「現代の奴隷制度」を扱ったビデオは多数ありますが、比較的うまくまとめたビデオがありましたので、この記事でご紹介したいと思います。ただし、ひどい内容も含まれていますのでお気を付けください。
まず、BBC が製作した「Maids in Hell」というドキュメンタリー番組があります。残念ながら日本語版はありません。国によってはトレーラーしか観ることができませんが、もし全部を観ることができるようでしたら、ぜひご覧になるようにお勧めいたします。完成までに5-6年の年月をかけたといわれる大作です。
また以下のドキュメンタリーは、デンマークの非営利団体 The Why Foundation によって製作された「The Secret Slaves of the Middle East」です。
アラブ世界でメイドの虐待は日常茶飯事という現実
すべてのアラブとは言いませんが、アラブ諸国ではメイドの虐待は日常茶飯事。「ごく一部の心ないアラブによる行為」では片づけられない現実がそこにはあります。実際レバノンでは、毎週 1 人の女性出稼ぎ労働者 (メイド) が亡くなっているという統計が Human Rights Wacth によって2018年に出されました。
メイドを持つのはごく一部の特権階級ではありません。ごく普通の中級階級でもメイドを待つのが普通。アラブ世界は見栄の世界。メイドを持つことはステータスです。そしてメイドにお給料が支払われないケースも多いのです。ですから、メイドを持つために別に取り立ててお金持ちでなくてもいいわけです。どうせお給料を払わないわけですから。
アラブの歴史は抑圧されるか抑圧するかのどちらか。アラブ世界でバランスの取れた人格を身につけるのは難しい。もともと部族社会のアラブ。年上や部族の長 (もちろんすべて男性) の権威は絶対。たとえ間違っていてもです。相手との対等な関係というコンセプトが存在しません。こうしたアラブ独特の背景が、現在の奴隷制度を助長してきました。
2021年6月19日追記 (「アラブ世界」の定義):この記事でいう「アラブ世界」とは、すなわち「アラブだけで成り立つ世界」のことで、中東のアラブ諸国を指します。「アラブ世界」と「個々のアラブ」は異なります。アラブ世界にはアラブ独特のおきてが存在します。このおきてに縛られたアラブ世界でバランスの取れた人格を身に着けることが難しいのです。アラブ世界の外で暮らし、このおきてから解放されている個々のアラブについてはこの記事で語っていません。
なぜアラブ世界で「現代の奴隷制」が脈々と続くのか?
カファーラという制度に問題があると言われています。これは、スポンサー契約のようなもので、雇い主となるアラブが労働者のスポンサー (後援者、保証人) となるというものです。労働者の一切の権利は雇い主の手に渡されます。外国人労働者は、働く先の国の空港に着くと同時にパスポートを取り上げられます (ほとんどの場合、携帯電話も取り上げられます)。雇い主の許可なしには何もすることができません。
雇用者を変えたり、国に帰ったりする決定権は労働者には一切なく、雇用者に決定権があります。外出すること、休暇を取ることなど日常生活の全てを支配される形になります。労働者のパスポートは雇用主が所持し、隠します。こうすることで、あらゆる自由が奪われます。雇用契約を継続するか破棄するかの決定権も雇用主にあります。雇用主の一存で労働者を思いのままに扱うことができます。ですからこれは、事実上の現代の奴隷制度です。
メイドの場合は雇用主の家に住み込みになるので、密室で何が起きていようとメイド側に逃れる術はありません。メイドとして住み込みで働く外国人女性労働者は往々にして身体的・性的虐待の被害者になります。
もちろん全てのアラブがそうではありません。良い雇い主に恵まれてそれなりに幸せなメイドさんたちも少数ながらいます。私の知り合いですが、年配のアラブ女性のお世話のためにレバノンにメイドとして雇われ、最終的に7年間滞在し、雇い主との会話でアラビア語を学んで、非常にうまく話せるようになったエチオピア人の女の子もいました。とはいえ、アラブ世界では一般的に言って外国人労働者の権利は守られていないのが現状。その中でもメイドは搾取の対象になります。権利などは一切保証されていないので、雇用主のモラルと人間性に 100% 依存しています。中東へ仕事に行くということは、すなわち地獄を味わうか天国を味わうか...賭けの世界です。
イスラエルでは抑圧され、ヨルダンでは抑圧する?
先ほど導入の部分で、「パレスチナ出身の背景を持つアラブが別の場所では抑圧する側に回っている」と書きました。イスラエル側では抑圧されているパレスチナ人が、ヨルダンでは抑圧する側に回ることがあります。これはヨルダンに住むアラブの多くがパレスチナ系であることによります。
正確な統計がないのですが、ヨルダンに住むパレスチナ人はヨルダンのアラブ人口の 50-70% を占めていると言われています。ヨルダンにおける「パレスチナ人」の定義も人によって違うため、どういう基準で「パレスチナ人」と呼ぶのか線引きが難しいところですが、この記事ではヨルダンに住むパレスチナ人とは「祖父母または両親が元々はパレスチナ (つまり現在のイスラエル) から来たアラブ」という前提で書いています。パレスチナ系ヨルダン人と呼ぶことにします。こうしたパレスチナ系ヨルダン人たちの多くは、ヨルダン国籍を取得しており、ヨルダンのパスポートを所持しています。
今はヨルダンに住んでいるので「ヨルダン人」と一括りにされますが、実際は現在のイスラエルのパレスチナ自治区に住むパレスチナ人たちと同じ出身地。アンマン市に限っていうなら、こうしたパレスチナ系ヨルダン人がアンマン市人口の 70-80% を占めていると思われます。アンマン市で日常的に接するアラブのほとんどがパレスチナ系ヨルダン人です。イスラエル側ではパレスチナ人が抑圧され、ヨルダン側では同じパレスチナ人が他の人を抑圧する。被害者が加害者になる典型がここにあります。
もちろんヨルダンにいるすべてのパレスチナ人がそうではありません。そもそもパレスチナ人たちの多くはヨルダンでも生活が楽なわけではない。もともとパレスチナ人たちが住んでいた「難民キャンプ」はもはやテントではなく建物が立ち並ぶ街になっていますが、こうしたエリアは現在でもパレスチナ出身のヨルダン人が多く住む貧しいエリアです。でも中にはいわゆる「成功者」になってアンマン市に豪邸を構えるパレスチナ人もいる。そもそもこの住み込みのメイドを雇うという発想は、サウジなどの石油産出国に 1970-80 年代に出稼ぎに行っていたパレスチナ人やレバノン人たちが持ち帰った習慣なのではないかと思います。
また取り立ててお金持ちではないけれど、いわゆる貧困層ではなく中流階級の下の範囲に収まるパレスチナ出身のヨルダン人も多いです。そもそも資源に全く恵まれないヨルダンでは、富裕層はそんなに多くありません。
とはいえ、アラブ社会は見栄の社会。メイドを雇うのは、見栄の文化では社会的ステータスとして非常に重要です。ですから特にお金持ちでなくてもいいわけです。いずれにしてもメイドの月給は 150 ドル程。ヨルダンでは、こうしたパレスチナ出身のアラブたちがメイドの虐待に加担することがあります。
語弊があってはいけませんので付け加えますと、生粋のヨルダン人たちももちろんメイドを雇うことがあり、彼らも抑圧・搾取・虐待に加担しています。この問題は、ヨルダンに限らず中東のアラブ諸国に染み付いた問題で、何十年も問題となっています。=====
中東のアラブ諸国でメイドが直面する問題
日常茶飯事の問題をざっと挙げてみます。これまでに触れた点とも重複します。
- パスポートの没収
- 携帯電話の没収 (家族と会話するのは月に1回、雇い主の携帯からというケースも多い)
- お給料の未払い
- 長時間労働 (16-20 時間ノンストップ。睡眠時間 2-3 時間というケースも稀ではない)
- きちんとした食べ物が与えられない (家族の食べ残しまたは傷んだもの)
- 与えられる食べ物の量が極端に少ない
- 自分の部屋が与えられず、トイレやキッチンの床で寝る生活
- 休日がない
- 外出が禁止されている。雇用主が外出するときは家に閉じ込められる。
- 失敗やミスをすると怒鳴られたり、身体的な暴力を振るわれたりする。
これに加えて、性的虐待、レイプの対象にもなり得ます。アラブは大家族。雇用主から直接は性的に虐待されないとしても、同居の息子やその家を訪れる親せきの男性などから性的に虐待されることもあります。なんせ密室ですから、性的虐待やレイプの危険性といつも隣りあわせなのです。
そして最悪なのは死に至るケースです。私がヨルダンに住んでいた時に、フィリピン人のメイドが雇用主の虐待によって亡くなるケースがあり、2009年と2011年にフィリピン政府はヨルダンに労働者を送ることを禁止しました。その時以降、ヨルダンではケニアやガーナなどアフリカ系のメイドが増え始めました。
2016 年にはケニア人のメイドが雇用主によって焼かれ、体に 47% 以上の火傷を負い、最終的に亡くなるという事件が起こりました(こちらの記事を参照)。これをきっかけにケニアでは、ヨルダンを含むアラブ諸国に労働者を送ることに対する大規模な抗議運動が起きました。

なおメイドの虐待や死において、ヨルダンが特別ひどいわけではありません。サウジ、クゥエート、UAE (アラブ首長国連邦)、オマーン、レバノンなどではさらに頻繁に過酷なケースが明るみに出ています。湾岸エリアやレバノンでは、たとえメイドが死んでも、雇用主が罪に問われることはほとんどありません。次のセクションで書きますが、ヨルダンでは雇用主が裁判にかけられることがあります。これは他のアラブ諸国と比べて非常に革新的だと思います。
お金を得るためにアラブ世界へ出かけたものの、最終的にはお給料ももらえず、人間としての尊厳まで失い、最悪のケースは命さえ落とす場合がある。これが中東のアラブ諸国で働く多くのメイドたちの現実です。
メイドの虐待に対するヨルダン政府の取り組み
ヨルダン政府は 2009 年から外国人労働者の労働環境の向上に努めており、昨今はその成果がかなりの程度出ているということができます。2013 年には人身売買対策部署(Anti-human trafficking Unit)が設立されました。
こうした流れに至ったのは、Tamkeen というヨルダンに唯一ある外国人労働者の人権を扱う非政府団体の活発な活動に負うところが大きいかと思います。この団体は、ヨルダンにいる外国人労働者の人身売買や虐待のケースを摘発しています。この団体の働きのおかげで、メイド側が Silent Victime (無声の犠牲者) にならないように守られ、メイド側と雇用主側の双方が「メイドの人権」という中東ではまだあまり存在しない概念について啓蒙されています。ですからヨルダンにおける不法な搾取や虐待は、湾岸のアラブ諸国やレバノンよりもずっと改善されてきているようです。
2007 年にこの団体が活動を開始した時、政府側も斡旋業者側も雇用者側もメイド側に人権があるという事実を受け入れがたく感じ、かなりの抵抗があったようです。しかしこの団体は啓蒙運動を続け、同時に虐待などの被害に遭ったメイドに弁護士を付けて裁判に持ち込んできました。裁判に持ち込むことは、世間体を何よりも気にするアラブに対して一番効果的な抑制策となります。こうした地道な働きのおかげで、ヨルダンではメイドの人権に対する意識が向上しつつあります。Tamkeen の取り組みと成果については、CNN のこのビデオをご覧ください。なおビデオには衝撃的内容も含まれています。
i-Stock : 法廷とはいえ、先ほど触れたカファーラ制度はヨルダンでも健在です。このカファーラ制度においては、パスポートの没収は非とされていません。パスポートを取り上げることは、相手の人権を踏みにじる行為ですが、カファーラ制度を導入しているアラブ諸国の法律では罪になりません。ですから、カファーラ制度を維持しつつ、労働者の人権を声高らかに謳うのは実は相反する概念です。
メイドが「人身売買」されるまでの経緯
まずアラブの家族がメイドを希望する場合、ブローカー (斡旋業者) に 1500-5000 ドルを払います。メイドの人種によって値段が異なります。フィリピン人を例として取ります。フィリピン人はメイドとして人気があるので一番高く、ブローカーに支払われる金額が5000ドル程になることもあります。このお金は派遣先のアラブ(ヨルダン、サウジ 、レバノンなど) のブローカーと送り元のフィリピンのブローカーとの間で山分けされます。この時点で事実上の人身売買が成立します。ですから、メイドの人権の搾取は、送り出される国ですでに始まっているのです。
これで雇い主のアラブ側はメイドが自分たちの所有物になったような錯覚に陥るようですが、この一部始終はメイドとなる女性には全く関係のないことです。彼女たちはあくまで仕事のために中東に来ます。でも雇う側のアラブは「お金を払った」=「所有した」という感覚でいるので、「毎月のお給料なんて払えるか、あんなに沢山のお金を払ったのに」という思考でいることが多いです。そして、とことんこき使います。
外との接触が完全に絶たれているので、密室で起きていることは表沙汰になりにくい。彼女たちは携帯電話も取り上げられますので、こうした扱いはなかなか明るみに出ません。そしてアラブ同士の身内意識で、非人間的な扱いを見ても見ぬふりをする場合も多いです。
中東でメイドとして働いた後に幸いなことに (命を失わずに) 無事に帰国できた元メイドたちが現状を訴えても、あまりにも酷い扱いに、作り話だと一蹴されることもしばしば。またアラブ側は「嘘だ」「つくり話だ」で片づけたがります。証拠がないときはそれで切り抜けられたかもしれません。でも中には虐待や暴力の様子を動画で配信することに成功したメイドたちもいます。「Middle East, domestic worker」などで検索すると Youtube で容易に見つけることができます。また、Human Rights Wathch は長年、アラブ世界のこの闇の部分について度々声を上げてきました。ですから、事なかれ主義で済ますことができない段階まで来ています。
搾取する側のアラブ諸国だけを責めるわけにはいかない理由
問題はアラブ側だけにあるのではありません。送り出す側の国 (フィリピン、ケニア、スリランカなど) の政府は、自国の労働者が搾取され、多くの場合虐待されるという事実を認識しています。それでも送り出します。世論の声に押されて違法斡旋業者の摘発をたまにすることはあっても、真剣には取り組んでいないのが現状です。なぜならこうした国々は貧しいので、外国人労働者を送り出すことで、仕送りによって自国の経済に還元されるというメリットがあるからです。ですから、海外に労働者として出かける人たちはヒーロー扱いされます。こうした背景も、中東へメイドが絶え間なく送り込まれ、虐待が起きる原因の1つとなります。
送り出す側の国の斡旋業者たちは、「お給料は毎月500ドル」「簡単な仕事できつくない」「美容サロンでの仕事」など嘘を並べることが多いようです。さらに、カナダに行くと伝えられていたのに経由地のドバイでヨルダン行きのフライトに乗せられたなど、行き先そのものを偽っているケースも多いようです。=====
中東における「現代の奴隷制度」の行方は?
ヨルダンの非政府団体 Tamkeen の 2019 年 9 月の報告によると、ヨルダンには 2019 年の時点で 190 の斡旋業者があります。そして、そのうちの 70% がメイド虐待の根本的な原因となっているということです。メイドから虐待の報告を受けても隠蔽したり、何もせず元の雇用主に送り返したり、あるいは虐待の被害者のメイドを別の雇用主にたらい回しにしたりなど、非人間的な扱いを続けています。ヨルダン政府はさらに断固とした措置をとることを決めています。ですから、少し前に触れた通り、ヨルダンでのメイドの待遇は改善していますし、これからも改善することが見込まれます。
サウジは今年 2021 年 3 月にカファーラ制度の廃止を発表しました (アルジャジーラの記事を参照)。30 代の若い君主であるムハンマド氏は女性の自動車の運転を認めたりなど、いわゆる「改革」を推し進めています。このカファーラ制度の廃止もその「改革」をアピールする手段の1つといえます。
とはいえ、長年アラブ社会に息づいてきたこの制度の廃止はそう簡単にはいかないはず。実際、今でもサウジのアラブ女性たちが男性の許可なしに何かを行うことは簡単ではない。ですから、サウジ女性より立場が断然低い外国人労働者たちにこのカファーラ制度が当てはまらないというのは、頭では分かっていても感情的には受け入れ難いことかもしれません。アラブお得意の口だけで終わるのか、それとも労働者たちの労働環境や権利が本当に保証されるのか‥もう少し時間が経たないと分かりません。
またこのカファーラ制度を廃止すると公に発表したのはサウジだけで、他の湾岸諸国は追随していません。ヨルダンやレバノンも同じく、このカファーラ制度の元に外国人労働者を迎え入れています。
なお湾岸エリアに負けず劣らず悪評高いレバノンは、2019 年の経済破綻により、中流階級が貧困層に転落しています。レバノンでは、今や国民の 50% (ある説によると70%) が貧困層だと言われています。ですから、外国人労働者を受け入れるどころではなくなっています。むしろこれまでさんざん搾取してきた労働者たちを追い出しています。
レバノン人がメイドたちをゴミのごとく道路に捨てている映像が France 24 の記事に載せられています。パスポートも返さず、お給料も支払わず、必要がなくなれば道路に置き去りにする...。とことんひどい扱いです。制度の改革はないにしても、外国人労働者が入ってくる機会はレバノンに関しては限りなく低くなっています。これにより被害の数は必然的に少なくなっているはずです。
中東の「現代の奴隷制」を実際に見た筆者の体験
私はヨルダンに行くまではもちろんアラブ世界のこの裏の顔を知りませんでした。アラブの本質を知ったのはヨルダンで、言葉が分かり始めてから。ヨルダンではその当時フィリピン人やスリランカ人のメイドさんを雇っているアラブの家が多く、週末にお休みをもらえる住み込みのメイドさんたちやフリーとして幾つかのアラブの家を曜日ごとに掛け持ちしている女の子たちが街に繰り出していました。そんなフィリピン人やスリランカ人と仲良くなり、彼女たちの話を通して聞くアラブの裏の顔は本当に衝撃的でした。
あるスリランカ人の住み込みのメイドさんは、トイレ掃除の時にブラシも手袋も与えてもらえず素手で汚い便器を洗わされたり、あるフィリピン人のメイドさんの場合は、雇い主のアラブ男性が嫌がらせでトイレをわざと汚く使い、あちこちに尿を振り撒くなど...常識ではあり得ませんが、アラブ世界では十分あり得る話を散々聞かされました。
それでも、私が仲良くしていたのは、週末の外出が認められていたり、携帯を持つことができていたり、あるいは最初は住み込みだったものの、契約終了後にフリーランスに転向することができた人など、メイドの中でもまだかなり恵まれた立場にいる人たちでした。住み込みで働いていて密室で虐待されているようなメイドさんにはそもそも外で会う機会がありません。全ての接触を断たれたこうした虐待の被害者たちは、誰からの助けを得ることもできないままでいることが多いのです。
こうしたアラブの恐ろしい一面を初期に知ってしまったこと、そしてアラビア語が少しずつ理解できるようになってアラブのメンタリティが分かるようになり、日常生活や職場で私もアラブの言動から被害を受けることが多くなったこと...などで、それからはアラブへの憤りや怒りの方が大きくなっていきました。
アンマン市 - 筆者撮影思い返せばヨルダン時代の 1 年半から 2 年半頃が精神的に一番大変だったと思います。そんな怒りに燃えている時にツアーの仕事でお客様のアテンドをしたことがあります。自分がヨルダンに愛想を尽かしているので、お客様にヨルダンのポジティブなことなんて話せない。アラブのネガティブな面ばかりがどうしても口から出てしまう...。このお客様には本当に申し訳ないことをしたと思います。まだプロ意識に欠けていた頃です。お客様にヨルダンの現実を知っていただくという意味では良かったかもしれませんが、夢を与えるという面では大失敗のアテンドでした。私のツアーコンサルタント人生の中でもトップクラスの苦い思い出です。
そんなアラブへの怒りと失望でやるせなさを感じていた時期を何とか抜け出すことができたのは...、やはりそれもアラブのお陰だったのです。ヨルダンを去ってレバノンで心機一転、新しい生活を始めたことも良かったと思います。レバノンでもプライドの高いレバノン人に囲まれて頭の痛いことはいっぱいありましたが、私が住んでいたのは中流階級層よりも下の (どちらかといえば貧困層に近い) 庶民的なエリア。
そんな下町のようなエリアでたくさんのアラブの友達ができ、愛情をたくさん受けました。特にレバノンで心と心が通う人間関係を最初に築けたアラブはシリア人でした。もちろんシリア人と一言で言っても、いろんな人がいます。ダマスカスとアレッポではシリア人でも性質が大いに異なります。でも全体としていうと、シリア人には素朴な人が多い。
そんなわけで、泣かされるのもアラブ、慰めてくれるのもアラブ。傷つけられるのもアラブ、癒してくれるのもアラブ。そんな風にアラブ世界にどっぷり浸かりながら、闇の部分と光の部分の両方を理解し、ありのままを受け入れていく...そんなプロセスの中で、アラブへの不思議な愛おしさが生まれました (中東に眠るダイヤモンドの原石という記事で筆者の思いを綴っています)。
レバノンにて - 筆者の知人撮影レバノンでの 1 年半の生活を経て、その後再びヨルダンに戻りました。この頃には私の心にアラブへの温かい愛情が生まれていたので、アラブ世界で暮らすことが心地よく感じられ、たくさんのアラブの友達とさらに温かい関係を築くことができました。
アラブ世界の「現代の奴隷制」に目を向ける理由
この記事を書いたのも、アラブの闇の部分を暴いてアラブを悪者にしようと思っているからではありません。実際、日本でもベトナムなどからの外国人技能実習生への心ない扱いが問題になっています。スリランカ人の女性が必要な治療を受けさせてもらえず、名古屋出入国在留管理局で亡くなったことも報告されています。
過酷な労働、長時間勤務、安月給、お給料の未払い‥規模は小さくても、結局アラブ世界と同じことが行われているのではないでしょうか。ですからアラブ世界の現代の奴隷制に眉をひそめる前に、日本で起きている現実に目を向けることも必要かと思います。
また、最近目にしたとある新書の宣伝で「アラブ世界には自殺もいじめもない」というような内容のものがありましたが、アラブ世界の裏の顔を知らずにいると惑わされることになります。アラブときちんと付き合うためには、アラブ世界の二つの顔をきちんと理解しておくことが必要なのではないかと思います。そしてその「二つの顔」とは、なにもアラブ世界だけに限られたことではなく、闇と光の部分を併せ持つ人間の本質でもあると思います。