実際来てみると、観光スポットなど特別な場所に行けば確かに聞こえてくることもあるのですが、それほどでもない。もうこの街の誰しもの人々の心の中にタンゴがある、という、タンゴ=国民的音楽だった時代は過ぎ去ってしまったようです。

今の若い人たちには、タンゴは聴かれません。現に、私が演奏している楽器はアルゼンチンタンゴに欠かせない看板楽器である「バンドネオン」という楽器なのですが、音楽関係でないアルゼンチン人たちには、悲しいことにしょっちゅう「アコーディオン」と言われます。
そんな現代のアルゼンチン人たちでも、ひとつ「誰もが知っているタンゴのフレーズ」があります。それは、カンバラッチェというタンゴの中の歌詞。
「El que no llora no mama」
=「欲しいものはちゃんと欲しいと言わないと、手に入らないよ」という意味です。
【直訳:泣かない赤ん坊はお乳を吸えない】
私たち日本人はいつも謙虚で控えめで、頼みごとも下から丁寧に、「恐縮ですが」「もし良かったら・・・」などと前置きすることがありますが、そんな私たちの姿を見てよく言われるのが、このフレーズ。
はじめはピンとこなかったのですが、最近、まさにこの言葉を痛感するアルゼンチンらしい出来事が起こりました。
先日、お引越しをしたときのエピソード。
入居したその日にインターネットを繋ぎに来てもらう約束だったのが、来ないのです。お願いしていた時間帯よりも後に「今繋ぎに来たけど、家にいるか?」と連絡がありましたが、その時間にはもう外出しなくてはならずキャンセル。ここからが大変でした。
毎日コールセンターに電話を掛け続けるものの、自動音声からやっと担当の人に繋がったと思うと、ここでは引き受けられないので別の番号に繋げますと言われたあと、もう一度最初の自動音声に逆戻り・・・。
掛ける場所を間違えているわけでも話が通じていないわけでもないのですが、そして何がそんなに面倒なのかわかりませんが毎回はぐらかされて予約が取れない、ということが約一週間続きました。
その間、私も半ばネタとして友人たちに愚痴っていたのですが、みんなが口を揃えて言うのは「ようこそアルゼンチンへ」。
他にも、「昔は繋ぎに来るまでに8年かかってたからね~」などはアルゼンチンジョーク(=数字をめちゃくちゃ大袈裟に言う)のひとつ・・・。
「ちゃんと怒りながら電話かけてる?丁寧に下からお願いしてない?強く言わないと来てくれないよ。」
なるほど、と、そろそろ私も怒れる準備が出来上がっていたので、怒りモードで諦めずに電話をかけ続けた結果、ようやく予約をこぎつけることが出来たのです。
最終的に手続きをしてくれたコールセンター(おそらく怒った人たちに対応する最後の砦的なところ)のお兄さんには、「これでもう明日モデムが届く手筈はついたから心配しないで、最後に何か言いたいことがあったら僕に何でも言っていいよ」と、まさかのサンドバック役の申し出まで受ける始末。
アルゼンチン人はこういう場合、さっさと解決するために最初から「念のため」怒っとく、ということもあるそうで・・・。
そして、晴れて入居から約10日後、ようやく新しいインターネットを繋ぎに来てくれるに至ったのでした。
歌詞の話に戻りますが、この「欲しいものはちゃんと欲しいと言わないと手に入らない」、という歌詞の後に続くのが、
「El que no afana es un gil!」=「盗めるものを盗まない奴は間抜けだ!」
というもの。過激な歌詞ではありますが、これもとってもアルゼンチン的なフレーズです。
実際、不用意にそのあたりに放置してしまったものなどは盗まれることが普通で、忘れ物が戻ってくることは99%ないと思っていた方がよい国です。文字通りみんなが盗っ人というわけではありませんが、このメンタリティはアルゼンチン人たちが自分たちのことを皮肉も込めて表現する、国民的特徴のように思います。
意訳すると「手を伸ばせば手に入るのに遠慮している人は馬鹿だ」とも解釈できるでしょう。

ちなみに、「落とした財布が交番に届けられ手元に戻ってくることがあるらしい」などという日本のエピソードは、アルゼンチンでは(他国でもそうだと思いますが、)「信じられない、有り得ない」こととして盛りあがります。photo: istock- LightFieldStudios
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このカンバラッチェというタンゴ。混乱に満ちたこの国では、待っていたって誰も与えてはくれない。生きていくためには、欲しいものはしっかりと自分の手で掴みに行かなくてはいけない。たとえ、それがずる賢い方法であったとしても・・・。
そんな自分たちを嘲笑するようなアルゼンチンの世相を、隠語を駆使し、芸術的に見事に歌詞に反映した名曲なのです。1930年代の歌ながら未だに若い世代にも幅広く知られ、共感されています。共感といっても、自虐的な意味合いで、盗みなどの悪事を肯定するということではありません。
それは、時代が変わってもアルゼンチンはずっとアルゼンチンのまま、と言えるのかもしれません。その理由もわかってくるような気がします。
Cambarache - カンバラッチェ (1934, 作詞・作曲 Enrique Santos Discépolo / Tango)(拙訳)
知っているさ、昔も今もこの世はしょうもないものだって
506年だろうが、2000年だろうが!
いつの時代も盗人はいるもんだ
偽善者、詐欺師
喜ぶ者あれば、泣く者あり
本物もあれば、それに見せかけた偽物もある
20世紀は横柄や悪事で充満している
誰もがそれを否定できなくなった
混乱に満ちた、勝ち負けの世界に生き
同じ泥の中、みな心に悪を持っている
(中略)
20世紀、秩序なんてない世界
熱に浮かされ、問題だらけ
泣かない赤ん坊はお乳は吸えない、
盗めるものを盗まない奴は愚か者
行ってみな!うまくいくさ!
オーブン(=地獄)の中で再会しよう
それ以上は考えるな、ここに座れよ。
お前がどこの生まれだって誰も気にしない
牛のように昼も夜も働いてる奴だって、
他の誰か(女)が稼いだ金で生きている奴だって、同じ。
殺しをやる者、救う者、法の外で生きる者、みな同じなんだ・・・
Que el mundo fue y será una porquería
ya lo sé...
(¡En el quinientos seis y en el dos mil también!).
Que siempre ha habido chorros, maquiavelos y estafaos,
contentos y amargaos, varones y dublé...
Pero que el siglo veinte es un despliegue de maldá insolente,
ya no hay quien lo niegue.
Vivimos revolcaos en un merengue y en un mismo lodo
todos manoseaos...
¡Siglo veinte, cambalache problemático y febril!...
El que no llora no mama y el que no afana es un gil!
¡Dale nomás!
¡Dale que va!
¡Que allá en el horno nos vamo a encontrar!
¡No pienses más, sentate a un lao, que a nadie importa si naciste honrao!
Es lo mismo el que labura noche y día como un buey,
que el que vive de los otros (las minas), que el que mata, que el que cura o está fuera de la ley...
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余談ですが、晴れてインターネットが無事に繋がった私は、次の試練、「壊れたガス湯沸かし器の修理に来てもらう」という難関に挑むこととなるのでした・・・。
深夜2時、ワンルームの半分が水たまり状態になっており、なぜかガス湯沸かし器から滝のように水があふれ出している様子を発見したときは本当に悪夢でした。悲しいことに、これは珍しいことではありません。前の家では、寝ていたら天井から水が滴り落ちてきて、上の階に文句を言いにいったところ、水があふれていたのは2つ上の階だった、ということもありました。これも、友人同士で盛り上がる、アルゼンチンあるある話なのです・・・。