今年のクリスマスから年末年始ホリデーには、コロナを忘れて海外旅行や一時帰国を存分楽しみたい。そんな計画を立て、待ち望んでいた人も多いと思う。だが現実は思い描いていた通りにはいかず、私も予定していた旅行をキャンセルした。
一方で、以前から読みたいと思っていた書籍を手にする時間が増えた。最初に手にしたのは、ホロコースト生還者マルゴット・フリードレンダーさん(100歳)の書籍。彼女が私たちに伝えたいこととは、そして苦境を乗り越える術とは。本文より抜粋してお届けしたい。
ナチスの目を逃れ15か月の潜伏生活
ベルリンのシニアレジデンス(高齢者ホーム)に住むマルゴットさんは時々、近所のスーパーマーケットで食材を買う。ホームで供される3度の食事には満足しているが、それでも仔牛のグラッシュやハンバーガーなどが食べたくなり、料理するのだという。なかでもハンバーガーは、マルゴットさんが長年夫と過ごした米国で食べた思い出の一品。
現在、生まれ故郷ベルリンで平穏な生活を過ごすマルゴットさんの壮絶な人生をふり返ってみたい。
1941年から45年にかけて、ナチスに虐殺されたユダヤ人は約600万人にのぼると言われている。マルゴットさんの両親と弟もアウシュヴィッツ強制収容所に送還され、命を失った。第二次世界大戦以前からナチスはユダヤ人に対して人種差別的な思想を持っていた。
ラッキーなことに収容所行きを免れたマルゴットさんだが、一人で潜伏生活をする羽目になった。
「お金はなかったし、働きたくても働けなかった。ユダヤ人とわかると逮捕されてしまうのでナチスの目を逃れて生活するしかなかったのです」
「15か月の潜伏生活で、私を受け入れてくれた場所は16カ所ありました。なかには私の身元(ユダヤ人)を知らない人もいました。兵士の両親宅で2泊させてもらったこともありました。彼は自分の妻になる女性だと両親に説明し、匿ってくれました」
一方で、受け入れてくれた人たちを危険にさらすことになり、気が気でなかったという。当時21、22歳の若きマルゴットさんは、寝食を提供してもらう代償として、想像を絶することを求められたこともあったという。
「これについては、触れないでおきましょう。助けてくれた人も命がけ、そして私も命がけでしたから。とにかく生き延びることが最優先でした」
そんな中、ナチスに狙われていた共産主義者の女性に勧められて、外見を変えたこともあったという。マルゴットさんは黒髪を赤色に染めた。鼻の手術も受けた。
潜伏生活は1944年4月に終了した。街頭で身元コントロールに引っかかったマルゴットさんは、小さな身分証明書しか所有していなかった。男性達は、その証明書が本物かどうか警察に行って確認するというのだ。
これに対して、マルゴットさんは、警察の尋問を避けるため、「私はユダヤ人です」と吐露した。過去15か月、どこでどんな生活をしていたのかを説明したくなかったからだ。助けてくれた人達にもナチスの手が及ぶのは目にみえていた。こうして、マルゴットさんは、テレージエンシュタット強制収容所へ送還された。
収容所で結婚、そして米国へ
=====
収容所の監視生活の中では、同じ境遇の人たちとの接触もなく、友人もいなかった。そもそも話すことは許されなかったし、別の収容所へ送り出され(殺害される)収容者もいて、飢えや寒さ、強制労働や孤独感、そして恐怖にさいなまれていた。1日が終わると、談話で気分転換などという気力さえなくなっていた。
そんな中、マルゴットさんは顔見知りだったアドルフ・フリードレンダーさんと収容所内で再会した。11歳年上のアドルフさんも家族をナチスの迫害で失っていた。同じ境遇の二人は後に結婚した。
「アドルフに恋したわけではありません。お互いを尊重することが根底にあった結婚でした。当時の環境では人を愛することができませんでした。私たち夫婦は、同じ思い出と痛みがベースとなって成立していました」
テレージエンシュタット強制収容所から生還した二人は、アドルフさんの親戚がいる米国へ渡った。
「夫をとても敬愛していました。彼はニューヨークのユダヤ文化会館の館長を28年務め、現地で尊敬されていました。二人で旅にもよく出ました。ごく普通の生活を求めて過ごしていましたが、どうしてもユダヤ人として体験したホロコーストの精神的な重荷を下ろすことは出来ません」
88歳でベルリンへ戻る
夫の死後(1997年)、マルゴットさんは2010年に米国生活を後にして、生まれ故郷ベルリンへ戻った。 88歳だった彼女にそうさせたのは何だったのだろうか。
「私は色々な面でラッキーでした。この幸運に感謝するしかありません。こうして生還できたのですから。年金生活に入ると、もう人生は終わりと思う人も多いでしょうが、ありがたいことに私は膨大なエネルギーに満ちていて、生きている限り生き証人として活動を続けたいと思います。
米国生活当時は、ユダヤ人社会でもホロコーストのことは誰一人として口にしませんでした。この悲劇の重荷を背負いながら、皆生活していました」
睡眠時間が極端に短く、ナチスの迫害は頭から離れないと明かすマルゴットさん。「なぜこんなことになったのか、何度も何度も考えてしまいます。魂と身体から経験を切り離すことはできないのです。全てを忘れることはできません」
ミッション「悲劇を忘れないために若者に語り伝える」
=====
過去に起こったことを許すとか許さないという視点で振り返るのではないとマルゴットさん。
「善良な人々が命をかけて私を助けてくれました。誰にでも良いところがあると信じています。これまで300校以上の学校を訪問し、自分の人生について話してきました。
この子たちが過去と何の関係があるのか?祖父母が何をしたかなどは知りたくもありませんし、興味もありません。当時、ユダヤ人嫌いの毒は、子供たちに組織的に注入されていたのです。
今日、反ユダヤ主義について私は何の恐れも感じませんが、理解することはできません。私たちは警戒を怠らないようにしなければなりません。だから、学校の授業でZoom の画面を通して話したり、生徒と対面して伝えたり、ジャーナリストを目指す人達に本を読んであげたりしています。大切なのは、伝えていくことだと思います」
過去の体験を語る度に壮絶な思い出がフラッシュバックして苦しい。一方で語り伝えていくことがセラピーにもなっていると明かすマルゴットさんだ。
「これは私のミッションです。600万人のユダヤ人だけでなく、ナチス政権の犠牲になったすべての人々のために、私はもう話すことができない人々のために話すのです。私は、ドイツの若者のおかげで、信念を持ち、希望に満ち溢れています。それが私の生きる糧となっています。私は、若者たちと話をし、手を差し伸べるためにベルリンへ戻ってきたのです。
あなた方が証人になってください、私はもう長くはいられないので。私は心臓を患っていて、体力が衰えているのを感じます。でも、ここに来てよかったと思います。ドイツは私の故郷です。ここには、私を愛し、支えてくれる素晴らしい友人の輪があります。私は自分のことをドイツ人だと思っていますし、この国に属しています。私は苦しくてつらいとは思いません。それどころか希望に満ちています」
・・・・・・・・・・
こうしてマルゴットさんの歩んできた人生をふり返ってみると、過去と現実を受け止め、どう対応していくか、そしてその中でできることを着々と実行していくこと・・・そんな当たり前のことを改めて思い知らされた。
今回紹介した書籍は、マルゴットさんの100歳(11月5日)を記念して、反ユダヤ主義委員会のサビネ・ロイトホイザー=シュナレンベルガーさんとのインタビューを中心にしてまとめた一冊。2021年はドイツで1700年のユダヤ人の生活を祝う特別な年を迎えたこともあり、これを機に出版された。Ich tue es für Euch
コロナ禍2年目の冬。ドイツでは度重なる規制やロックダウンで疲弊を訴える人が多く、その不満が色々な形で表面化している。年明けにはオミクロン株感染者が急増すると予測されていて、先行き不安な毎日が続く。コロナ感染症の終息はまだまだ先のことになりそうだ。ベストを尽くし前進するのみ、そして力強く生きていきたいと思う。
参考 : Bunte Politik 36 2021