3月25日、1日あたりの新型コロナウイルス新規感染者が10万人を超えたブラジル。
確かにブラジルは世界五位の人口、面積は日本の23倍にあたるが、この10万人と言う数字は昨年のピーク時の約2倍にあたりその状況の悪さを身に染みて実感している。
各州や市ごとに設置されている対策も、国のトップである大統領が経済優先をするために一筋縄ではいかない。 殆どの州でICUが満床、医療崩壊という危機的状況にも関わらず、政治的背景により救えたはずであろう命まで失っている現状に市民の怒りも限界に達した。パンデミックから1年経った今、ようやく大統領は人命優先と言い換えた。
南米最大の都市であるサンパウロ市では、公共交通機関の混雑緩和などを考慮し休日を前倒しした10連休を発表。
"連休"と聞くと旅行に行きたくなるブラジル人の心理は、海岸沿いの町のロックダウン宣言により打ち砕かれた。中途半端だった行政も本格的に動き出したようだ。
|ブラジル音楽の大御所達もワクチン接種
感染者は減らないがワクチン接種は急ピッチで進められ、サンパウロ州では26日、69歳から71歳対象のワクチン接種を前倒で開始した。 ソーシャルメディアではブラジルの統一医療システムを称賛する#vivaosusとハッシュタグをつけて接種する様子をアップする有名人も多い。
世界的にも有名なMilton Nascimento、Chico Buarqueや、トロピカリア勢のCaetano Veloso、Gilberto Gil、Gal Costa、Maria Bethânia、Rita Lee、そして長年の音楽パートナーであるAldir Blancを新型コロナウイルスにて失ったJoão Boscoも接種を行った。
彼らは60年代のテレビの普及と共にブラジルにおいて一つの重要音楽文化となったMPB(ムジカポピュラーブラジレイラ)と呼ばれるシーンの第一線で活躍した音楽家たちだ。シルバー世代となった今でもショーを続け、パンデミックになってからはソーシャルメディアで元気な姿を見せている。
このブラジル音楽黄金期とも言える60~70年代に、最も輝いたと言っても過言ではない歌手がいる。
彼女はもし生きていたなら3月17日に76歳の誕生日を迎え、彼らと同じようにワクチンの接種を受けていただろう。
|国民的歌手 Elis Reginaの誕生
1945年、Elis Reginaはブラジル南部リオグランデ・ド・スルのポルトアレグレに生まれた。
その頃の家庭のリビングではラジオ流れており、ラジオ局には多くの専属音楽家や作曲家が所属していた。歌うことが大好きなElisは、11歳の頃母親にお願いして地元のラジオ番組の子供向けオーディションに連れて行ってもらう。
歌が上手いと評判だったが実は内気だった彼女は、緊張のあまり鼻血を出し、思うように歌えなかった。それでも彼女は諦めず、練習を重ねて翌年オーデイションに再参加。そこで大絶賛を浴び、報酬代わりのチョコレートを貰いながら同番組で歌い続けた。
13歳で地元のラジオ局と初めてプロ契約、あっという間に州内で一番人気の歌手になった。
ラジオ局以外にもバイリと呼ばれるダンスパーティーで夜通し歌いながら、昼間は学校に通うという多忙な生活をして収入の少なかった家族を支えた。学校を辞めなかったのは、母親がElisには将来教師になって、結婚して、子供を儲けて家庭に入ってほしいと望んでいたからだった。この時代、ダンスパーティーやバールで演奏する音楽家は世間でVagabundo(放浪者や怠惰な生活をする者)、更に女性の場合はPuta(売春婦)と呼ばれる程であった。こういった偏見は残念ながら現在でも多少残っている。
|テレビの普及とElisの活躍
地元の音楽仲間と録音した音源を聴いたプロデューサーにより「ブラジル一の歌手になる」と見出され、リオデジャネイロとサンパウロに拠点を移したElisは、テレビの普及により盛り上がった歌謡音楽祭にて若手音楽家Edu Loboが作曲したArrastãoを歌い見事一位に入賞し注目を集めた。
それでもまだ家族全員を呼べるほどの余裕はなく父と一緒に小さなアパートに暮らしていたが、Elisに惚れ込んだプロデューサーの計らいで契約した音楽番組で得た莫大な報酬でマンションを一括購入、服や靴も大量に買い占めた。故郷を離れて1年、まだ20歳のことだった。
この頃には自身のアルバムの選曲を任せてもらえるようになり、名前も知られていない若い音楽家の曲をみつけてきては録音し、彼らの名前を広めていった。Miltonの曲を最初に録音したのもElisだったし、Elisが特に気に入っていたJoão BoscoとAldirの作品も、深い解釈と斬新なアイディアで本人たちを驚かせた。
Elisが与えた影響というのは、歌やパフォーマンスだけではない。こうした若手音楽家の発掘も亡くなるまで続いた。
|「過去よりも今やっていることに意味がある」
小柄な体格にショートカット、タイツ姿で腕を振りまして歌う姿、何よりその生命力溢れた声から、彼女はこれまでの女性歌手のイメージを破壊し、ボサノヴァのミューズNara Leãoとも全く違う位置にいた。
有名になってからも、「見ごたえのあるショーがしたい!」と自ら音楽家、ダンサーを集めて数ヶ月郊外に籠って新しいスタイルのショーを確立したり、長い間ブラジルでの活動がなかったAntônio Carlos Jobim(当時アメリカ合衆国在住)と録音したり、世界的ジャズフェスティバルに出演したりと、過去の栄光に浸らず、休むことなく歌い続けた。
競争心やプレッシャー、多忙な日々、瞬間湯沸かしのように短気だという悪いイメージに悩まされ、どこに行っても問題を起こすようになる。歯茎をむき出しにして見せる笑顔の奥で孤独と闘い、心を許せる人の前では一晩中泣いたりしていたこともあったそうだ。
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|軍事政権と抑圧される表現の自由
Elisだけでなく当時多くの音楽家を悩ませたのは軍事政権下における芸術表現の制限であった。 逮捕、もしくはそれ以上の恐怖と隣り合わせで音楽を続けなければならず、亡命した芸術家も多い。プロテストソングは厳しく規制され、作詞家は比喩的にブラジル国民の自由や強さ、軍事政権への反感を書くようになる。
その代表作ともされるO Bêbado e a EquilibristaはElisによって歌われ、ブラジル音楽史上重要な曲の一つとなった。 Elis自身も軍事政権を批判するような発言をしていたが、軍の競技会でブラジル国家を歌うように圧力をかけられる。最終的に引き受けたことで左翼思想者から批判を受け、彼女は強く後悔し心に深い傷を負った。
プライベートでは数多くの恋愛、2度の結婚に3人の子供、家では掃除や洗濯を熟し仲間に手料理を作るような家庭的な人で、彼女を直接知る人は、口を揃えて「Elisは世間が思うPimentinha*とは違う。」と言っていた。Elisは攻撃的でありながらも人思いで、マリファナ所持で刑務所に収監されていたRita Leeを訪問し、出所するための手助けをしたのもElisだった。
*Pimentinha(小さな唐辛子)とはイパネマの娘の作詞を手掛けたVinicius de Moraesが彼女のつけたニックネーム
|Elis、最後の日
2人目の夫で音楽パートナーでもあったCesarと離婚してから、「歌を辞めてバーを開きたい。友人音楽家たちに演奏してもらって、そこでたまに歌えればいい。」と後ろ向きな話を漏らすようになったElisであったが、この頃の録音は彼女が残した記録の中でもずば抜けて生命力と破壊力に満ちたものだった。
社会の矛盾に対する憤慨だったのか、それとも大好きな歌を無心で歌いたいという一心だったのか。
1982年1月19日サンパウロの自宅、Elisは当時のパートナーで弁護士のSamuel MacDowellとの電話中に倒れた。突然の出来事に自殺、殺人の噂、のちに週刊誌Vejaが表紙に「Elis Regina コカインの悲劇」と題して発表したことが問題となる。
死因はアルコールとコカインの過剰摂取とされていたが、彼女は薬物を常習的に使用していなかった。そのため、使用量を間違えた事故死とも言われるが、いずれにしても36歳という若すぎる死だった。
|Elisの魅力は時代をこえる
ラジオがテレビに代わり、「ブラジルの奇跡」と呼ばれる高度成長と軍事政権という目まぐるしい変化の中で、Elisはいつも最前線で全力で歌っていた。そういった時代背景が人気に影響したこともあるが、私自身、音楽家としての視点でElisを見ても、彼女が偉大な歌手であることがわかる。
Elisは絶対音感とダンスパーティーで学んだパフォーマンス力、一流の器楽演奏家と多くの時間を過ごし、努力で常に自身の表現を進化させていた。名の知れない作曲家、作詞家、器楽演奏家を自分の目と耳で発掘し、アルバムの録音の際も常にスタジオに張り付いてアレンジやバンドの録音にも率先して意見していた。
曲によって声質やブラジルの地方訛りを使い分けたり、ポルトガル語以外のスペイン語や英語の歌も見事に歌い上げることができる。歌詞の解釈や理解、インスピレーションにも富んでおり、1人目の夫でジャーナリストのRonaldo Bôscoliは「彼女より賢い女性は見たことない。」と話している。何より、大変な努力家だった。
Elisの人気は、もしブラジルが波乱の時代でなかったとしても、その実力から確かなものだっただろう。
亡くなって39年経つ今でも、彼女の名前はブラジルポピュラー文化の保持として現れる。
3月28日、子供向けのミュージカル"Pimentinha - Elis Regina para Crianças"がスタートした。歌が大好きなのに内気なElisが初めて地元のラジオ番組のオーデイションを受け国民的歌手になるエピソードをMPBの名曲とともに描いている。4月の間、毎週末に有料ライヴ配信される。企画元のGrandes Músicos para Pequenosはこれまでにもブラジルを代表する音楽家を題材にした子供向けのミュージカルやビデオ配信を行っており、今回のプロジェクトはパンデミック中の芸術支援であるAldir Blanc法やリオデジャネイロ州政府などがスポンサーとなって実現した。
軍事政権の終わりを見ることなく亡くなったElisが、芸術における表現の自由が許される今の時代に生きていたらどんな歌を歌っていただろうか。
声一つ、体一つで歌と向き合い続けた彼女の声を受け継ぐことは、ブラジリダージ溢れるMPBの再評価、そしてブラジルが辿った軍事政権という歴史を見つめ直す大切な機会となるだろう。
【今日の1曲】
軍事政権下を象徴する曲となったO Bêbado e a EquilibristaはElis自身の代表曲ともなった
【参考】
- Elis Uma Biografia Musical Por Arthur de Faria
- Uma História da Música Popular Brasileira / Jairo Severiano

