3月8日は国際女性デー。女性の権利や平等について認識を新たにするための日で、コロナ禍のイタリアでは、多くの女性が賃金格差や性暴力などで被害を受けたとして、今年は例年より意識が高まっているように見える。
2020年10月、イタリア経済財政省は、女性の平均収入は男性のそれのほぼ半分、59,5%にしかならないという驚きの数字を発表した。そして女性の就業率は2019年時点で50,1%、男性と17,9%もの差がついている。さらに驚きなのは南北で女性の就業率に大きな差があること。北部(ロンバルディア、ピエモンテ、ヴェネトなど)では60,4%になる一方で、南部(カンパーニャ、カラブリア、シチリアなど)では33,2%にしかならないのだ。ピエモンテ州トリノに暮らす私の周りのイタリア女性は、裕福かどうかに関わらず専業主婦という人は少なくて、私はイタリアでは女性が外で働くのが当たり前、さすがだなあといつも思っていたが、実はそうでもなかったということだ。
25歳から49歳の女性で、就学前の子供がいる人と子供がいない人では74,3%もの就職率のギャップがあることもわかっている。この数字から、イタリアでもまだまだ「子供の世話をするのはお母さんであるべき」という意識が根強いことがわかる。
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女性と子供の権利を守るイタリアの組織「WeWorld」の調査によれば、2020年、長引くロックダウンや学校閉鎖によって、自分の仕事に加えて家事、ステイホームの子供の世話(オンライン授業の宿題の補助や遊び相手など)、買い物補助などの老人の世話を全く一人でこなさなければいけなかった女性が、約60%にも上ったそうだ(男性は21%)。それは子供の世話だけに限れば実に85%にもなるという。
そして、そのせいで女性の2人に1人が仕事を含む将来のプロジェクトを諦める、または延期せざるを得なくなったという(男性は5人に2人)。
幼稚園や保育施設の充実を図るための予算獲得が、コロナ復興策の中でも最重要項目の一つだと経済財政省事務官がコメントしている。
世界経済フォーラムが発表した2020年世界のジェンダー・ギャップランキングで、日本が世界153カ国中121位につけたことに驚いたのは記憶に新しい。イタリアはと見てみると76位。日本よりはずいぶん上位ではあるものの、ベスト5につけているノルウェー、フィンランド、スウエーデンや10位のドイツ、15位のフランスといったご近所さんたちに比べると、かなり寂しい結果だ。森・東京五輪組織委員会前会長のあの発言にはそれなりに反応していたし、夫婦別性が当たり前で、女性は自分のアイデンティティをしっかり持って生きているように見えるイタリア。だが現実は、「マンマ」という地位と引き換えに、古い常識に縛られる女性たちの姿が浮かび上がってくる。
イタリア語文法の性差別とは
国際女性デーにちなんで、イタリアのジェンダー・ギャップについて、イタリア語の文法という観点から考えてみた。なぜ女性の権利と文法? なのかといえば、イタリア語の文法には、実は性差別的要素があって、改善すべきだ!という声が少なからずあるからだ。当のイタリア女性たちはどう考えているのだろうか。
イタリア語にはフランス語、ドイツ語などと同様、名詞、形容詞、定冠詞に「男性形」と「女性形」というのがある。男性形女性形の簡単な例を挙げると
La mia mamma fa la pizza molto buona.(私のママはとても美味しいピザを作ります)
pizza(ピザ)が女性名詞なので、その前につく定冠詞も女性形単数のLa 。そしてその女性形のピザを修飾する「buonoおいしい」という形容詞も、語尾がaで終わる女性形buonaに変化する。
ところが粉と水で作る同じようなものなのにパンになると
Il mio papa fa il pane buono. (私のお父さんは、おいしいパンを作ります)
となる。パンは男性名詞だから、その前に着く定冠詞はさっきのLaではなくてIlになり、形容詞「おいしい」も語尾が男性形のBuonoとなる。そう、世界中の人々が知っているイタリア語「おいしい=ボーノ」というのは、男性形なのであります。
ピザが女でパンが男ってなんなの?と思うのだが、そういう決まりなんだから仕方ない。
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「WORD-WISE WEB 三省堂の辞書ウェブ編集部によることばの壺」にはこんなふうに書かれている。
「フランス語を含むヨーロッパの言語の大半は、今から 5000~6000 年前にユーラシア大陸の黒海付近で話されていたインド=ヨーロッパ祖語までさかのぼることができる。インド=ヨーロッパ祖語において、名詞は男性/女性/中性の3つのカテゴリーに分類されていたと推定されているんだ。この3つのカテゴリーのうち、男性/女性は雌雄のある生物を示す名詞に用いられ、無生物名詞は中性のカテゴリーに登録されていたと考えられている。」
「後に言語が変化して枝分かれする過程で、中性のカテゴリーに割り当てられていた無生物の名詞の一部が、男性/女性名詞に振り分けられた。なぜそんな振り分けが行われたかというと、無生物や抽象概念を言語で表現するにあたって、それらを擬人的にとらえ、男女のメタファーとして提示する精神の働きが作用した結果ではないかと考えられているんだ」

写真:i stock/designer491
男性女性の分類の他に単数複数という区別もあって、男性名詞の単数形の語尾はoで終わり、複数形はiで終わるという決まりがある(女性単数はa、複数はe)。あるイタリア人の友人が寿司の話をしていて「ウン・ニギロ(un nighirO」と言って笑わせてくれたことがあった。ウンは「1」、つまり彼は「にぎり1個」と言いたかったのだが、1つだったら複数形のiで終わるのはおかしい、と語尾を単数形oに勝手に変えてしまったというわけだ。
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ジェンダー格差の大きさバレバレなイタリア語
そんな男性形女性形の文法の中に、「一つの形容詞で男性形と女性形両方の名詞を修飾する場合は、自動的に男性形にするべし」という、女性からしたらかなり気にくわないsessismo(性差別)的な決まりがある。
例えばこうだ。「1コーラスの中に女性9人男性1人の場合でも、女性が99人男性1人の場合でも、賞賛の言葉はBravi=ブラボーの男性形複数になる」ということだ。
どんなに大勢の女性が頑張っていても、その中にたった一人の男がいるだけで、女性複数形のBraveではなくて男性形複数のBraviと言わなければいけない不平等さ。コンサートなどへ行くたびに、私はいつも引っかかって仕方ない。
参考までに書くと、オペラ会場などで世界中で使われている「ブラボー」という賞賛のかけ声は、イタリア語の「素晴らしい」という意味の形容詞の男性単数形だ。イタリア語に近い発音をするなら「ブラボー」でなくて「ブラーヴォ」。歌ったのが女性ソロなら「ブラーヴァ」、女性が二人以上なら複数形の「ブラーヴェ」にしないといけない。世界レベルでは全てブラボーで通しましょうよ、ということになっていてそれでいいと思うのだが、問題なのはイタリア。さっきも書いたように、大勢の中に男性が一人いるだけで、絶対に男性形(複数)「ブラーヴィ」となってしまうということだ。
おかしいじゃないか。ほとんどは女性なのに。そういう声が近年では増えていて、意識が高い系の人たちは「Brave e bravi」とするとか(レディファーストだから女性形が先)、文章に書く場合は「Brav*」なんて書き方をして、性をはっきり示さない方法も考案されてきているそうだ。
女性であることを堂々と主張する
形容詞の性の一致よりももっとひどい!と意識的な女性たちが声をあげるのが、職業を表すイタリア語についてだ。イタリア語では例えばプロフェッサーはProfessore、女性形はProfessoressa、ドクターはDottoreで女性ならDottoressa。だがそういう女性形が特にない職業名がたくさんある。
「La Reppublica」「Il Fatto Quotidiano」などイタリアのメジャー紙でフリージャーナリストとして活躍する女性、Fabiola Palmeriさんによれば
「例えば市長、という意味のSindaco(シンダコ)。女性が市長になったらLa Sindacaと、前につける定冠詞も語尾も女性形にすべきなのに、そのまま男性形で使われることが多いのです。社長や議長などを意味するPresidenteも、本来ならPresidentessaと言うべきなのにしない。弁護士のAvocatoも大臣のMinistroも男性形のまま。イタリア人は「ひびきが悪い」と言うのですが、そうじゃない、ただ聴き慣れていないだけなんです。今までは男性ばかりが占めて来た職業だから。だからどんどん使うべき」と言う。
日本人の私から見ると、わざわざ女性であることを強調しなくてもいいのでは?と思わなくもないが、イタリア人女性は女性であることを堂々と主張し、その上で男性と対等に渡り合いたい、という考え方なのだろう。テレビのニュース番組では、胸元の谷間が際どく見えるセクシーなファッションで、政治を熱く語るキャスターたちがカッコいい。

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3月8日は女性のお祭り? それとも女性の人権を考える日?
1900年初頭にアメリカやロシアで始まったフェミニズム運動の一環である国際女性デーは、イタリアでは「フェスタ・デラ•ドンナ」、女性のお祭りの日としても親しまれている。
多くの人々が、女性自身も含め「3月8日だけは女同士で出かけていい日、夫や子供を置いて堂々と出かけていい日」という認識だ。25年前にイタリアに来たばかりの頃、イタリア女性たちが女友達と嬉しそうに外食するのを見て、そんなの全然普通のことと思っていた日本人の私は、とても驚き呆れたのを覚えている。25年後の今は、3月8日でなくても女性同士で普通に出かけるようになっているが、家庭の大黒柱として家事に子供の教育に常に奔走する女性たちは、この日ばかりは男性から、または女性同士でミモザを贈り贈られ感謝され、息抜きをする日、そんな捉え方なのだ。ちょっと母の日っぽいね。
そんな実態が、イタリアをジェンダー格差76位に甘んじさせているのではないか。
コロナ禍で経済的社会的打撃を、女性たちがより深刻に被ったイタリアでは、今年、女性の権利やジェンダーギャップについて考えるイベントがたくさん企画されている。
家族を大事にすること、マンマとして家族を愛して愛されることと、女性が自由に羽ばたくことが反意語であってはならない。


