数年前からじわじわと高まっていたイタリア人のパンに対する関心は、今年に入りさらに静かなブームを巻き起こしています。この傾向は、これからのイタリア人のライフスタイル、イタリア料理にも影響するかも知れません。

ロックダウンがきっかけでパン焼きにはまる

春のロックダウンが始まったころ、スーパーの棚から真っ先に消えたのが小麦粉とビール酵母でした。政府のコロナ対策に従って、出来るだけまとめて買い物をするようにすると、毎日焼き立てのパンが買えないのであれば、家で自分で焼いてしまおうという人が増えました。ホームベーカリーを持っている人も珍しくありません。様々な家電メーカーがホームベーカリーやパンを焼くのに適したオーブンを開発していて、家電量販店ではイタリアらしいお洒落なデザインのホームベーカリーが並んでいます。更に、自家用の電動石臼を持っていて、小麦を農家から買って来て、自家製の粉を挽いてしまうパン焼きマニアもいます。

12月9日のローマ版ANSA誌は以下の様に伝えています。

世界中がパンデミックに振り回された2020年、この1年間でイタリア人が最も多くグーグル検索したキーワード、フレーズ、トピックは、亡くなったサッカー選手のディエゴ・アルマンド・マラドーナや、イタリア人俳優ジジ・プロイエッティ、「自宅で髪染めをする方法」と並んで、「パンの焼き方」、「ピッツァの作り方」という検索ワードがランクインしている。ANSA ROMA 2020年12月9日

こうして自分でパン焼きを始めてみて、材料である小麦粉や酵母にこだわり始める人が増え、イタリアでは静かなパンブームが起こっているのです。

イタリアの小麦粉は、大きく分けて2種類、硬質小麦(grano duro)と呼ばれるやや黄色い小麦粉と、軟質小麦(grano tenero)といういわゆる日本の小麦粉に近い小麦粉が主流です。私が住むフィレンツェの気候は軟質小麦の栽培に適しているので、地元の伝統的なパン、パーネ・トスカーノは軟質小麦で作られます。更に、挽きの細かさとふるいにかける度合いにより、0〜2に分けられています。

00=かなり細かい。製菓に適している、
0=コシがあり、パンやピッツァに適している、
1=素朴な歯ごたえのパン作りに適している、
2=半全粒粉パン作りに適している

また、小麦自体がオーガニック栽培であるもの、石臼挽き、W300以上のグルテンを多く含んだ小麦粉など、各メーカーはそれぞれ工夫を凝らして、商品の差別化を図っています。少し大きめのスーパーに行くと、様々な小麦粉が陳列されていて、選ぶのに困ってしまう程です。それらの中で、特に近年の健康志向を受け、有機農法で栽培された小麦を使った小麦粉、また何度もふるいにかけて白く製粉した粉よりも半全粒粉、または全粒粉の売り上げが伸びています。

古代小麦って何?

イタリアではここ数年でgrano antico(グラーノ・アンティーコ)という言葉をよく耳にするようになりました。これは日本語で「古代小麦」と訳される、いくつかの種類の小麦の総称です。「古代」という言葉とは裏腹に、実はこの言葉は近代までイタリアで栽培されていた小麦の種類を指します。戦後から1960年までの間、小麦をはじめとする穀物の大量生産を目的とした大規模な品種改良が行われました。背が低く、収穫前の強風で倒れたりすることがなくて、麦の粒は大きくてタンパク質を沢山含むこれらの小麦は、大量生産の製パンにとても適し世界中にその栽培が広がりました。戦後、イタリアに持ち込まれたこれらの品種改良小麦は、それまで栽培されていた無数の種類の小麦を一掃し、イタリア全国で栽培されるようになりました。
一時期、こうして少ない種類の小麦のみになってしまったイタリアの小麦栽培ですが、近年、昔栽培されていた古代小麦を再び蘇らせるムーブメントが起こっています。

f0106597_06151413.jpg
(古代小麦ヴェルナ 著者撮影)

古代小麦の長所は

・化学肥料がとても効果的な品種改良小麦と違い、古代小麦に対して化学肥料は逆効果となり成長を妨げるため、有機栽培が基本となる

・グルテンの量が少ない(膨らみにくく、製パンに向かないと言われている)。グルテンの摂取過多を防げる。栄養価が高い

・大量生産が難しいため、生産者が中規模、小規模農家で、それ故に小麦の質が高い

ひとくちに古代小麦と言っても、それぞれの地域によって種類が違い、味やパンにした時の食感も変わって来ます。トスカーナで主に栽培されている種類の小麦は、Verna(ヴェルナ)、Gentilrosso(ジェンティルロッソ)、Sieve(シエーヴェ)などです。

どの農家も有機栽培。一度小麦を植えたら、翌年から最低2年以上は豆類や牧草などを植え、土を休ませる必要があります。トスカーナの田舎を旅行すると、牧草しか生えていない広大な農地を見かけることがあります。これは、勿論、家畜のための牧草が必要だからでもあるのですが、小麦の栽培のために土を休ませている状態の場合もあります。こうして時間をかけて丁寧に育てた古代小麦は、農家で直接販売され、殆ど地元で消費してしまうので、余り大きな流通経路には乗りません。

粉にする前の小麦の状態で、品種改良小麦が1キロあたり30セント(約36円)なのに対して、古代小麦は80セント(約96円)とかなり高く売れ流のです。その為、有機栽培に転向して古代小麦を栽培する中小の農家が増えています。但し、農耕面積に対して古代小麦の収穫量はかなり低いので、値段は相応なのかも知れません。

栄養価が高いとはいえ、それでは何故、膨らみにくくて製パンが難しい古代小麦の粉が売れているのでしょうか?

=====

f0106597_06203835.jpg

(石釜焼きのパン 著者撮影)

新しいパンのスタイル

皆さんにとって「美味しいパン」とは何ですか?

ふんわりと柔らかいパン、歯ごたえのあるパン・・・。私は口に入れると小麦粉の香りが広がり、十分発酵しているけれど、しっかりと噛み応えのあるパンが好きです。少量の水分でもグルテンを引き出してまとまっていく通常の小麦粉と違い、古代小麦の粉は水分を多く必要とします。そのままだと、上に伸びずにペチャンとダレてしまうので、型に入れて発酵させます。石窯焼きで焼き上げた田舎風のパンは古代小麦に一番適したパンの種類だと思います。グルテンの膜が余り出来ないので、気泡は小さく、余り膨らまないけれど、ぎゅっと身の詰まった感じのパンになります。天然酵母(マードレ)を使い、古代小麦の粉で焼いた田舎風のパンは冷凍しなくても、焼いてから1週間は美味しく食べられます。

今まで特にこだわりなく白い普通のパンを買っていた人にも、少しずつ半全粒粉、天然酵母、古代小麦というタイプのパンが受け入れられるようになって来たようで、街のパン屋にも大きく書かれた grano antico (古代小麦)、lievitazione naturale con lievito madre (天然酵母で自然発酵)という文字を見かけるようになりました。

古代小麦のパンが普通にパン屋や地元のスーパーのパン売り場で売られるようになったり、良質の小麦粉を求める消費者が直接農家から購入することによって、古代小麦を通じて有機農法、地産地消のサイクルが成り立っています。

実は、イタリア全体ではグルテンアレルギーや糖質ダイエットなどの影響により、パンの消費量は減っているのだそうです。それとは別に、特殊な小麦、上質の小麦粉を取り扱う製粉メーカーは売り上げを伸ばしています。少量でもより質の良いパンを求めるイタリア人のパンや小麦粉へのこだわりは今後益々高まっていきそうです。