今年の秋はわりと暖かかった。だから11月末になってようやく厚手のセーターを取り出してみて、びっくり。穴が開いているではないか! しかもお気に入りのものに限って! カシミアとウールのセーター2枚ずつ、夫のセーターが1枚。人生初の経験だった。
クローズ・モス(clothes moth)には気をつけて、とは聞いていた。最初に教えてくれたインドの友人は、「カシミアや絹のサリーはほとんどだめになっちゃって、本当にがっかりしたわ。あなたも着物に気をつけなさいよ」とアドバイスもしてくれた。だから着物だけは日本の防虫剤を使って気をつけていたけれど、他はとりあえず清潔なら、という程度であまり気にしていなかった。

「衣類が虫に食われた」というのは、こちらでは「クローズ・モスが出た」と表現する。日本語でもイガ(衣蛾)と呼ばれるクローズ・モス(または単にモス)は、成虫でも体長1センチくらいの小さなベージュ色の蛾だ(今回の騒動で1匹だけ見た!)。衣類を食べるのは実は幼虫だけで、イモムシのように手足のない形をしている。カシミアや羊毛など上質の天然素材ほど繊維が柔らかく食べやすいので、被害を受けやすい(趣味のよい虫ではある)。
英国に住むようになって、モスにやられたとたまに聞くようになった。日本ではほとんど聞かなかったけれど、それは気候か何かの違いなのか、それともしっかり防虫剤を使っているからなのか。英国でもまったく未経験という人も多いので、そんなに頻繁に起きるわけでもなさそうだ。
ただモスは外から持ち込まれるので、家の中でも土足で過ごすことのある英国では被害に遭いやすいかもしれない。この国によくある家具付きの賃貸物件で備え付けのカーペットやカーテンから被害に遭うとか、古い建物はモスが出やすいとも聞く。わが家のフラット(共同住宅)は1930年代の建物だし、靴をクローゼットに収納しているのもいけなかったのかしら(だって「玄関」がないんだもの)。
同じ虫なので対処の手順も日本と同じだ。①殺虫剤で部屋からモスを駆除、②被害にあった衣類は処分、③その他は洗濯かクリーニング、④クローゼットや家具類を殺虫・掃除して防虫剤を置く、が基本。一度で駆除しきれないこともあるので、定期的に殺虫剤や防虫剤を追加していく。
見えないところにも卵が潜んでいるので、家中くまなく殺虫・掃除すること。被害に遭いにくい化学繊維の衣類や家具やカーテンも忘れずに。モスは高温・低温に弱いので、衣類を洗濯するなら50度以上(家庭用の洗濯機に高温設定あり)、洗濯できないものはクリーニングに出すかスチーマーをかける、あるいは密封して冷凍庫で一晩から数日寝かせて駆除すること。特に大切な衣類は密封して保管すること。汗や汚れで繁殖するので、衣類を清潔に保つこと。いっそ衣類をすべて化学繊維にするのもあり。
ネット検索や友人知人からの助言で、モス対策の世界が目の前に広がった。衣類を冷凍庫に入れるというのはびっくりしたけれど、衣類はひんやりするだけで凍らないことにも驚いた(水分がほとんどないものね)。
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そのほか、高温のオーブンに衣類を1、2時間入れる殺虫法(燃えないのかな)や、部屋で煙を焚くタイプの殺虫剤(ゴキブリ駆除と同じですね)もあった。今回はどちらも試さなかったけれど、煙タイプはかなり効くらしいので、もし一度で退治できなかったら考えよう。
ところで、こちらで買った防虫剤はあのツンとした嫌な臭いがしない。自然の香りではないものの、ラベンダーをぎゅっと濃縮した感じだ。調べてみると、ナフタリンの使用は2008年に禁止されていた。もともと英国でもナフタリンを使っていて、同じような臭いのするモスボール(moth ball)という白い球状の防虫剤が一般的だったようだ。けれども特に3歳以下の子どもの健康への悪影響があるということで、EUの規則にしたがって今は禁止されていて使えない。英国がEUを離脱した今、今後どうなるかはわからないけれど(英語の記事ですが、ご興味ある方はこちらをどうぞ)。

駆除方法がわかったら、あとは実行するだけだ。と書くと簡単に聞こえるけれど、想像してみてください。衣類をすべて(すべて!)取り出してダメージを調べ、洗濯して干すかクリーニングに出すかして、たたんで、よく掃除したクローゼットに戻す。これだけでどんなに手間と時間がかかることか。そのほかにわが家にはカーペットも布張りのソファもあるし、クローゼットには寝具や布製スーツケースも入っている。
結局、わたしは大がかりな断捨離から始めなければならなかった。片付けが苦手なわたしがずっと先延ばしにしていたことだ。こんなところで突然、自分と向き合う羽目になるとは。逃げ場も時間もない。助けて。
それでなくても12月はあわただしい。英国最大のイベントとも言えるクリスマスが迫るこの時期、カードを書いてプレゼントをラッピングするだけでひと仕事だし、仲間との集まりやクリスマスイベントも増える。わが家には夫や夫の娘や孫の誕生日もあるし、今年はクリスマスまでに終わらせたい仕事が2件もある。モスよ、なぜ今なんだ!

こうして3週間近くかけて、なんとかひと通りの掃除と整理を終わらせた。その間、カードやラッピングペーパー、洗濯ものやクリーニング待ちの洋服、着物、寝具に整理箱、殺虫剤がすべての部屋に散乱しっぱなし。なんとか見つけたスペースでわたしはプレゼントを包み、仕事をし、あちこちに予定の変更をお願いし、夜中に泣きながら着物をたたんだ。謎の熱も出た(仕事はまだまだです。あああ)。
気の重いモス退治の間、友人知人の存在が大きな心の支えだった。モス被害に遭った人は経験談や知識を惜しみなく教えてくれたし、励ましてもくれた。被害にあった者同士、まるでモスを共通の敵にするように話が盛り上がった。被害の経験がなくても、ちょっと話を聞いてもらったり、全然違う話をしたりするだけで気が楽になった。「誰かと一緒にやったら? わたし行こうか?」と言ってくれた人もいた! ありがとう、ありがとう。
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夫もモス被害はやはり初めてだったのだけれど、「ぼくの服は処分するかクリーニングに出すから大丈夫」と妙にのんびり構えていた。洋服に興味がないので、総入れ替えしてもいいくらいの勢いだ。そもそも最初の時点で彼は、「ぼくのセーターの被害は1枚だけだから、ぼく側のクローゼットは掃除しなくていいよね」とのたまったのだった。だめです、クローゼットは中で全部つながってるんだから。今でこそ家の中で靴を脱ぐ夫も、やっぱり衛生観念が違うなあと感じる。
洋服はわかったけど、掃除もずいぶんあるんだよ、と話すと、「何かできることがあったら言って」と言いながら、今度はジグゾーパズルをやっていた。その余裕は何なのだ。あなたの家のことですよ。結局その後の力仕事はほとんど夫がやってくれたので、動くのが嫌だったわけではないらしい。謎だ。

夫はのんき過ぎたとしても、わたしもあわて過ぎたかもしれない。ひと段落してみると、いちばん苦しかったのは他のこともしながら苦手な片付けを急ぐというプレッシャーであって、モス対策自体はただ作業に時間が取られただけだったと思う。それにしても我ながらあんなに動揺していたら、駆除も掃除もずいぶん効率が悪かったんだろうな。
反省モードに入り始めたころ、英国人の友人がこんなことを言った。「穴の開いたセーターを着続けるのも手よね。だって高価な天然素材を着てるってことなんだから。胸を張っていいわよ」彼女は真顔だった。ポジティブというか、エキセントリックというか、わが道を行くというか、なかなか英国らしい発想だ。
虫食いのセーターを着続ける人はこの国にもそうはいないだろうけれど、(ファッションではなく)擦り切れて穴が開きそうな(または開いている)ジャケットやズボンやボロボロのかばんは何度も見ている。日本だと恥ずかしいと思いがちな洋服の穴も、こだわるポイントが他にあるなら、大した問題ではないのかもしれない。
さらにこんな写真もSNSで見かけた。
映画『ブリジット・ジョーンズの日記』や『英国王のスピーチ』に出演して今や英国を代表する俳優のひとりになったコリン・ファース。若き日のコリンの写真をよく見ると、セーターに! 穴が! 開いている!
穴の開いたセーターを着て堂々としている彼を見て、一気に体の力が抜けた。こんなセーターを着ていても、やっぱりコリンはすてきだ。いや、こんなセーターだからこそ、愛おしい(ファンなので!)。まあ、いいか、虫食いなんて気にしないくらい気楽に構えていいんだな、この国では。
少し考えて、わたしは大きく穴の開いたお気に入りのセーターをしばらくとっておくことにした。自分が嬉しければ、家の中で着るくらいいいんじゃないかと思って。もちろん冷凍庫で寝かせて、念のためスチーマーも当ててしっかり殺虫した。いい方法を思いついたらかわいく繕ってみるのもいいな。
そんなゆるい気持ちでいたら、またモス騒動が持ち上がった時にも、もしかして今回の夫のように余裕を持っていられる......かもしれない。