年が明けると、あちこちの店にセヴィル・オレンジが並び始める。セヴィル(Seville)は南西スペインのセルビア地方のこと。セヴィル・オレンジはその名の通り、おもに暖かいスペインから輸入される。見た目はふつうのオレンジと変わらないけれど、英国ではマーマレード作りに欠かせないちょっと特別なオレンジだ。
だから、セヴィル・オレンジの出回る1月には、マーマレードを作ったよという話をよく聞く。わが家でも10年ほど前から夫が毎年作り始めて、この時期のちょっとしたイベントとしてすっかり定着してきた。ちょうど1年前、わたしがコロナにかかったときにも作っていて、家中がオレンジの香りでいっぱいだったはずなのに、嗅覚がおかしくなったわたしにはまったくわからなかったことも、今となってはよい笑い話だ。

気候が不安定な英国ではフルーツや野菜をかなり輸入に頼っているので、暖かい国のものが一年じゅう食べられて便利な反面、日本に比べると季節感に乏しい気がしてしまう。それを考えると、セヴィル・オレンジは旬の短い数少ないフルーツだ。出回る季節は調べてみると12月の終わりから2月中旬らしいのだけれど、地域や店にもよるのかな、わたしにはセヴィル・オレンジは1月のものという印象がある。そのせいか、セヴィル・オレンジを見かけると、正月気分が改まって、さて、1年が本格的に始まるぞという気持ちになる。
南アジア原産のセヴィル・オレンジは豊かな香りと強い酸味が特徴で、そのまま食べずマーマレード作りに使う。日本で言うとダイダイに近いそうで、香りがよいことを考えると、例えるなら柚子のようなものかもしれない。柑橘系なら何を使ってもマーマレードになるけれど、セヴィル・オレンジは苦味が強い分、ペクチンが多くてゼリー化しやすく、マーマレード作りにぴったりなのだそうだ。
ちなみにペクチンとは、フルーツや野菜に含まれる食物繊維のことだ。ジャムの瓶の原材料欄で見る、あれだ。砂糖や酸と一緒に加熱して冷めるとゼリー化するので、ペクチンの多い果実を使うと、トーストに塗りやすいゼリー状のジャムやマーマレードができる。
マーマレード作りには食感も大きなポイントで、ゼリー部分をやわらかく仕上げたいのか、しっかり固まらせるかで味もずいぶん変わってくる。その差をペクチンが決めているというのは、夫がマーマレード作りを始めて知ったことだ。小さな文字でしか見たことのなかったペクチンが、そんなに働きものだったとは!
ペクチンは買うこともできる。自宅で作ったマーマレードやジャムが思った固さにならなければ、これをさささと足すのだ。夫はマーマレードはしっかり固めたい派で、うまくいかないと、瓶に詰めたマーマレードをぜんぶ鍋に取り出して、火を入れ直す。それでもまだ気に入らないと、またぜんぶ瓶から鍋に戻してペクチンを入れて調整する。なかなかこだわっているのである。

=====
伝統的には、この国ではマーマレードは朝食に食べることになっていて、イングリッシュ・ブレックファーストのトーストにもマーマレードは欠かせない。ホテルではイチゴやラズベリーのジャムも一緒に出されるけれど、朝はマーマレード、午後のお茶にはベリー類のジャムというのが基本のようだ。確かにお茶の時間に出てくるスコーンにマーマレードを塗るところはあまり想像ができず、スコーンにはやっぱりジャムが合う(あ、でもマーマレードを使ったケーキはある)。何より柑橘系のさわやかな甘さは1日の始まりにぴったりという気がする。
家庭で作るマーマレードのレシピは限りなくありそうだ。どの柑橘系のフルーツを使うか、他のフルーツを混ぜるか(ベリー系を混ぜるのも味わい深い)、白砂糖で明るい色に仕上げるか、黒っぽい砂糖でコクを出すのか、刻んだ皮(ピール)を入れるか入れないか、入れる場合は厚くカットするか薄切りにするか、リキュールを入れるか(ジン、ラム、ウィスキー、手作りの果実酒など、ほぼなんでも!)、などなど、自分好みの味に仕上げられていく。ここで個性が出るのもおもしろい。
わが家のマーマレードシェフは下戸のくせに料理に酒を使うのが大好きで、マーマレードにも何かしらをたっぷり入れている。スコットランドを旅行したときに雰囲気に飲まれて買い込んでしまったシングルモルト・ウィスキー、わたしの母が漬けた梅酒、本からヒントを得たリキュール。それをなにやら嬉しそうに話すので、友人の間では「お酒を食べる人」と認識されている。

先ほどマーマレードにはゼリーの固さの食感が大切と言ったけれど、皮をどんなふうに刻んで入れるかというのも食感にもちろん大きく影響する。わたしはほんのり苦いピールを噛む感覚が好きなので、皮を厚めに切ってもらっているけれど、夫の娘たちはふたりとも「皮はキライ派」で、彼のマーマレードを食べるときにはピールをよけているらしい(「いらない」と娘に言われたこともある気の毒なパパよ)。
あるとき友人からいただいたマーマレードは、ふるふるとゆるめの食感だった。わたしは厚いピールが好きと言ったけれど、そのマーマレードには薄い薄いピールが入っていた。でもそれがやわらかいゼリーとぴったりマッチしていて、自分でも驚くほど好きになってしまった。きっちり同じ形に刻まれたピールが入ったマーマレードは、繊細でやさしい彼女そのままだった。
=====
この季節には、各地のマーマレード・コンテストの募集も始まる。中でも人気が高いのが世界のマーマレード好きが集うダルメイン世界マーマレード・アワーズ&フェスティバルだ。美しい庭園でもよく知られるダルメインの大邸宅は、水と緑の豊かな湖水地方にある。このコンテストには3000件を超える応募があるそうで、日本の方や団体が入賞したという話もよく聞く。ちょっと調べてみたら、2018年からはなんと日本大会も始まっていた。日本の方もマーマレードが好きなんですねぇ。このコンテストに入賞すると、スポンサーでもあるロンドンの高級食料品店、フォートナム&メイソンからマーマレードを発売するチャンスもあるそうで、熱が入るのもわかる気がする。

これまでマーマレードは味見専門だったけれど、今年はなぜか気分が乗って、夫が作るところを見せてもらった。レモンを絞ったり皮を刻んだりするくらいは手伝ったので、最後に簡単に紹介してみよう。
まずはオレンジを丸ごと茹でる。粗熱がとれたところで二つに切り、果肉を取り出して種をとり、皮を刻む。と書くと簡単だけれど、ここがいちばん時間がかかるところだ。オレンジの茹で時間は1時間半から2時間。手で触れるくらいに冷めるのに30分くらい待つことになる。種をとり出す作業には根気も必要だった。
これに水とレモン汁を加えて火にかけて沸騰させ、さらに砂糖を加えて、焦げ付かないようにかき回しながら煮詰めていく。火を入れる時間は全体で30分くらい。入れる砂糖の量がおびただしくてぎょっとした(オレンジとグレープフルーツ合計7個に対して2キロ!)(追記:すみません、夫が間違えていて1キロだったそうです。それにしても多いけれど!)。でも、保存食にするためは大量の砂糖が必要で、適当に減らすとうまく固まらない。しかたないな、甘くおいしくなるのなら。ふふふ。甘い香りが広がるキッチンで、できあがったマーマレードを想像しながら鍋の中身が少しずつ飴色になっていくのを見守った。
ところが! 沸騰したマーマレードを105度に保って15分煮る最後の工程では、鍋の中に泡がぼこぼこ激しく立って、熱いマーマレード液が勢いよく飛び散るではないか。それでも焦げつかないように、ふたをせずにへらでかき混ぜ続けなければならない。こわい! マーマレード作りは意外と大変なのだった。
できあがったマーマレードは、あらかじめオーブンで消毒しておいたガラスの瓶に詰める。全体が冷めてからの固まり具合がそのマーマレードの本当の仕上がりだ。これを熱いうちに確認する方法もあるようなのに、夫はなぜかそれはしないで、瓶に詰めたマーマレードをたまに振ったりしながら、温度が下がるのを待っている。IHコンロだと温度が高くなりきらずゼリーが固まらない、といつも不満をもらすくせに、変なところでギャンブルしている。今回も思ったように固まらず、鍋に全部あけて煮直していた。
マーマレードを詰める瓶は専用に買ったものもあるけれど、最近では空き瓶を取っておくことが多く、友人が「マーマレードに使って」と寄付してくれることも増えてきた。それに、家族や友人におすそ分けをすると、かなりの確率で瓶が戻ってくる。「再利用してね」と同じくらい、「またお願い」というメッセージを感じるのは気のせいかな。
1月はマーマレード作りの季節だ。クリスマスや新年のイベントが終わってしまったちょっとさびしいこの時期、キッチンから漂う甘い香りにはなんとも言えない幸せを感じる。まだまだ寒いけれど、オレンジのさわやかさが、そう遠くないはずの春も思い出させてくれる。
