エリザベス女王の葬儀も終わり、ロンドンにも日常が戻ってきている。

 これからは国王チャールズ3世の時代になる。それなのに、新国王は即位早々、万年筆のインクが漏れたくらいで癇癪を起こしているところを世界中に発信されてしまった。新国王は大丈夫? という声も聞こえている(インク漏れの動画をご覧になってない方はこちらをどうぞ)

 でも少しだけ待ってほしい。チャールズ国王はこれまでに立場上控えるべき政治的発言や問題発言をして物議をかもしたこともあって、王としてこれから身につけることは多いのかもしれない。昔ながらの貴族らしく気取っていると感じる人も多い。実はわたしも特にファンというわけではない。でも、女王が亡くなってからの一連の行事を観察していて、国王になるのは大変なことだと同情し始めている。

 というのも、女王の喪中だった10日間、同時進行で新国王即位の儀式が次々と行われたからだ。チャールズ国王は、母親を亡くした直後、悲しみの真っ只中で、葬儀に向けた行事に出席しつつ、国内各地でたくさんの人に祝ってもらわなければならなかった。それはふつうの喪中とはほど遠い状態に思えた。

BBCニュースジャパンのTwitter投稿より、エリザベス女王が亡くなった翌日、9月 9日の夜に、英国と英連邦に向けてテレビで放映されたチャールズ国王の初スピーチ(全日本語訳付き)。 内容は主に、母エリザベス女王への追悼と寄せられた弔意への感謝、悲しみを国王本人も共有していること、長男ウィリアムを皇太子とすること、王室を離脱した次男ハリー王子夫妻への愛情、母の例にならって公務に尽くすという抱負など。憔悴した様子で、最後の方で「ママ」「パパ」と言ったあたりは声が震えていた。

 英国の場合、君主が亡くなったその瞬間に王位継承第1位の者がその地位につく。昔の英国を舞台にした映画を観ていると、国王が亡くなると、すぐに新国王に向かって「国王崩御、(次の)国王陛下万歳!(The king is dead, long live the king!)」と側近が叫んだりするけれど、まさにそれだ。これは、「王は亡くなっても政治は継続しなければならない」という古いコモン・ロー(英米法全般、もとは英国の一般的習慣法)の考えだとか、身内であっても王位を争った時代、王がいない間に敵に攻め込まれない手段が必要だった時代からの習慣だとか言われる。悲しみにくれている家族にしてみたら、嬉しくない表現だ。さすがに21世紀の今、エリザベス女王が亡くなった場で「万歳」なんて叫ばなかったと思うけれど(少なくとも報じられてはいない)。それとも、王族にしてみれば当然の習慣で、表現は「万歳」でも不快ではないのかな。

 エリザベス女王が亡くなった日の夕方、バッキンガム宮殿の前で国歌を歌い始めた人たちがいた。彼らも、歌詞のGod save the Queen(「神よ、女王をお守りください」、あるいは「女王陛下万歳」)のQueenの部分をすでにKing(国王)に変えて歌っていた。これも、英国の人たちにとっては単なる決まり文句で、何でもないのだろうか。映画なら客観的に見ることができるけれど、実際に目の当たりにすると、切り替えが早過ぎるようで戸惑ってしまった。

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 すぐに王になったとはいえ、正式な即位布告は改めて9月10日に行われた。ロンドンのセント・ジェイムズ宮殿で「王位継承評議会」という集まりが開かれ、枢密院(現職・元職の下院議員幹部や貴族などで構成)、上級官僚、英連邦諸国の代表を前に、チャールズ3世の即位が布告された。ここでも人々は「国王万歳!」と叫び、トランペットのファンファーレが響き渡り、礼砲が放たれた。女王の死後に一度は半旗になった旗も、この式典から26時間だけ通常に戻されてお祝いモードになった。喪中だけれども。

BBCニュースジャパンのTwitter投稿より、9月10日に行われた王位継承評議会の様子。この式典がテレビ中継されたのは史上初のことだった。この後、ほぼ同様の即位布告の儀式は全国の大きな都市でも行われた。ちなみに、戴冠式までは準備のために少し時間が空くのが通例で、チャールズ国王の式典も来年になりそうだ。

 服喪期間の国王のスケジュールは超過密だった。危篤の知らせを受けてロンドンからスコットランドに飛んだ日に女王が亡くなり、翌日にロンドンに戻ってバッキンガム宮殿でトラス首相と会見。宮殿前に集まった市民から直接弔問を受け、夜には先ほど挙げたスピーチがテレビで放映された。

 その後、葬儀にいたる10日の間に国王が出席した行事は、先ほどの王位継承評議会での式典とスピーチ、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドを訪れての首長との会見(英国はこの3つの「国」とイングランドの「4か国」から成る「連合王国」だ)、議会で国王としての初スピーチ、弔問に訪れた英連邦首脳との会見、女王の棺を移動する葬列に徒歩で参加(エディンバラとロンドンの2回)、それに伴う礼拝への参列と通夜の式典として安置された棺の不寝の番(やはり2回ずつ)、葬儀前日には参列者の各国の元首や首脳を招いて宮殿でレセプションなどなど。合間には、行く先々で弔問に集まる市民と直接言葉を交わしていたし、式典用の軍服への着替えやスピーチの打ち合わせもあっただろう。

 こうして書き出すだけでも目が回りそうだし、それぞれ気の張る場のように思える。いくら自家用飛行機や自家用車での移動といっても、朝ロンドンにいたと思ったら夕方にはエディンバラ、なんていうこともしょっちゅうで、見ているこちらまで慌ただしかった。服喪期間に国王が公の場に姿を見せなかったのは1日だけだった。

 いつかはこの日が来ると覚悟はしていただろうけれども、チャールズ国王はこれを母親が亡くなった悲しみの中でこなした。しかも、新しい英国国王に注目する世界中のメディアがずっと張り付いていたし、市民と接すればたまに、「光熱費の高騰で生活が苦しいのに、国葬にも税金を払うなんて!」と面と向かって文句を言われたり、「(またインクが漏れるといけないから)念のためにどうぞ」とペンを差し出す強烈なブラックジョークに見舞われたりする。ますます消耗しそうだ(ちなみに国王はこのペンを手元に残したらしい。さすが、ジョークのセンスはおありなのね)。

 国王がインク漏れで癇癪を起こしたのはこの多忙なスケジュールの真っ最中だったので、あの映像を見た時、真っ先に「疲れてるんだろうなあ」と思ったのだった。忙しい公務には慣れているのだろうけれど、失礼ながら新国王は73歳だ。

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 それでなくても、チャールズ国王の船出はあまり恵まれているとは言えない。生まれた時から国王になる教育を受けたとはいえ、73歳にして始める新しい人生だ。長く愛され尊敬されたエリザベス女王の後を継ぐのも気が重いだろう。インク漏れで悪態をついた件でも、「女王だったら、どんなに疲れていてもきちんとふるまったはず」と早速比べられている(そして国王には悪いけれど、確かにその通りなのだ)。

 長男のウィリアム皇太子とケイト妃が気さくで人気が高いのはよいことだけれど、「70過ぎたチャールズがなるくらいなら、女王の後はすぐにウィリアムが王になればいい。手間も費用も節約できる」という意見も一時はあったくらいで、国王としては複雑だったかもしれない。一方で、2020年に王室を離脱した次男のハリー王子とメガン妃は、アメリカで次の(おそらく)暴露本を出版することが決まっていて、頭が痛い。

 しかもこの国は国民も手強い。「女王」は(ときどき「チャールズ皇太子」も)例外としても、世間話ではロイヤルファミリーのことはファーストネームで呼び捨てで、それぞれ好き勝手な意見を言い合う。「あれはハリーが悪いよね」「でもメガンもさあ」というように。メディアも日本に比べると忖度がない。例のインク漏れの件も、国営放送BBCでさえ世界に向けて映像を発信したくらいなのだ。厳しい。

ロイヤルファミリーの公式Twitterの投稿より、各地で市民の弔意に直接応えるロイヤルファミリーの方々。女王の葬儀後に7日間続いた家族の喪も開けた。その間、国王夫妻にはしばらく休暇が与えられたけれど、他のロイヤルファミリーたちは葬儀で重要な役割を果たした軍隊や職員たちにお礼の挨拶に回っていた。公務って本当にハードワークだ。

 時代も変わっている。今年5月の調査では、若い世代ほど君主制を「好ましくない」としていることがわかっていて、王室は新しいあり方を考える必要がありそうだ。また国王自身、中東から多額の寄付金を受けたことが夏に報じられたばかりだ。いずれも慈善団体に入金されていて違法でないけれど、関係者に英国籍が与えられた疑惑が残るなど、イメージがよくない。

 こうして並べると申し訳ないほどマイナスからのスタートだ。世間話で新国王の話題になるとよく、「まあ、大丈夫でしょう、カミラもウィリアムもついてることだし」と話が締められる。じゃあ、2人がいなかったら大丈夫じゃないの? と思ってしまうじゃないですか。

 よい知らせは、カミラ夫人は確かに頼もしそうということだ。インク漏れの映像でも、癇癪を起こす国王に穏やかに接して、自分の指についたインクもさらっと手で払って落ち着いていた。国王とは再婚で、王位を継承するウィリアム皇太子の実母ではないため、これまでも「皇太子夫人」ではなく「コーンウォール公爵夫人」という肩書きを使ってきた。チャールズが国王になっても「王妃」と名乗らない予定だったけれど、今年2月に故エリザベス女王にお墨付きをもらったので、これからは正式な「王妃」になる。

ロイヤルファミリーの公式Twitterの投稿より、葬儀の後、数日の休みを経て執務を始めたチャールズ国王。手をのばした先にある赤い箱は、国王が目を通すべき書類を入れる「赤い箱」として知られていて、国王としての執務が始まったことを表している。

 日本の先の天皇陛下(現在の上皇陛下)が退位される時、葬儀と新天皇の即位の準備が並行するのは煩雑、という理由も挙げられた。日本とは仕組みが違うとはいえ、今回チャールズ国王を見ていて、その意味が少しわかった気がする。もちろんご本人も心身ともに大変そうだけれど、準備する周囲も二大行事が重なったら大仕事だ。

 というわけで、大忙しだったチャールズ国王のことは、インク漏れ事件だけで判断せずに、もう少し見守ってあげてみてほしい。わたしも前より応援してしまう気がする。きっとチャールズは大丈夫でしょう、だって「カミラとウィリアムがついているから」。