20歳で初めて語学留学をして以来、英国には何度も来ていたけれど、英国人の夫と暮らすようになって初めて知った食べ物や生活習慣はとても多い。スエットもそのひとつだった。
スエットは牛や羊の腎臓あたりについている脂のことだ。日本語ではケンネ脂というらしい。これを料理に使うと聞いて、脂をわざわざ食べるの? と初めはびっくりしたけれど、考えてみたら日本でも使う牛脂はまさにスエット。自分では牛脂を使った覚えはなかったが、実家では牛肉をいただいたときに使っていたはずだ。熱くしたすき焼き鍋にまず見慣れない白い塊を敷いてから肉を入れるのは、高級なお肉を食べるときのちょっとした儀式のようで楽しかったものだ。

調べてみると日本でもハンバーグや肉じゃがにスエットを使うレシピがずいぶんあるので、スエットはわたしが思ったより日本で使われているのかもしれない。英国では古くからスエットがよく料理に使われていた。バターより安いし、堅くて常温で溶けにくくて使い勝手がいいそうだ。
スエットを使った料理でます最初に思い浮かぶのが焼いたパイ。生地にバターではなくスエットを練り込むと、ビーフやラムの旨味が生地にもなじんでしっかりこくが出る。だから中身はたいてい肉料理で、わたしが英国で最初にスエットに出会ったスエットのもこの焼きパイだった。

スエットを使った焼きパイは見た目はバター生地と変わらないけれど、食感がかりっと仕上がる。そしてとにかくお腹にずっしりたまる。夫はこのずっしり感がたまらないらしく、パイ料理にはスエットがベスト! と自慢げに話す。
「焼きパイ」という言い方がしつこいとお思いになったかもしれないが、実は英国には「蒸しパイ」というジャンルもある。焼きパイと同じような生地で中身を包み込み、何時間もひたすら蒸すスティーム・プディング(steam pudding)という調理法だ。

例えば上の写真のステーキ&キドニー・プディング。代表的な伝統料理だが、最低でも1時間半は蒸し続けるという昔ながらの気の長い調理法のせいか、今では作らない家庭が多く、レストランのメニューにあるのを見ると「おお!」と目をハートにする英国人が多い。蒸しパイには圧倒的にスエットを使う。
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バターと同じ働きをするスエットは、クリスマスに食べるミンスパイやクリスマス・プディングなど、伝統的な甘いパイやお菓子にも使われる。お菓子の場合は蒸す調理法が多く、日本でいう蒸しカステラのようなスポンジ風になり、蒸し時間を長くすると生地がずっしりかたくなっていく。
告白すると、わたしスエットを使った料理がそんなに得意ではない(ついでにいうとバターたっぷりの料理もあまり得意じゃないので、スエットのせいばかりではないと思う)。とにかくやたらにお腹がいっぱいになるし、料理によっては動物性のにおいが気になることもある。だから自分でスエットを使って料理をしたことはなかった。たまに食べるから「なるほどこういう味もあるのね」と楽しめるのであって、それなら夫が作るときだけでじゅうぶんだったのだ、これまでは。
ところがチャンスは突然やってきた。寒波がロンドンを襲って雪も降り続いていた今月半ば、夫が作った鶏の煮込みが大量に残ったことがあった。これをどうしようかと考えていて、ふとダンプリングを作ってみることを思い立った。ダンプリングとはスエットを使った丸めたお団子のこと。ダンプリンが大好きだし、鶏肉と根菜をトマトベースで煮込んだものにこれを入れたら、きっと体がぽかぽかあったまると思ったのだ。
こんな風に突然思いついても、わが家にはスエットが常備されているので大丈夫。自分で料理をしたことはなくても、夫が使うスエットは肉屋で買ってくるものではなくて、この箱だということくらいは知っていた。

(夫が主に使っているスエット、商品名アストラ。オリジナルのこの箱は牛の脂を使ったものだが、菜食主義者が増えているこのお時世なので、なんと野菜から作ったベジタリアン版も売っている。筆者撮影)
初めて使うついでに原材料をじっくり見てみると、牛脂は85%だけで、あとは小麦粉やカルシウムや鉄分が加えられている。それでも、箱に入っているこのスエットはどこのスーパーでも簡単に手に入るし、夫によれば、すでに細かく削られているので便利だそう。肉屋で買えるのはかたまりなので、自分で削らなければならないのだ。

箱から出して触ってみると、少しふんわりしている。脂でぎとぎとかと思いきや、意外にさらさら。
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初めてなので、外箱に書いてあったダンプリングの作り方に素直に従うことにした。スエットにセルフレイジング・フラワー(小麦粉とベイキングパウダーがあらかじめ混ざっているもの)と少しの水を加えて丸めるだけ。なんだ、そんなに簡単だったんだ! そしてできたお団子を鍋に投入。

レシピには20分ほど煮込むとあったので、またまた素直に20分後にのぞいてみると。

こんなに膨らんでいた! これで完成。

ちなみにお団子を割ってみると、中までスープが染み込んでいた。

驚いたのは、わたしが作ったこのダンプリングは、味も香りも動物のにおいが強くかったことだ。しかもわたしのお団子は夫が作るものより小さかった。それとなく訊いてみると、夫は目分量で作って自分の手の大きさに合わせてお団子を丸めているようだ。けものっぽいと思いがちだったのは、スエット事自体ではなく夫好みの味だったのかもしれない。料理は自分の好きなようにやっていいんだな。
この日、油分でますます熱々になったお団子をはふはふ言いながら食べたら、体が芯から温まった。たとえば、熱々の鍋焼きうどんを食べたときのように。スエット料理を懐かしがる英国人たちは、わたしが鍋焼きうどんやすき焼き鍋を食べる家族の食卓にもつノスタルジーをスエットに感じていたりするのだろうか。
*今日のおまけ*
スエットは鳥の大好物でもある。鳥の餌台に置くものとして、スエットに種などを混ぜたものがよくペットショップで売られている。
(単純にボール型のものやあらかじめ木に埋め込まれたものなど、鳥の餌にもいろいろな形がある。筆者撮影)