わたしはサッカー音痴だ。何度説明してもらってもオフサイドが理解できないし、周りでプレミアリーグやヨーロッパリーグの話が始まると目が泳いでしまう。知っているのはプロのサッカー選手は高給取りであることぐらい。
そんなわたしも、実は最近、サッカー選手のファンになった。英国プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッド所属で、イングランド代表でもあるマーカス・ラッシュフォード選手だ。でもファンになったのは試合を見たからではない。彼の人柄にほれてしまったのだ。
初めてラッシュフォード選手の姿を見たのは今年の6月、国営放送BBCの朝の情報番組だった。普通の家の庭のようなところで、彼は「夏休みも学校の無料給食を続けてほしい」と静かに話していた。華やかなイメージのサッカー選手には不似合いな話題だ。「ぼくも無料給食やフードバンク(余ったり寄付されたりした食品を生活困窮者などに配給する活動)のお世話になったから。お腹をすかせた子どもをなくしたい」と淡々と話す彼は、どこにでもいそうな優しい若者に感じられた。
Shooting boots ✔️ pic.twitter.com/u2IyNsNyk2
-- Marcus Rashford MBE (@MarcusRashford) October 18, 2020
イングランドではYear 2(6 -7歳)まで学校給食が無料で、それ以降は有料になる。ただし所得が低い家庭の子は引き続き無料なので、これに頼っている子も多いそうだ。子どもの頃のラッシュフォード選手もこれを利用していたんだな。彼は22歳だから、つい10年ぐらい前のことだ。こういう子たちは学校が休みになると食事に困ってしまう。それなのに、コロナ禍で生活が苦しい家庭が増えたとわかっている今年も、夏休みに無料給食は出ないことがすでに決まっていた。
そこで立ち上がったのがラッシュフォード選手だった。彼は前々から慈善団体と協力して、子どもの食糧問題に取り組んでいたそうだ。人気サッカーチームの選手である彼が無料給食の延長を求める公開レターを国会議員に送ると、世間の注目が一気に集まって、数日後にはジョンソン首相との電話会談が実現。その結果、政府の決定がくつがえって、夏休み中も給食が無料で提供されることになった。ラッシュフォード選手のこの大活躍はBBCニュースの日本語版に詳しく載っている。
この時に社会に大いに貢献したということで、10月には彼は若干22歳にして勲章(MBE/ 5等勲爵士)も受けた。子どもたちのヒーローであるプロのサッカー選手が社会のために行動する姿を子どもたちに示したという意味でも、功績は大きいだろう。
でも、ラッシュフォード選手の活動はこれで終わりではなかった。お腹がすいた子どもがひとりもいなくなるまで貧困と戦う覚悟という彼は、まず夏休み後の10月末のハーフタームにも給食を出すように政府に働きかけた。ハーフタームとは学期の途中にある1週間ほどの中間休みのことで、地域や学校によって多少ずれるが、今年の秋は10月の最終週にしている学校が多い。ところが先週(10月21日)、議会はこの案を否決した。
これを聞いて、お腹がすいた子どもを放っておくなんて! と怒る人が続出した。議案に反対した議員のリストがツイッターで出回り、そんな議員は今後うちには出入り禁止だと張り紙をする店も現れた。政府がやらないなら自分が面倒みるよ、と、自主的に食べものを無料で提供し始めた店や団体も多かった。実施しているのは食品メーカー、スーパーマーケット、フードチェーン店などの大手企業だけでなく、自治体、サッカーチーム、さらには個人経営のカフェやレストランまでさまざま。ちょうどハーフタームにあたる今週、食料品、サンドイッチ、朝ごはん、ランチパック、調理された温かい食事などが英国各地で無料で配られている。
In a shop window in lovely Lancashire pic.twitter.com/VbpNAitzmr
-- C'est La Vie (@WhatsEuroPinion) October 25, 2020
こういう時に支援の手を直接さしのべる英国の文化にはいつも感激してしまう(英国人だけでなく外国人も多い、もちろん日本人も参加している)。政府への反発があるとしても、コロナ禍の影響で自分も楽ではない人が多いなか、当たり前のように困った人を支えようとする。
食事を配る現場には何もシステムはないから、本当に食事に困っている子どもかどうか、はっきりわからない。でも、それでもいいよ、誰でもどうぞ、と全体におおらかだし、子どもだけでなく家庭に食料品を配っているところもある。そしてラッシュフォード選手も、その情報をツイッターで丁寧に何百件もリツイートしている。
もちろん給食反対派も子どもを飢えさせろと言っているわけではなくて、給食のための資金はすでに地方自治体に払っている、という理由を挙げている。継続派によれば、この資金には使い方に制限があってうまく機能しないということらしいが、とにかく今お腹がすいている子どもには、どう考えても今すぐ食べものが必要だ。
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SNS、特にツイッターでラッシュフォード選手の発言を追っていると、子どもたちのことを真剣に考えているのがよく伝わってくる。無料給食がなくなってラッシュフォードはがっかりするだろうね、という国会議員のツイートには「ぼくの話じゃないんだ。助けてと叫び声をあげている子どもたちに説明してあげて」と答え、「子どもたちの声が届かないから代わりにぼくが話している」と語る。困っていると言うのが恥ずかしくて、助けを求められない子どもや家庭も多いそうだ。シングルマザーのもとで苦労した彼の「家に食べものがないのは絶対に子どものせいじゃない」という言葉には迫力を感じるが、それでも「お母さんのためならなんでもする」と言うほどお母さんが好き、というのがほほえましい。
そう、彼はなんだかいい人そうなのだ。ツイッターで子どもたちと楽しそうにやりとりしているのを見ると、もともと子ども好きなのかなあと感じる。試合で負けた時には、「逃げたらファンに申し訳ないのでツイートします。うまくいかなくてごめんなさい、次はもっとうまくプレーします」と潔い態度だし、給食継続に反対した議員への中傷ツイートが出回った時には、「そんなことをしても意味はない、自分をおとしめないで。大切なのは協力して子どもたちを支えることだというのを忘れないで」とフォロワーを優しくいましめる。自分だけでなく、議員も仲間も一緒にやっていこうと人を励ます。
なんてフェアですがすがしいスポーツマンなんだろう。苦労したのにひねくれず、成功してもおごらず、人気者という立場さえ利用して前に向かって歩いている。どこかあどけなさも残るさわやかな笑顔もキュートだし、素直ないい子に育って、お母さんは本当に嬉しいだろう。慈善活動をしているスポーツ選手やセレブは多いけれど、これはやっぱり彼のファンになっちゃうでしょ。
Time we worked together. pic.twitter.com/xFPsgBiPQC
-- Marcus Rashford MBE (@MarcusRashford) October 21, 2020
今、ラッシュフォード選手は、給食の継続や食事券の値上げなどを求める署名運動をしている。10万人の署名で議会の審議が行われるところ、彼の呼びかけに応えてすでに100万人が署名をした。自主的に食事を配る企業や個人の活動が世間で高く評価されているので、政府には社会的プレッシャーもかかっているそうだ。ラッシュフォード選手の活動は、これから政府や社会にどんな影響を与えていくのだろう。
署名運動が100万人を突破した日、ラッシュフォード選手は本業のサッカーの試合でも16分の間に3得点をあげて大活躍だった(これをハットトリックって言うんですね、やっと意味がわかった!)。マスコミもSNSも彼を連日もてはやしているけれど、母親世代の心配性ファンとしては、この頼もしい若者が活躍しすぎて生き急いでいないか、少し気になっている。あまり一気に持ち上げられてマスコミが飽きたり、叩き始めたりするのは見たくない。もともと長期的な視野でこつこつ活動していた彼だから、これからも着実に前に歩いていってほしい。ラッシュフォード選手、いやマーカスくんの将来がとても楽しみなのだ。
ご参考までに、ラッシュフォード選手のツイッターのアカウントは@MarcusRashford、インスタグラムのアカウントは@marcusrashford、
無料給食や子どもに無料で食事を提供する活動のハッシュタグは#EndChildFoodPoverty、#NoChildGoesHungry、#FreeSchoolMealsなど。
おまけ:英国での子どもの貧困問題については、英国ブライトン在住のブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、2019年)でも語られている。息子さんの中学生活という実体験に基づいて書かれたこの名著には、子どものいないわたしにとって目からうろこが落ちるエピソードが詰まっていた。潔いみかこ節もかっこいい。今回の話題にご興味を持った方にはおすすめです。