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カルロス・ゴーンの逃走劇では彼の行為の「全てが悪い」かどうかではなく白黒の間にある曖昧さに注目する TAKASHI AOYAMA/GETTY IMAGES

ポトリッキオ 『THINK AGAIN』で、あなたは曖昧さの重要性に繰り返し言及している。白か黒か、二元的な議論を避ける手段としての曖昧さを、どのように理解すればいいだろうか。

グラント 率直に言って、このスキルは日本の文化のほうが、西洋の文化よりはるかに適している。東アジアの大半の地域では、善には悪が伴うという陰陽的な世界観が主流だ。そうした文化は、周囲の状況に常に敏感でもある。

現代の二極化した社会で意見が対立するのは、多くの場合、自分の考えとその反対という両極端な見方しかできないからだ。私とあなたの間が離れるほど、あなたの視点が実は合理的な視点かもしれないと理解することが難しくなる。

このような状況で、意見が対立している問題をコインの裏表と考えるのではなく、1つのプリズムレンズのさまざまな角度から見ていると考えたいのだ。

例えば、日本でも話題になったカルロス・ゴーンの大胆な逃亡劇。彼は正しいことをしたのか、それとも間違ったことをしたのか。この二者択一しかないように見えるが、人々の意見は大きく分かれている。ここで曖昧さに注目すると、この状況は、実は複数の層になっている。

第1に、最初に問題となった彼の行為はどの程度、間違っていたのか。そもそも彼は何か悪いことをしたのか。第2に、日本の司法制度はどの程度、公正なのか。第3に、彼の逃亡は私たちの信じる倫理にかなうものだったのか。これらを全て分析した上で、彼の全ての行為が「間違っている」かどうかではなく、ある行為は間違っているが、別の行為は正しいかもしれないと考えることもできる。

ポトリッキオ あなたと話していてわくわくするのは、その飽くなき好奇心、つまり常に学び続けている姿勢だ。私が参加している米国務省のグループで、あなたがスピーチをしたときのことを覚えている。あなたは本当に真摯で、自分がより良くなること、自分を高めることを何よりも考えている。発想を転換して、社会的、文化的レベルで考えるためには、どのような環境が必要だろうか。社会や国、政治体制、宗教などに、何か人々に再考を促すような特徴があるのか。

「再考」に適した日本的価値観
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