最新記事

医療支援

いとうせいこう、ハイチの性暴力被害専門クリニックを訪問する(10)

2016年8月4日(木)17時10分
いとうせいこう

MSF『私の手を握ってクリニック』の看板(スマホ撮影)

<「国境なき医師団」の取材で、ハイチを訪れることになった いとうせいこう さん。取材を始めると、そこがいかに修羅場かということ、そして、医療は医療スタッフのみならず、様々なスタッフによって成り立っていることを知る。そして、性暴力被害専門クリニックを訪問する>

これまでの記事:「いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く
前回の記事:「いとうせいこう、ハイチの産科救急センターで集中治療室の回診に同行する(9)

細心の注意を払って

 3月29日(たぶん)、俺たちは朝7時半の便(四駆)でコーディネーション・オフィスへ移動することになっていた。同乗者はオランダから来た小児科医のヘンリエッタプント、そしてその日から任務地を変えるスーダン出身のモハメッド・アリ・オマール

 出かける前にダイニングで朝食を摂り終えると、ポール校長は珍しく俺を見送る仕草を見せ、まずにっこりこう言った。
 「楽しんできてくれ」
 意外な言葉だと思った。なぜなら俺がその日訪問するのは性暴力被害専門クリニックだったから。

 無言でうなずく俺に校長は今度はしっかりと噛みしめるような言葉つきで言った。


「ただし、極度に注意を払うことが君に要求されている」

 俺もしっかり声を出して返事をした。
 「はい。わかっています」

 コーディネーション・オフィスまで行って車を乗り換え、俺と谷口さん、そしてリシャーはそこから20分ほどの鉄扉の前まで移動し、開けてもらった二階建ての建物の前に立った。俺のミッションはきわめて重かった。

 『CLINIQUE PRAN MEN M』とクレオール語で書かれた看板が車庫の入り口にあった。クリニックの後ろは『私の手を握って』と訳せるのだとリシャーは小声で教えてくれた。

 建物の外階段から静かに2階へ上がった。すぐに出てきてくれたのはMSFのTシャツに青いズボンをはいたアンジー・カラスカル・マルドナードという女性で、コロンビア出身であることはすでにイースターのランチで知っていた。背の小さな、けれどパワフルに動く人で確か2004年から現地プロジェクトに参加したあと、今度は海外派遣スタッフとして南スーダン、ネパール、スワジランドを経てハイチに入った強者だった。彼女が性暴力被害専門クリニックのプロジェクト・リーダーを務めていた。

 招き入れられてロジスティックの部屋を通り、政府の保険教育担当の部屋に行く。小さな間取りの中でソファに座り、外の擦りガラスから差す日が白い内壁に反射する中、コーヒーをもらいながら話を聞いた。

 前年5月からオープンしたその場所には、一ヶ月に4、50人以上の被害者が来るのだそうだった。望まぬセックスを強要される者たちの半数は18歳以下で、中には幼い少年もいた。駆け込んでくる被害者を受け入れたクリニックでは、最初期に避妊とHIV対策をし、家庭内暴力などで帰る場所がないのなら隣にある施設へと入居してもらって、そののちに地域の救援組織へと橋渡しするのだそうだ。

 「男性の中にはこの場所に反感を持つ人もいるでしょうね」
 谷口さんはそう質問した。

 アンジーは何度もうなずき、
 「だからシェルターが必要なの」
 と答えた。二人の女性の間にはやるせなく、しかも許しがたいものへの静かな怒りのようなものが感じられた。俺は男ながら、その感情に連鎖し、少しでも理解を伝えたかったので、短く控えめにこう言った。

 「日本でも同じです」

 隣の建物に設けられたシェルターには、最大8人の被害者が暮らせるそうだった。

 医師と臨床心理士、ソーシャルワーカーが一体となって、彼らのケアを続けており、その他に前日俺が産科救急センター、CRUOで見たような啓蒙活動を政府の保健教育担当が続けているのだそうだった。

 性的な暴力がどれだけ人間を破壊してしまうか、人は人の性的な道具ではないこと、またもし被害に遭ったら駆け込むべき場所があること。それらを今は国の機関と共に伝えているのだというアンジーは、出来れば早く国全体に広げたいし、それこそが自分たちのゴールだと言った。実際、MSFはラジオでもスポット広告を打っているそうだ。

 目をくりくり動かし、時々思わぬところでコロコロ笑うのがアンジーで、おかげで取材の緊張と気詰まりを解いてもらうことが出来た。少しずつ俺はリラックスして質問するようになり、コンゴ民主共和国の首都キンシャサで学んだという女性医師、ジーンズとTシャツ姿のヨニー・ヨワに紹介してもらって、さらに細かい情報を受け取った。アンジー自身は非医療従事者だった。

ito2.jpg

(性暴力被害クリニック)

今、あなたにオススメ

関連ワード

ニュース速報

ビジネス

米国株式市場=小反発、ナスダック最高値 決算シーズ

ワールド

トランプ氏、ウクライナ兵器提供表明 50日以内の和

ワールド

ウへのパトリオットミサイル移転、数日・週間以内に決

ワールド

トランプ氏、ウクライナにパトリオット供与表明 対ロ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:AIの6原則
特集:AIの6原則
2025年7月22日号(7/15発売)

加速度的に普及する人工知能に見えた「限界」。仕事・学習で最適化する6つのルールとは?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「史上最も高価な昼寝」ウィンブルドン屈指の熱戦中にまさかの居眠り...その姿がばっちり撮られた大物セレブとは?
  • 2
    真っ赤に染まった夜空...ロシア軍の「ドローン700機」に襲撃されたキーウ、大爆発の瞬間を捉えた「衝撃映像」
  • 3
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別「年収ランキング」を発表
  • 4
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 5
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首…
  • 6
    【クイズ】次のうち、生物学的に「本当に存在する」…
  • 7
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 8
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップ…
  • 9
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 10
    日本より危険な中国の不動産バブル崩壊...目先の成長…
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 4
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...AP…
  • 5
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 8
    エリザベス女王が「うまくいっていない」と心配して…
  • 9
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 10
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中