コラム

異文化の中で勝ち抜いた松井秀喜選手

2010年02月22日(月)11時58分

 メジャーに渡った日本人選手が、どのようにアメリカという異文化の中で「キャラ」を作ってゆくのか、そのスタイルには色々なパターンがあるようです。保守的な日本球界から飛び出してきたというイメージ(野茂英雄選手など・・・本心はともかく、そうしたイメージで受け止められています)、異能の人ゆえに米国の常識から逸脱しても(出塁より安打)許されているイチロー選手、芸能人風のキャラで今でもファンに記憶されている新庄選手など、色々です。

 その中で松井秀喜選手の場合は、独自のスタイルを一貫させてきており、アメリカという異文化への対処法としては、非常にユニークだということが言えるでしょう。それは、弁解しない、自己の利益を主張しない、礼儀を徹底的に重視するという姿勢です。そのスタイルを象徴する最大の実例は、今回のヤンキースからエンゼルスへの移籍という事件だと思います。

 昨シーズンの末に、ケガの不安を抱える松井選手が、複数年契約、守備機会の保証を求めてくると、ヤンキースは難色を示しました。カネではなく信頼を、ケガを克服し守備を含めた年間出場で完全復活を、という松井選手の要求は、十分過ぎるほど分かっていたはずです。ですが、また人気チームとはいえ、経営資源は無限ではないヤンキースにとって、そのくせ常勝を宿命付けられた経営陣は、松井選手の「リスクを取る」姿勢には乗れなかったのです。松井選手側はリスクを取る気概を示し、ヤンキースはそのリスクが取れないと正直に述べ、松井選手は名誉を、ヤンキースは不名誉ながらリスクの低減を手中に収めたのです。

 ワールドシリーズ最終戦における松井選手の大爆発は、こうした交渉経過に対する「余りにも劇的な、そしてニューヨークのファンの全てを黙らせる」一撃でした。結果としてワールドシリーズMVPを手にした松井選手ですが、それでもヤンキースの交渉姿勢を翻意させることはできませんでした。むしろ、交渉の流れは事前に決まっており、最終戦での大活躍は、自分としての「最後の美学」だったということもできます。

 この移籍劇が印象深いのは、結果的に移籍という事態になったにしても、心理戦において、松井選手は異文化であるヤンキースの経営陣、そしてヤンキース・ファンの世論に対して、一歩も譲らなかったという点です。全ての戦いのポイントにおいて、つまり「どちらがより善良なる存在とされ、精神的な名誉を勝ちとるか?」という心理戦において、一歩もスキを見せず、最終的に自分の意志が通らなかったことに対しても、それを受け入れ、更に最終戦の活躍であらゆる貸し借りを帳消しにして、鮮やかな印象を残して去ったのです。

 その中でも特筆に値するのは、「リスクテイク」に対する文化的なステレオタイプをひっくり返してくれたことです。完全復活へ向けて「守備機会」の追求にこだわり、複数年契約で長期の責任を背負おうという松井選手は、個人としても大きなリスクを取ろうとしました。これに対して、ヤンキースはそのリスクが取れなかったのです。これは、時としてリスクから逃げがち、そんなイメージを自他共に持ってしまっている日本人が、決してそうではないということを示してくれた一方で、好き勝手のできていたアメリカの会社組織も、金融面で脆弱になるとリスク回避に走るということを暴露した一例だと思います。

 思えば、ヤンキースとの交渉自体が決裂覚悟のリスクテイクでした。そして松井選手は、リスクを取るということは自爆覚悟の蛮勇ではなく、実は代替案の周到な追求である、ということも教えてくれました。赤いエンゼルスのユニフォームを着た、松井選手の堂々とした姿は、そうした一連のドラマを通じて松井選手がまた一回り大人になったことを示していると思います。アメリカのメジャーリーグも、キャンプインの季節がやってきました。今年のメジャーは、特にアメリカンリーグの勢力地図は、この赤ゴジラが引っ掻き回してくれそうです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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