コラム

シーア派指導者処刑はサウジの「国内対策」だった【サウジ・イラン断交(前編)】

2016年01月08日(金)16時20分

 シーア派へのテロで「ISナジュド州」が犯行声明を出したと言えば、ISがサウジに拡散したように見えるが、「戦闘的サラフィー主義」というISの思想的な根っこは、もともとサウジが発信地である。2500人がISに参戦しているとすれば、サウジに残っているIS支持者はもっと多いということになるだろう。

 ISは自分たちのことを、イラクを支配するシーア派主導政権や、イランやレバノンのシーア派組織ヒズボラの軍事支援を受けるシリアのアサド政権を「敵」として戦う「ムジャーヒディン(イスラム戦士)」と考えている。サウジ国内に残っている戦闘的サラフィー主義者が、アルカイダやISという形をとって、国内のシーア派を攻撃し、さらにサウド体制を「イスラムの敵」として攻撃するジハード(聖戦)の動きが広がることは、サウジにとっては深刻な脅威となる。

強硬派宗教者の処刑の背後の危機感

 サウジ政府が、戦闘的サラフィー主義のイデオローグであるザハラーニ師を拘束から10年以上を経てアルカイダのメンバーとともに処刑したことは、ISによるテロが続いたことへのサウジ政府の危機感と、今年もISやアルカイダに対して強い姿勢で臨むことを示したものである。シーア派の宗教者のニムル師を、ザハラーニ師と一緒に処刑したことは、2011年と2015年の状況の変化の中で考える必要がある。

 ニムル師自身はアムネスティ・インターナショナルの報告書にもあるように、穏健派であり、カティーフではISによるテロが起こったが、それで地域に反政府的な動きが起こっているわけでもない。ニムル師処刑後も抗議の動きはあったが、治安部隊が出動するような動きにもなっていないし、ニムル師の家族は人々に平静を呼びかけているとの報道も出ている。

 サウジ東部に集まっているシーア派は「アラブの春」に呼応してデモを行い、治安部隊に抑え込まれたが、イランとつながって騒動を起こすような状況ではない。私は2008年にサウジを取材した時に、単身カティーフを訪れ、シーア派の関係者を取材したことがある。その時はサウジの中でシーア派を含めた国民対話集会が始まり、2005年には地方評議会選挙が行われ、シーア派議員が多数を占める地方評議会が生まれ、カティーフの空気は想像していたよりも明るいものだった。

 もちろん、「アラブの春」でのデモが弾圧されたことで、状況は変わってくるだろうが、サウジのシーア派は少数派であり、サウジ体制に真っ向から反発したり、挑戦したりするよりも、自分たちの少数派としての権利を認めさせるという傾向が強く、人口の多数を占めるバーレーンのシーア派が、政治参加を通して政治の根本的な変革さえ視野に入れているのとはかなり空気が違うという印象を持った。

体制の危機にはならない国内のシーア派

 逆に言えば、サウジのシーア派は体制にとっては深刻な脅威にはなりえないということである。それでもサウジ内務省がニムル師を処刑した第1の理由は、ザハラーニ師処刑でサウジのスンニ派の強硬派からの反発を警戒して、スンニ派厳格派を標的にして弾圧している印象を緩和するために、シーア派宗教者も付け加えたのではないか、と私は理解している。

 サウジのスンニ派国民の間には、イラクではシーア派民兵がスンニ派民衆を迫害し、シリアではヒズボラやイランの革命防衛隊がアサド政権を支援して多くのスンニ派民衆を殺しているというイメージが広がっている。シーア派宗教者を処刑することでシーア派敵視のスンニ派の民衆感情にすり寄るという意識もあったはずだ。

※【サウジ・イラン断交(後編)】本当の危機は断交ではなく、ISを利する民衆感情の悪化 はこちら

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

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