コラム

年末年始はアラブ映画で

2013年12月28日(土)15時14分

 今年の年末は、なかなか興味深い中東映画が上映中である。

 年末年始にゆっくり鑑賞する映画、というと、2週間前に逝去したピーター・オトゥールの「アラビアのロレンス」(3時間半!)が思い浮かぶ。だがハリウッドが描く中東ではなく、中東に住む人々が自分たちの社会を描いた映画を見ながら新年を、というのも悪くない。

 なかでも筆者のお勧めは、パレスチナ人ラッパーたちを描いた「自由と壁とヒップホップ」だ。以前にこのコラムでも紹介させていただいたことがある。

 2008年、パレスチナ系のアメリカ人女性監督、ジャッキー・リーム・サッロームによる作品で、イスラエル領内や占領地のパレスチナ人ラッパーたちの行動と生活に密着する。登場するラッパーたちの生き生きとした姿には、ただ元気をもらえるし、アビールやArapeyatといった女性もいて、とにかくカッコよい。

 なによりも感動するのは、ここで主人公的な役回りのグループ、DAMが、イスラエル領内のパレスチナ人ラッパーと、長くイスラエルの占領に苦しんでいるパレスチナ自治区のラッパーたち、特にガザ在住のラップグループのPRを呼んで、パレスチナ人ラップ大会を西岸で開催しようと計画するところだ。

 イスラエルのリッダに住むDAMや、アッカに住むマフムード・シャラビといったパレスチナ人は、1948年にイスラエルが建国されたとき、そこにもともと住んでいたが領外に追い出されずに残った人々だ。建国時に「そこにいた」以上、イスラエルは彼らに国籍を与えたが、ユダヤ人の国として建設されたイスラエルでは、非ユダヤ教徒のパレスチナ人には明らかに二級市民扱いがなされている。「パレスチナ人だとみれば、自爆テロ犯じゃねえかって、バスに乗るたび白い眼で見られるもんさ」と、映画のなかでシャラビがこぼしている。

 一方で、ガザや西岸に住むパレスチナ人は、イスラエル建国時に領外に追い出されてイスラエル「国民」にはならなかったが、1967年にイスラエルに占領されて、同じくイスラエルにより二級市民(あるいはさらに下)に位置付けられた人々だ。

 DAMらラッパーたちが行おうとしたのは、同じイスラエルというユダヤ国家のもとで迫害されているパレスチナ人同士、繋がろうじゃないか、という試みである。いや、政治家たちが主導してきた「パレスチナの大義」のように、大上段に構えたものじゃない。ラッパーたちの、「いっちょ集まろうぜ!」という、わくわくするようなノリが皆を突き動かしているのだ。

 映画では、DAMがパレスチナ人の子供たちに対して、ラップの歌い方、作り方を教えるところがあるのだが、それこそが音楽のもつ力をビビッドに表している。現状に対する不満、憤り、将来への不安・・・・。イスラエル国内と占領地でパレスチナ人たちの若者が抱えるあらゆる鬱屈を、爆発するまで押し込めようとする現実の政治に対して、握りしめた拳をマイクを握る手に変えて、体を爆発させるのではなく声と言葉を爆発させて、パレスチナ人社会に一石(本物の石じゃなく)を投じる。

 印象的なのは、こんな「一見イカれた兄ちゃん」たちに、周辺のパレスチナ社会がとても暖かく、誇りに思っていることだ。彼らがパレスチナのラジオ局に出演するシーンがあるのだが、年配のDJが滅茶苦茶「お堅い」標準語のアラビア語で、ラッパーたちを丁重に紹介するのが、笑える。しかも、「先生」という敬称までつけて。

 アラブ文学研究者の友人、山本薫さんにこの映画のことを教えてもらった2009年、あまりに感動したので2人でサッローム監督を日本に招聘して、特別に英語版を上映させてもらった。渋谷「アップリンク」の会場80席、わずか一回の上映に、集まった人数は200人を超えたのではないか。急遽アップリンクにお願いして、2回の上映とした。上映後は感動の嵐で、ぎゅうぎゅう詰めになりながら見た人たちは深夜まで熱く感想を語り合っていた。あれから日本語版ができるまで、3年という月日が経ったが、その感動は変わらない。

 ピーター・オトゥール演じる「アラビアのロレンス」は、映画の終盤でファイサル国王に「取り引きは老人の仕事だ、若者は戦い、戦いの美徳は若者の美徳だ」と言われて、パレスチナの地を去る。「自由と壁とヒップホップ」を見ていると、「老人の取り引きはうんざりだ、若者は音楽で戦う」と言うラッパーたちの声が、聞こえる。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

アングル:「高市トレード」に巻き戻しリスク、政策み

ワールド

南アフリカ、8月CPIは前年比+3.3% 予想外に

ビジネス

インドネシア中銀、予想外の利下げ 成長押し上げ狙い

ビジネス

アングル:エフィッシモ、ソフト99のMBOに対抗、
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェイン・ジョンソンの、あまりの「激やせぶり」にネット騒然
  • 2
    「日本を見習え!」米セブンイレブンが刷新を発表、日本では定番商品「天国のようなアレ」を販売へ
  • 3
    中国は「アメリカなしでも繁栄できる」と豪語するが...最新経済統計が示す、中国の「虚勢」の実態
  • 4
    ケージを掃除中の飼い主にジャーマンシェパードがま…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 7
    腹斜筋が「発火する」自重トレーニングとは?...硬く…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「リラックスできる都市」が発…
  • 9
    「この歩き方はおかしい?」幼い娘の様子に違和感...…
  • 10
    「なにこれ...」数カ月ぶりに帰宅した女性、本棚に出…
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 4
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 5
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 6
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 7
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    埼玉県川口市で取材した『おどろきの「クルド人問題…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 10
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story