コラム

戦下でタフに生きる人々

2010年01月20日(水)14時17分

 興味深いアラブ映画を、2つ見た。ひとつは在英イラク人ドキュメンタリー監督、メイスーン・パチャチによる「Open Shutters Iraq」という作品。最近完成したもので、イラク戦争後に普通のイラク人女性たちを国外に呼んで、彼女たちのライフ・ヒストリーを聞き取る、その過程を映したドキュメンタリーである。メイスーンは、イラク戦後ブッシュ政権が戦後体制の中核に、と考えたこともあるイラクのベテラン政治家の娘だ。

 経済制裁や戦争、内戦の被害を最も被ってきた女性たちは、あまりに悲惨な過去のため、記憶を封印している。それを安全な場所でひとつひとつ、トラウマを解きほぐす。完全武装の米兵たちが突然家に押し入ってきたときの恐怖、子供たちが誘拐されて身代金を払ったのに帰ってこなかったときの話、姑家族との不和、居場所を転々とした話、などなど......。

 どれも、辛くて聞いていられないような経験談だが、驚くべきは、彼女たちがいずれもものすごく前向きなことだ。過去があまりに悲惨だっただけに、どんな環境でも将来のことを考えて生きていくしかない。「いつ殺されたってかまわない、私は自分の人生を自由に生きる」といった決然とした言葉も飛び出す。彼女たちはその後イラク国内に帰るのだが、実際そのうちのひとりは戦争で使用された劣化ウラン弾の影響で命を落とし、もう1人は武装勢力に襲われて死んだ。

 人間、究極の状況を長く強いられると、泣いたり叫んだりするより、笑い楽しんで人生を前向きに生きるしかない、と吹っ切れるようだ。もうひとつの映画、「Slingshot Hip Hop」もそう。こちらはパレスチナ系アメリカ人監督のジャッキー・サルームが二年前に撮った作品だが、登場するのは西岸・ガザの占領地やイスラエル本土に住むパレスチナ人のラッパーたちである。イスラエルからの攻撃に曝され続け、占領されて牢獄にいるような環境のなか、そこに住むパレスチナ人の若者たちがラップで政治や社会を糾弾し続ける。

 水タバコを片時も手放さない、一見「イカレた兄ちゃん」風のミュージシャンたちの家には、アメリカのヒップホップのCDとアラブ文学の本が山積みになっていて、それを親たちは誇らしげに自慢する。ソバージュの長髪を振り乱して歌う女性ラッパーもいれば、フロアにはスカーフを被ったきちんとした身なりの女の子たちが、ラップに合わせて踊ったりする。そこで歌われる歌詞は、「テロリストって誰のことよ、俺たちがテロリストってか?」といった具合。音楽が実にビビッドに中東や世界の政治を反映しているのだ。

 戦争の被害を被った人々は、心底傷ついている。でも傷ついて身動きがとれなくなっているのではない。叩かれれば叩かれるほど、びっくりするほどポジティブに人生を生きていこうとする。そのバイタリティーと底力が中東社会にあるところが、おもしろい。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

LSEG、第1四半期決算は市場予想と一致 MSとの

ワールド

北朝鮮製武器輸送したロシア船、中国の港に停泊 衛星

ビジネス

大和証G、1―3月期経常利益は84%増 「4月も順

ビジネス

ソフトバンク、9月末の株主対象に株式10分割 株主
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 2

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴らす「おばけタンパク質」の正体とは?

  • 3

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗衣氏への名誉棄損に対する賠償命令

  • 4

    心を穏やかに保つ禅の教え 「世界が尊敬する日本人100…

  • 5

    マイナス金利の解除でも、円安が止まらない「当然」…

  • 6

    ワニが16歳少年を襲い殺害...遺体発見の「おぞましい…

  • 7

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    中国のロシア専門家が「それでも最後はロシアが負け…

  • 10

    ケイティ・ペリーの「尻がまる見え」ドレスに批判殺…

  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価」されていると言える理由

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 5

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 6

    医学博士で管理栄養士『100年栄養』の著者が警鐘を鳴…

  • 7

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ…

  • 8

    NewJeans日本デビュー目前に赤信号 所属事務所に親…

  • 9

    「たった1日で1年分」の異常豪雨...「砂漠の地」ドバ…

  • 10

    「誹謗中傷のビジネス化」に歯止めをかけた、北村紗…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 10

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story