アステイオン

ジャーナリズム

シナトラと清原和博──情報がスピード化する世界で、取材者の居場所はあるのか?

2023年03月22日(水)08時08分
鈴木忠平(ノンフィクション作家)
フランク・シナトラ

Kraft74-shutterstock


<足を運び、証言を集め、洞察する......ジャーナリストの仕事は、速度が増す時代には手間がかかりすぎる。しかし、時間をかけたものの価値が上がるとはどういう意味か>


テレビにせよ、ウェブサイトにせよ、ニュースのトピックスを見ていて、おや、と思うことがある。誰かがSNSを通じて表明したことがそのままヘッドラインに並んでいることがあるからだ。

私はこういう人間である──政府が公式発表をするように、今や誰もが自分自身についての見解を表明できる時代である。そんな昨今、思い出したように手にする本がある。

有名と無名』。1960年代、ニュー・ジャーナリズムの旗手と言われたアメリカのノンフィクション作家ゲイ・タリーズの短編集である。

全五編の中でもとりわけ幾度となく読んだのが冒頭に収録されている『Frank Sinatra has a cold(フランクシナトラ風邪をひく)』である。タリーズの代表作にして、ニュー・ジャーナリズムを象徴するといわれている作品だ。

フランク・シナトラはイタリア移民の子としてニュージャージーに生まれ、20世紀を代表するエンターテイナーへとのし上がった人物である。当時、30代のフリージャーナリストだったタリーズは雑誌社の依頼を受けて、芸能界の大物シナトラへのインタビューをすることになったという。

準備をしてロサンゼルスに向かった。ところが、インタビュー前日になってシナトラの事務所から断りが入った。新聞にマフィアとの関係を取沙汰されて憤慨していること、何より、風邪をひいて機嫌を損ねていることが理由だという。つまり、タリーズは目当ての人物の肉声が取れないところからスタートせざるを得なかった。

本人の独白の代わりにタリーズが用いたのは、シナトラの周囲にいる関係者たち──プロデューサーから用心棒、カツラ係、交際した女性から行きつけのレストランの主人まで──の膨大な証言と、徹底した洞察だった。作品の冒頭、会員制クラブのバーでの場面はよく知られている。

片手にバーボンのグラス、片手に紙巻きタバコ。フランク・シナトラは暗いバーの一画に立っていた。両どなりには、美人だがいささか年かさのブロンド女が座り、シナトラが声をかけてくれるのを待っている。(中略)二人のブロンド女にはわかっていた。シナトラを守るように立つ四人の男にもわかっていた。御大がこういう沈黙に沈んでいるときは、無理に口を開かせようとするものじゃない。五〇歳の誕生日を一月後に控えた一一月の第一週、シナトラはふさぎの虫に取りつかれていた。
『有名と無名』青木書店、14-15頁

バーカウンターの一隅からシナトラを洞察しているのは著者本人であり、自分を視点人物として舞台裏での寡黙で不機嫌なシナトラと周囲を取り巻く人間たちとの主従関係を切り取っている。またシナトラを表現する一文一文が関係者への取材の積み重ねによって書かれていることがうかがえる。例えば側近の一人を描写したこんな文章である。

PAGE TOP