World Voice

ミャンマーでエンタメとクリエイトする日々

新町智哉|ミャンマー

2022年2月22日に観るミャンマー国民のささやかな抵抗の実情

今年の2月22日14時頃ダウンタウンの様子

皆さんこんにちは。
ミャンマーはヤンゴンより新町がお届けしております。
遂にロシアのウクライナ侵攻が始まってしまいました。
東京渋谷でロシアの暴挙に反対するウクライナ人の方々のデモの様子をジャーナリストの北角氏が発信してくれていました。

日本の皆さんにはこの姿はどのように映るでしょうか?
私にはミャンマー人の人々が日本で、そして世界で訴えている姿とダブって見えてしまいます。
長く観ていると涙が出てきそうなので全ては観れませんでしたがどうか、この姿に応えて欲しいと願っています。

ロシアは今のミャンマー軍にも武器を供給しています。
死の商人と呼ばれる行為です。
ロシアには素晴らしい文化、そして素晴らしい人々がいることは私も充分理解しています。
そんな国ではありますが、独裁者が権力を手中に収め思うがままに国を動かしているとこのような悲劇が起こりうるという事を残念な事ですが証明されてしまいました。

ミャンマーとは歴史的にも地政学的にも様々な面で違う事が多く、簡単に同じものだと分類訳出来るものではありませんが、ウクライナの人々とも連帯の意思を強めていきたいと思っています。


ミャンマーでの2月22日

日本や世界では2が並ぶ日という事でスーパーニャンコDAYというような事も言われていたそうですね。
何とも癒される響きではありますが、ここミャンマーではそう浮かれてもいられませんでした。
昨年の2月22日、ここヤンゴンでも大きな大きなデモが各地で行われていました。
それはミャンマー全土を巻き込む規模で、数百万人というレベルでした。
ヤンゴンの街が人々の音で揺れているような錯覚に陥ったのをよく覚えています。
それが全国レベルで起こったという事に、この国の人々の意思を強く感じました。

現状はデモを行う事も命懸けです、毎日デモに出る事は勿論、デモに関わったと軍に決めつけられるだけで良くて不当拘束、罰金など、最悪は射殺されるなど死に至るケースも決して珍しくありません。
そんな中、今年は昨年より2が増える『222222』
ミャンマーの人はこういった日を特別に感じ、様々な行動おを起こすのではないかと緊張感がありました。

昨年に続き、様子をうかがいながらではありましたが、街の様子を観る為に外に出る事にしました。
終わってみれば約67キロに及ぶ自転車での移動距離になりました。
ヤンゴンを縦横無尽に走り回るような形でデモなどでいくつかポイントになる場所や様々な関わりがある場所などを巡ってみました。
一年前に観た景色とどのような違いがあるかをこの目で確かめたかったのです。

先ずはNLDの本部の様子を観に行きました。
昨年もデモの様子を見に行くのにここからスタートしたのを覚えています。
本部の周りに特に人がいるという事もなく普段と変わらない様子でした。
前回の記事に載せた一年前の様子と全く同じでした。

『222222』ミャンマーで2022年2月22日を迎えるという事


現状ヤンゴンでも堂々と写真を撮るのは難しいのでここでは控えました。
人気はありませんでしたが、どこで誰が見張っているかはわからないので、こういった場所では撮影を控えた方が賢明です。

その後ミニゴンという街へ、昨年は一部道路がずっと軍により閉鎖されていました。
デモ隊のリーダー各だった若者が多く潜伏していたこの街では毎晩のように銃撃や爆発が軍によって行われる期間がありました。
ジャーナリストの北角さんがデモ取材中に一度目の拘束を受けたのもここです。
ですが、今回は特に変わった様子は感じられませんでした。

次にレーダンという街に向かいました。
この近くにはヤンゴン大学という8888の時の運動などでもデモの拠点となっていた場所が近かったり、アメリカ大使館、そしてスーチーさんが長らく軟禁されていた自宅なども近い事もあり昨年は大きなデモが毎日起こっていたところです。
ですが、やはりこの日はそのようなデモは私が移動してい時には見当たりませんでした。

それもそのはずで大きな交差点の辺りになると目立つところや目立たないところにチラホラと銃を持った警察や軍の人間がいるのがうかがえます。
彼らの前でデモなどを起こせば躊躇なく打つ可能性が高い事を知っている人々はこのような目立つ場所で中々行動を起こせない状態です。
まるで街に溶け込まないその銃を持った人間たちを横目に人々は出来るだけ何事もないように過ごしているように見えました。

私はいざとなったら直ぐにパスポートを出せる準備はしていましたが、それでも銃を持った軍や警察が近くにいるのは気持ちの良いものではありません。

そこから北上してインセイン収容所に行ってきました。
北角さんが拘束され1ヶ月程収容された刑務所ですが、未だに私の友人である映像プロデューサーのモンティンダンさんがここに捕らえられています。

拘束長引く日本育ちのミャンマー人映像作家


日本の永住権を持ち、勿論日本語も得意で、既にミャンマーより日本で暮らした期間の方が長い彼でも国籍がミャンマー人という事で日本政府は何も出来ない状態です。
同じエンタメに関わる人間として歯がゆい想いを感じながら後にしました。

その後もずっと街を走りながら様子を観ていたのですが、去年の事を思い出せるような姿はこの日はどこにもありませんでした。
今回ダウンタウンの中心地であるスーレーパゴダの方にも行ってみました。
昨年はこの辺りには数万、いや数十万にも及ぶ人がいた場所です。

1.jpg

昨年の2月22日のダウンタウンの入口のようなところから:筆者撮影

しかし、この時は人通りも少なく本当に去年の同じ日にはあんなに大きなデモがあったのだろうか?と感じました。

2.jpg

これは当日に昨年とは反対側の南側から撮った写真です。
勿論昨年の同じ日にはこちら側にも沢山の人が溢れていました。

この日、家を出る前に独立系メディアのニュースをチェックしたところ、全国各地では早朝、まだ日が昇る前などにデモを行っていたり、地方の方では大規模なデモの様子などがライブ配信されている様子もあったのでヤンゴンでももしかしたら大きなデモが起こるかもとは思っていました。

しかし、もしそんな事があれば相当数の死傷者が出る可能性が高い事も考えられたので、それが杞憂に終わったのは良かったのかもしれません。
実際私は遭遇しませんでしたが、この日ヤンゴンでも多くのフラッシュデモ(数分だけ行うようなデモ)はあったようです。

抗議の日と定められた222222DAY。
① 帽子や編笠をかぶる
②伝統化粧品タナカを塗る
③花束を持つ
④三本指を立てて叫ぶ
⑤夜8時に金物を鳴らす
などで意思を示そうとSNSなどで呼びかけられていました。
ですが、その呼びかけには「出来る範囲で反」という注釈が付けられていました。
それだけリスクが大きい事は皆が理解しているという事です。
大きなデモをしたところで直ぐに事態が好転する訳ではない事はこの一年でミャンマー国民は嫌という程思い知らされています。
今デモを行えば確実にリスクがあるという事を考えるとこういった静かな形が精一杯なのかもしれません。

明日にでもこの悪夢がミャンマーから去って欲しいと願ってはいますが、どうしても長い闘いにならざるを得ないとどうしても感じてしまいました。
それでも国民の抵抗は続いています。
これだけ抑圧された中でも抵抗の意思が消えないのはミャンマーの人々の強さだと感じています。

むしろ昨年あれだけの規模でクーデターへの反意や、民主主義を求める意思。
クーデター以降に戻すのではなく、軍の思い通りには決してならない国民主体の国を作る為の革命を為すのだという意思を様々な表現方法で出せていたというのが、改めて大きな意義のある事なのだと世界の人々に伝えたいと思います。

残念ならが、世界を見ると民主主義国家より、そうでない国の方が国の数で言うと多数派になってしまっているのが今の世界の現状です。
日本も決して他人事ではない事は、ウクライナやミャンマーを通しても理解出来る事だと思います。

知って一歩を踏み出す。
このことの重要さを感じる222222DAYの様子をお届けしました。


それではまた。

 

Profile

著者プロフィール
新町智哉

映像プロデューサー。2014年からミャンマー最大都市ヤンゴンに在住。MAKE SENSE ENTERTAINMENT Co.,Ltd. GM。日緬製作スタッフによる短編コメディ「一杯のモヒンガー」でミャンマーワッタン映画祭のノミネートを皮切りに世界各国の映画祭で受賞。起業家、歌手、俳優としてもミャンマーで活動する。

Twitter:@tomoyangon
Instagram:tomoyangon
note:https://note.com/tomoyaan

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