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悠久のメソポタミア、イラクでの日々から

牧野アンドレ|イラク

1,000年前から存在する、イラクのアフリカ系コミュニティの生活

©iStock - RyanJLane

先週から最高気温が40℃を下回る日も出てくるようになり、いよいよ今年も夏の終わりが感じられるイラクの北部です。

ふたを開けてみれば、今年は電力不足は度々感じられることはありつつも昨年ほどの酷い状況にはなく、私の暮らす地域でも断水を起こすようなことはありませんでした。総じて、最高気温が50℃を越した昨年の夏に比べればマシな夏であったと思います。

今年の秋も、郊外に出るピクニックが今から楽しみです。

さて今日は、あまり知られていないイラクのアフリカ系マイノリティ(アフリカ系イラク人)の存在についてご紹介します。

恐らくこの言葉を聞いて「イラクにアフリカ系のマイノリティが暮らしているの」と初めて知った方も多いのではないでしょうか。

古くは8世紀以降のアッバース朝時代に奴隷として連れてこられ現在もイラクの南部を中心に暮らすマイノリティですが、彼らの辿った歴史は何世紀にも渡る差別の歴史でもありました。

   

イスラム世界とアフリカ系住民の歴史

イスラム教が勃興した直後の9世紀。イラクはバグダードに首都をおいたアッバース朝のもとで南部の港湾都市バスラが貿易の一大中継地点となり、アフリカ大陸の東岸(今日のケニアやタンザニア、スーダンやモザンビークといった地域)から多くの奴隷が連れてこられました。一説には数百年の間でその数約400万人ともされています。

文献で確認されている中では、7世紀に預言者ムハンマドの義理の父でありムハンマドの死後に教団を率いたアブ=バカールの奴隷であり、後にイスラム教に改宗したことで奴隷の身分から解放されたビラールという男性がいたとされており、実質彼がアフリカ系の中で最初のイスラム教徒であるとされています。

ビラールは「ハベシャ」とも呼ばれており、今日のエチオピアかエリトリアの地域出身であったと考えられています。

これらの記述をみるところ、イスラム教が生まれる前からアフリカ系の人々はすでに中東地域に暮らしていたとみることもできます。

奴隷の多くは女性が家庭での使用人、男性が塩作りや兵士として重労働に従事させられ、その過程で多くの人たちが命を落としました。

その過酷さは869年から約15年に渡って起こされた「ザンジの乱」でも見ることができます。

「ザンジ」は黒人の灌漑労働者を指す言葉で、一時は約50万人にも膨れ上がった反乱軍がバスラやその近郊を占領するにまで至りましたが、最後はアッバース朝の軍により数千人が虐殺され終焉しました。

この反乱軍の盛り上がりからも、当時の奴隷制や差別の過酷さを見ることができるでしょう。

もちろん、当時全員が奴隷として連れて来られた訳ではなく、中には船員や商人としてイラクに渡り住み着いたアフリカ系住民も存在します。

本来、イスラム教で奴隷とされる人の身分は「戦争により敗れた異教徒」のグループから生まれるものとされています。イスラム教の聖典コーランでは、肌の色の違いによる差別を禁止していますが、当時のアラブ至上主義ともいえる波に抗うことはできなかったのかもしれません。

アフリカ系住民はイスラム教に改宗したとしても奴隷の身分からは解放されず、例え奴隷の身分から解放されても社会からの差別を受け続けたのです。

    

イラクで今日まで残る差別

今日、イラクには推計150万~200万人のアフリカ系住民が暮らしているとされています。

イラクでは19世紀には正式に奴隷制は廃止され、王政であった1925年の憲法から差別を禁じ、「民主化」以後の2005年に制定された憲法の14条でも差別は禁止されています。

しかし今日でも多くのアフリカ系イラク人は金持ちの使用人や清掃員として働いており、当時の奴隷としての身分と変わらない職に就かざるを得ない現実があります。

識字率は著しく低く、失業率は特に高く、日常的に「奴隷(アブド)」と呼ばれ、社会的にも経済的にも差別は根深く残されています。

さらに他の多くの少数宗教では認められている議席配分による権利の向上の取り組みもアフリカ系イラク人には適用されておらず、いまだにこのコミュニティから公職に就いた人はいません。

2003年以降、アフリカ系イラク人コミュニティも自助組織を形成し、イラク社会での差別撤廃を目指した運動を始めています。2007年にはFree Iraqi Movementというアフリカ系コミュニティの権利向上を目指す組織が作られ、バスラ地方議会選挙に候補者を送り続けてきました。

これらは2009年に当時のバラク・オバマ大統領がアフリカ系市民として初めて米大統領に当選した影響が多大にありました。

しかし2013年にバスラの地方議会選挙に立候補していたFIMの代表であったジャラル・ティヤーブ氏が何者かに暗殺されるという事件が起きました。犯人は特定されていませんが、オバマ元大統領やキング牧師などの肖像画を運動のシンボルにしていたことからも反米思想を持つ組織による犯行であると見られています。アフリカ系コミュニティに衝撃を与えたこの事件の後、運動も下火になってしまいました。

アフリカ系住民に対するイラク社会における差別撤廃と地位向上のためには、政府から差別禁止の明確なメッセージ(それは過去の奴隷制に対する謝罪も含む)や法整備が欠かせないでしょう。

アフリカ系住民のイラク社会における平等の権利獲得には、未だに長い道が残されています。

 

Profile

著者プロフィール
牧野アンドレ

イラク・アルビル在住のNGO職員。静岡県浜松市出身。日独ハーフ。2015年にドイツで「難民危機」を目撃し、人道支援を志す。これまでにギリシャ、ヨルダン、日本などで人道支援・難民支援の現場を経験。サセックス大学移民学修士。

個人ブログ:Co-魂ブログ

Twitter:@andre_makino

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