World Voice

トルコから贈る千夜一夜物語

木村菜穂子|トルコ

「For Sama」というドキュメンタリー映画が描くシリア内戦と「正義とは何か?」という疑問

筆者撮影 ‐ 内戦が起きる前 2010 年のアレッポ市内。

「For Sama」は、ジャーナリストを志望していたシリア人女性によって撮影されたドキュメンタリー映画です。この女性と医師である夫とのアレッポでの日常が描かれています。とはいえ、映画で描かれているアレッポの「日常」は戦火での日常です。

邦題は「娘は戦場で生まれた」。2019 年のカンヌ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した作品ですから、ご覧になった方もおられるかもしれません。カンヌだけではなく、その他さまざまな賞を獲得しました(https://www.forsamafilm.com/)。ぜひ観ていただきたい作品です。

「For Sama」 という映画ができたいきさつ

カメラを回したのはワアド・アル カティーブ。2011 年に「アラブの春」が始まったころ、アレッポの大学の女学生でした。このドキュメンタリーでは、2012 年から 2016 年にかけて反政府軍 (反体制派) の拠点となっていた東アレッポが政府軍によって徐々に制圧されてゆく中で、人々がどのような日常を送っていたかを反体制派の視点で描きだしています。とはいえ、戦闘のシーンはほとんどありません。ごく普通の人々が戦火でどのように生きていたのかだけが描かれています。

戦場となったアレッポ市内 (の東側) を撮影している段階では、これがこのようなドキュメンタリー映画の形でまとめられることは想像していなかったと思います。ですから映し出されるのは演技ではありません。この女性ワアドは医師であったハムザと戦火で結婚し、Sama という女の子を産みます。戦火で生まれた我が子のために、故郷であるアレッポを我が子に知ってほしいという気持ちから 「Sama のため (For Sama)」にカメラを回し続けました。描かれているのは常に死と隣り合わせの日常です。

ちなみに「Sama」とはアラビア語で「空」という意味です。戦火で生まれた子が Sama と名付けられたのは、見上げる空が空爆や空軍などのない空であってほしい、太陽と雲がある空、鳥がいる平和な空であってほしいという気持ちから。

iStock-479845824.jpgiStock - 空

映画では、戦争で人々が傷つき死んでいく様子が赤裸々に描き出されています。撮影の舞台のほとんどが夫の勤務する病院 (野戦病院) です。爆撃で傷ついて運び入れられてくる人々、すでに死んでいる子供たち、その子供たちの死を受け入れられない親たち...つくり話ではない事実のみが淡々と映し出されているので、その悲惨さが伝わってきます。

例えば個人的に心に残った場面があります。爆撃を受けた 5 歳くらいの男の子が従兄に抱きかかえられて病院に運び込まれます。その子はもうすでに息絶えていました。運び込んだ従兄も年は 8 歳か 9 歳くらい。ワアドさんが「この子の両親は?」と尋ねると、その男の子は「よく知らない。爆撃ですでに死んでたと思う」と答えます。その時ワアドさんはこの亡くなった少年の母親に嫉妬したと語っています。我が子の死を見ることなく先に死んだ彼女を母親としてうらやましいと思ったのです。

カメラを回し続けた女性ワアドは、2018 年に夫と子供たちと共に英国に難民として渡ります。現在彼女はジャーナリスト・映画製作者・活動家として活動しています。

戦争の現実を目にして心に沸く疑問「正義とは?」

こうした戦争の現実を目にすると「正義とは?」と問いかけずにはいられません。シリア内戦の一番簡単な説明として紹介されるのは、反体制派 VS 現アサド政権という構図。これによると、反体制派から見たアサド政権は「悪」、あるいはアサド政権から見た反体制派は「悪」。片方が「悪」なら、もう片方は「正義」のはず。しかし、実際には戦争に正義などはないように思えます。なお、筆者は中東に住み、シリア人の多くから話を聞くことで今回の記事の執筆に至りましたが、政治に関してはあくまで中立でどちらの側につくこともありません。

シリア内戦の構図は単純に「反体制派 VS 現アサド政権」だったのか?

このドキュメンタリーは、反体制派側の視点で描かれています。とはいえ忘れてはならないのは、シリア人のすべてが反体制派であるわけではないということ。現政権支持者ももちろんいます。ですから、この映画を観る方には、これがシリア内戦の全体像ではなく一部であることを頭に置いていただきたいと思います。私自身、このドキュメンタリーはとても貴重だと思いますし、シリア人としての、母としての、そして妻としてのワアドさんの勇気に敬服します。ただし忘れてはならないのは、シリア内戦は反政府派 VS 現政権という単純な構図ではないという点です。

なぜなら、反体制派を「反体制派」というカテゴリでひとくくりにできないのが現実だからです。カメラを回し続けたシリア女性ワアド・アル カーティブと医師である夫、その仲間たちは純粋に国の改革を願っていた「正統派」の「反体制派」であり、戦いに加わることはなく、アレッポ市内を離れることに最後まで抵抗したごく普通の人々でした。しかしシリアでは、名ばかりの「反体制派」がたくさん出没していました。つまり実際は宗教グループや組織の利権ごとに分裂し、大義も大志も何も持っていないグループです。こうしたグループの場合、犯罪的な行動が目立ちました。

iStock-1314712170.jpgiStock - アレッポ市内

実のところ、シリア内戦は早い段階で体制支持者 VS 反体制派という構図ではなくなっていました。情報操作がなされており、だれがだれに敵対しているのか、だれがだれに対して戦っているのかほとんどの人は分かっていなかったのではないかと思います。

もちろん、「アラブの春」が始まったころは、確かに現アサド政権に対してデモが行われていました。そしてこの映画の制作者ワアド女史のように、体制の改革を純粋に訴えていた熱い思いを持つシリア人たちがたくさんいました。でもごく早い段階からシリアでは情報が交錯しはじめ、熱い思いを持つ民衆のもともとの意図に反して、反体制派と政府との純粋な戦いなのかさえ途中から分かりなくなりました。この点に関しては、2011年5月5日に書いた筆者のブログ記事で扱っています。

実際に起きていたこと (全てではないにしても) は、政府の機能が停止していることに乗じた宗教間の争い。それから、無政府状態に乗じた悪質な犯罪またはテロ。それを政府の仕業だ、反体制派の仕業だとなすり合いをしている状態でした。

「政府の仕業だ」ということで諸外国の協力を得ようとして反体制派が虐殺をおこなっている可能性も十分にありました。あるいは、反体制派にも政府支持派にも全く関係のない、単なる宗教間の憎しみまたは過激化した組織のテロというケースもあったかと思います。またシリア人の中には、この内戦はシリアという国土で繰り広げられた米ロによる代理戦争だったという人たちもいます。

真実は、張本人たちと神のみぞ知る世界...。しかしこのように、シリア内戦は宗教的・政治的・民族的対立が加わり、さらに海外勢力も参入して複雑に入り乱れました。

iStock-170228323.jpgiStock - シリア内戦に参入した戦闘員たち

実際、こうした混乱と人々の疑心暗鬼につけこむ形で、イスラム国というような残酷さを極めた犯罪テロ組織がのさばりました。彼らはどこにも属さないまったく異種のグループとして突如現れ、混乱に乗じてシリアとイラクでの支配を確立しようとしました。

ラッカやデリゾール、パルミラ (タドモール) といったイスラム国に占領された場所では、内戦の構図は大まかにいうと「イスラム国 VS 政府軍」でした。もちろんそれに加えてその他さまざまなグループが複雑に入り乱れていたといえます。こうした場所に住んでいたシリア人たちは、爆撃や射撃がどこから来るのか誰から来るのか全く分からない状況で右往左往し、命からがら別の場所に逃れました (あるいは命を落としました)。ですから彼らにとってのシリア内戦は、「For Sama」で描かれている構図とは少し異なります。

アサド政権を「悪」と断定する西側諸国

シリア内戦が始まったころ、NATO がシリアを攻撃するとかアメリカが軍事介入するなどと叫ばれていました。つまり西側諸国にとっては、アサド政権のみが「悪」でした。西側諸国はその時も今でも一様に「反アサド」のスタンスを取り続けていますので、このドキュメンタリー映画の製作も西側の後押しを受けたということができます。もし撮影がアサド政権支持者によるものだったのであれば、全く同じ内容であってもドキュメンタリーとして日の目を見ることはなかったでしょう。

しかし現実には、反体制派や体制支持者に関わりなく同じように被害が出ており、同じように尊い命が奪われました。この内戦の構図は住む場所によっても異なりましたが、すべてのシリア人に共通するのは、家族・親族で死者が出なかったという人はほとんどいないという点でしょう。

一連のシリア内戦ではサリンや塩素ガスなどの化学兵器が使われたと報告されています。反体制派側 (および西側諸国) はアサド政権によるものだと断定。しかしアサド政権側はこれを否定しています。反体制派による自作自演または混乱に乗じた全く別の組織によるものの可能性も否定されていません。

化学兵器はシリアで何度も使用されているようですが、2017 年にその報告がなされたとき、アメリカがシリアを「正義のために」攻撃するなど不穏な動きがありました。その時に私は自身のブログ記事の中で「アサド大統領は本当にそこまで "strategically stupid" なのか?」と問いかけた新聞記事を引用しました。

この記事の内容を要約すると、「ISIS (イスラム国) 掃討作戦が佳境を迎えている今、アサド大統領がわざわざ国際社会を敵に回すようなことをするはずがない」。つまり、アサド大統領はそこまで「strategically stupid」ではない、ということです。この「strategically stupid」は「意図的に愚か」と訳せるかもしれません。つまり、アサド大統領がそこまで「意図的に愚か」しく行動するはずはないという内容でした。もちろん真実は闇の中で、関係した本人と神のみぞ知る世界。しかし、こうした状況で「正義」とはそもそも何なのか、正義を追求できるのかという疑問がわきます。

シリアの国外に逃れているシリア人の大半は、政権支持者でないために逃れざるを得なかった人たち (=初期のデモに参加した人たち)、あるいはたまたま反体制派のテリトリーに住んでいたために巻き添えを食って逃れざるを得なかった人たちです。あるいは政権を支持するかどうかの有無にかかわらず、家族を守るために戦火を逃れることを決意した人たちも多くいます。

シリアでは政権批判の自由が制限されていましたが、国外に逃れたシリア人たちは政権への不満を臆せずに口にすることができます。また前述のように、西側諸国はアサド政権を「悪」と断定しています。こうした理由で、私たちがアクセスできる情報の多くがいわゆる「反政府側」のものです。しかし、なぜシリアが泥沼の内戦にまで至り、だれがだれに対して戦って何が成し遂げられたのか、大半のシリア人すらよく分からずに困惑しているのが現状かと思います。

シリア内戦が残したものとは?

シリア国内の状況は今でも混とんとしたままです。内戦の爪痕はこれから先ずっと残ることでしょう。土地が荒廃し瓦礫の山になっただけではなく、人々の心に不信感や恐れが植え付けられました。こうしたネガティブな感情は容易に取り除くことができません。

同じ国民でありながら、敵か味方かも分からない。密告を恐れ、相手を信頼することができない。常に不安で、常に疑心暗鬼。これがシリア内戦の結末です。とりわけ、いったん燃え上がった宗教対立は根深く、現実的には「和解」が成立することはあり得ません。たとえいったん収まっても、憎しみは世代から世代へと受け継がれ、またいつか再燃する―その繰り返しです。

iStock-493238534.jpg

iStock - ホムス市内で

となると、アサド政権が倒れれば解決するというような単純な考えは通用しません。もともと多宗教・多民族のモザイク国家だったシリア。分断され亀裂が入ったのは国土だけではありません。

では、戦争までして追い求めた「正義」とは何だったのか? 11年にも及ぶ内戦で成し遂げられた「正義」とは一体何なのか? どの人も、「自分たちが正しい」と信じて行動ます。どちらの側も自分たちがしていることを「正義」だと確信しています。「正義」のために戦います。そしてたくさんの人が死んでいきます。正義とは何か? この疑問は続きます。

 

Profile

著者プロフィール
木村菜穂子

中東在住歴13年目のツアーコンサルタント/コーディネーター。ヨルダン・レバノンに7年間、ドイツに1年半滞在した後、現在はトルコ在住4年目。メインはシリア難民に関わる活動で、中東で習得したアラビア語(Levantine Arabic)を駆使しながらトルコに住むシリア難民と関わる日々。

公式HP:https://picturesque-jordan.com

ブログ:月の砂漠―ヨルダンからA Wanderer in Wonderland-大和撫子の中東放浪記

Eメール:naoko_kimura[at]picturesque-jordan.com

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