最新記事
イスラエル・パレスチナ情勢

ハマスのイスラエル一斉攻撃......なぜ攻撃は始まった? 今後はどうなる?

2023年10月11日(水)17時00分
錦田愛子(慶応義塾大学教授)

今回の人質は、パレスチナの全政治囚の釈放を可能にできる規模だともされるが、問題はこうした脅しに基づく交渉に対してイスラエル側がそもそも応じるかである。カタールなどの仲介により、既に人質釈放交渉は始まっているとの報道もあるが、イスラエル政府はこれを否定している。

とはいえ人質の存在が、パレスチナ側への反撃の大きな足かせとなっているのも事実だ。ガザ地区への予告のない攻撃に対して、ハマースは人質を処刑し、その映像を公開すると発表しており、彼らの存在は文字通り「人間の盾」となっている。そのため、これまでのような地上軍の侵攻を簡単に開始することができない。ハマース側は、ガザ地区でのイスラエル軍による空爆で、既に数名の人質が死亡したと発表しているが、真偽のほどは不明だ。いずれにせよ、自国民の命を危険にさらすリスクのある中、どのような対策を取るのかイスラエル政府は慎重に検討を続けているものと思われる。

なぜ攻撃は始まったのか

パレスチナ武装勢力が今回の一斉攻撃を始めたのはなぜか。その背景にはパレスチナ側がおかれてきた状況から、複数の要因が考えられる。まず、長期化したガザ地区の物理的・経済的封鎖により、ガザ地区の住民の生活が困窮し、未来に希望を抱けない状況が続いてきたことが指摘される。2006年のパレスチナ立法評議会選挙でイスラーム主義政党のハマースが与党に選ばれた後、イスラエルや欧米諸国はハマースに対する制裁を開始し、人や物の移動が現在に至るまで厳しく抑制されてきた。

国際支援によりガザ地区内にはいくつもの大学が存在するが、卒業してもまともな仕事につくことができず、能力を生かして自立した生活を切り拓けない環境が長年続いてきた。イスラーム教徒の間では本来禁止されている自殺が、ガザ地区の若者の間で急増しているという現実が、ガザ地区の鬱屈した状況を如実に反映しているといえるだろう。ガザ地区に拠点を置くハマースら武装勢力は、こうした現実をくつがえす転機として、今回の攻撃を計画したと考えられる。

昨年末、極右政党がネタニヤフ政権入り

次に、昨年末に成立したネタニヤフ政権下で、極右政党が政権入りしたことにより、ヨルダン川西岸地区でパレスチナ人の村などへの襲撃が急増したことが挙げられる。本誌の記事でも以前書いたが、パレスチナ人の家や車が放火され、それをあおるような呼びかけをイスラエルの右派の閣僚が公然と繰り返している。

これに対してパレスチナ側での抵抗運動も武装化し、「ライオンの巣」など新たな武装勢力が西岸北部では勢力を伸ばしてきた。抵抗勢力が組織化される前に、メンバーを拘束または殺害することを目的に、イスラエル軍もジェニンやナブルスなど北部都市で頻繁に軍事作戦を展開するようになり、今年に入りパレスチナ側の犠牲者は、過去最大規模に増加しつつあった。西岸地区とガザ地区は、地理的には離れていても政治的には連動しており、こうした西岸地区での展開がガザ地区の武装勢力による報復攻撃に結びついた例は、かつても何度かあった。

さらに別の点として、ハマース側が言及しているのは、エルサレム問題とパレスチナ政治囚の問題である。かつてはステータス・クオとして旧市街の中で棲み分けが行われていたユダヤ教とイスラーム教の聖域の区分が、近年伸長してきたイスラエルの宗教シオニストの間では軽んじられるようになった。「神殿の丘」へのイスラエル閣僚による訪問が日常化し、これをハマースは聖地エルサレムへの冒涜として強く批判している。

また今回の作戦でイスラエル側の人質を得ることで、パレスチナ政治囚の釈放を図ろうというのも、直接的な戦略目標に含められていると考えられる。ガザに連れ去った人質の処遇について、ハマースの高官は開戦直後からエジプト、カタール、トルコなどを仲介に協議を始めている。人質がいる以上、容易に軍事作戦を展開できないイスラエルに対して、秘密交渉は一定の有効性をもち機能するかもしれない。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ドイツ連立与党、国民の不満が過去最高=世論調査

ビジネス

スリランカ向け支援、IMFが2回目の審査承認 経済

ワールド

米大統領選、トランプ氏がバイデン氏を2ポイントリー

ビジネス

焦点:FRB、政治リスク回避か 利下げ「大統領選後
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:姿なき侵略者 中国
特集:姿なき侵略者 中国
2024年6月18日号(6/11発売)

アメリカの「裏庭」カリブ海のリゾート地やニューヨークで影響力工作を拡大する中国の深謀遠慮

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    接近戦で「蜂の巣状態」に...ブラッドレー歩兵戦闘車の猛攻で、ロシア兵が装甲車から「転げ落ちる」瞬間

  • 2

    ニシキヘビの体内に行方不明の女性...「腹を切開するシーン」が公開される インドネシア

  • 3

    毎日1分間「体幹をしぼるだけ」で、脂肪を燃やして「勝手にやせていく体」をつくる方法

  • 4

    早期定年を迎える自衛官「まだまだやれると思ってい…

  • 5

    長距離ドローンがロシア奥深くに「退避」していたSU-…

  • 6

    帰宅した女性が目撃したのは、ヘビが「愛猫」の首を…

  • 7

    【衛星画像】北朝鮮が非武装地帯沿いの森林を切り開…

  • 8

    謎のステルス増税「森林税」がやっぱり道理に合わな…

  • 9

    バイデン放蕩息子の「ウクライナ」「麻薬」「脱税」…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃が妊娠発表後、初めて公の場…

  • 1

    早期定年を迎える自衛官「まだまだやれると思っていた...」55歳退官で年収750万円が200万円に激減の現実

  • 2

    認知症の予防や脳の老化防止に効果的な食材は何か...? 史上最強の抗酸化物質を多く含むあの魚

  • 3

    接近戦で「蜂の巣状態」に...ブラッドレー歩兵戦闘車の猛攻で、ロシア兵が装甲車から「転げ落ちる」瞬間

  • 4

    我先にと逃げ出す兵士たち...ブラッドレー歩兵戦闘車…

  • 5

    カラスは「数を声に出して数えられる」ことが明らか…

  • 6

    「世界最年少の王妃」ブータンのジェツン・ペマ王妃が…

  • 7

    堅い「甲羅」がご自慢のロシア亀戦車...兵士の「うっ…

  • 8

    「クマvsワニ」を川で激撮...衝撃の対決シーンも一瞬…

  • 9

    ニシキヘビの体内に行方不明の女性...「腹を切開する…

  • 10

    毎日1分間「体幹をしぼるだけ」で、脂肪を燃やして「…

  • 1

    ラスベガスで目撃された「宇宙人」の正体とは? 驚愕の映像が話題に

  • 2

    半裸でハマスに連れ去られた女性は骸骨で発見された──イスラエル人人質

  • 3

    ウクライナ水上ドローンが、ヘリからの機銃掃射を「回避」してロシア黒海艦隊に突撃する緊迫の瞬間

  • 4

    「世界最年少の王妃」ブータンのジェツン・ペマ王妃が…

  • 5

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

  • 6

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃の「マタニティ姿」が美しす…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    ロシアの「亀戦車」、次々と地雷を踏んで「連続爆発…

  • 9

    早期定年を迎える自衛官「まだまだやれると思ってい…

  • 10

    我先にと逃げ出す兵士たち...ブラッドレー歩兵戦闘車…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中