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中東

UAE・イスラエル和平合意の実現──捨て去られた「アラブの大義」

2020年8月15日(土)12時55分
錦田愛子

中東和平は進むのだろうか......トランプ大統領とジャレッド・クシュナー大統領上級顧問 REUTERS/Kevin Lamarque

<中東現代史のひとつの結節点であることは間違いない。今回の変化はどのような意味があるのか......>

イスラエルとアラブ首長国連邦(UAE)の間で関係正常化に向けた合意が結ばれたことが、8月13日発表された。今後は投資や観光、治安管理など具体的な内容について協議を進め、正式に二国間での平和条約の締結に進むことになる。仲介にあたったトランプ大統領はツイッターでこれを「偉大な快挙(huge breakthrough)」と呼び、自らが主導した外交成果を自画自賛した。バイデン候補との間で支持率の差が広がり、苦しい大統領選挙に向けて、外交上の成果をひねり出した形だ。

合意の前兆

今回の動きは、全く予見されていなかったわけではない。これに先立つ今年の5月、UAEはパレスチナ自治政府向けの新型コロナウイルス対策の医療援助物資を、テルアビブ空港への直行便に載せて運ぶという選択をして、自治政府を驚かせていた。テルアビブ空港の利用は、イスラエル外務省との交渉に基づくものであったが、他方で受け取り手のパレスチナ自治政府には事前に何の連絡もされなかった。イスラエルの空港の利用は、イスラエルとUAEの相互承認を意味しかねないとして、自治政府のシュタイエ首相は受け取りを拒否した。今から思えば、あれは今回の布石のパフォーマンスだったともいえるだろう。

いずれにせよ、アラブ諸国としてイスラエルとの国交回復に向けて正式に動き出す国が出てきたことは、中東現代史のひとつの結節点であることは間違いない。アラブ諸国はパレスチナをどう位置付けてきたのか。今回の変化はどのような意味があるのか、振り返ってみる必要がある。

捨て去られた「アラブの大義」

中東地域において、イスラエルは周辺アラブ諸国と国交をもたず、孤立した状態が長く続いてきた。1948年の第一次中東戦争で、イスラエル建国のために武力によって占領されたパレスチナの解放を、同じアラブである同胞諸国が共通の課題として掲げたためだ。全イスラーム教徒の聖地であるエルサレムを異教徒の手に渡さないためにも、パレスチナの解放は「アラブの大義」と呼ばれた。アラブ連盟の会合ではほぼ毎年、パレスチナとの連帯が謳われ、大義の尊重が確認されていた。

われわれ外国人にも関わる日常的な側面で、この緊張関係を象徴したのが、イスラエルの入国スタンプ問題だった。イスラエル国家の存在を承認しないアラブ諸国では、パスポートにイスラエルの入国スタンプがあるとビザが下りない、という問題である。近年ではイスラエル入国時にそもそもスタンプそのものが押されなくなったため、あまり問題ではなくなった。だがそれ以前は、中東諸国を旅するには、先にアラブ諸国を回り、最後にイスラエルへ向かうか、別紙に入国スタンプを押してもらうというのが、バックパッカーの間での常識だった。

こうした敵対的なアラブ包囲網の連帯を最初に破ったのは、意外にも、かつてはアラブ民族主義運動の旗手であったエジプトだった。アメリカの仲介によりサダト大統領は1978年、キャンプ・デービッド合意に調印し、翌年イスラエルとの間で平和条約を結んだ。この動きは当時、アラブ諸国の間で大きな裏切りと捉えられ、エジプトは一時期、アラブ連盟を除名されることになった。その時点ではまだ、パレスチナをめぐる対立はアラブ・イスラエル紛争と呼ばれており、アラブ諸国全体で占領を打破しようという機運が高かったためである。

主導者であったエジプトを失い、アラブの連帯は急速に勢いを失う。1982年にレバノンのサブラ・シャティーラ難民キャンプで虐殺が起きたとき、アラブ諸国は沈黙し、パレスチナ難民を守ることも、外交的に圧力をかけることもできなかった。キャンプ住民のパレスチナ人女性が「アラブ〔諸国の同志〕はどこにいるの?!」と泣き叫ぶ様子は、国際的に高い評価を受けた映画『戦場でワルツを』のラスト・シーンにも当時の実写が収録されている。イスラエル建国から30余年が経過し、数次にわたり繰り返された中東戦争で敗戦が続く中、アラブ諸国の間でパレスチナ解放は達しえない理想となりつつあった。

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