最新記事

映画

今度の敵はメディア──マイケル・ムーア『華氏119』の説得力

2018年11月2日(金)17時50分
小暮聡子(本誌記者)

ムーアの作品は他人事として観る分にはシュールなコメディーかもしれないが、自分事として観ると何ともいたたまれない。トランプ勝利などあり得ないとタカをくくっていた「戦犯」たちが気楽に笑い飛ばせるような作品ではないし、クリントン支持者にしてみれば傷口に塩を塗られるような気持ちになるかもしれない。

ではムーアは、『華氏119』を誰に向けて作ったのか。本作のパンフレットには、「この映画が公開されれば、トランプ王国は必ず崩壊する――マイケル・ムーア」とある。中間選挙を11月6日に控え(全米公開は9月21日だった)、ムーアがこの映画をもって有権者の投票行動に影響を及ぼしたいと思っているのは明らかだ。しかし、誰に――?

的中したムーアの予言

熱狂的なトランプ支持者が、リベラルな民主党支持者であるムーアの作品を観るかは疑問だ。

ムーアは昨年夏にニューヨークのブロードウェイに自作のスタンダップコメディを引っ提げてデビューし、私も初日に観に行ったのだが、詰めかけた観客はトランプ支持者とは真逆のリベラルデモクラッツばかりだった。ムーアは「We」を主語にトランプをコケにする話を繰り出し続け、観客はそれを喜び笑う。舞台と映画という違いがあるとはいえ、トランプに喧嘩を売る作品を、トランプ支持者がお金を払って観に行くとはあまり思えない。

しかし映画が進むにつれて、ムーアが訴えようとしている層が誰なのかが明らかになってくる。それはおそらく、2016年の大統領選本選で民主党にも共和党にも、どちらにも幻滅し投票しなかった「1億人」の有権者たちだ。もっと言えば、民主党の予備選で一部のトランプ支持者と同じくらい熱狂していたバーニー・サンダース上院議員のシンパたちだろう(クリントン嫌いのサンダース支持者たちは、クリントンが予備選で民主党候補に選ばれたことに失望し、本選では投票に行かなかった)。

ムーアは予備選中はサンダース候補を支持すると表明し、本選前には「トランプが勝つ5つの理由」という記事を書いてトランプの勝利を「予言」していた。ムーアがトランプ勝利を言い当てることができたのは、ムーア自身が、トランプ支持者が多く集まる「ラストベルト」の一部、ミシガン州フリントという自分の故郷で取材を続けていたからだ。彼はトランプ支持者がなぜトランプに共鳴するのかを理解しているし、だからこそ作品中でもトランプ支持者を直接の「ターゲット」にはしなかった。

一方で、ムーアの矛先はもちろんトランプにも向いていく。作品中に出てくるトランプヘの最も辛辣な一撃は、娘のイバンカに対する「児童性的虐待」疑惑だろう。少女だったころのイバンカにトランプが身体を密着させるシーンが繰り返し映し出され、「(イバンカが)娘じゃなかったら付き合っていた」と発言する様子は、中間選挙が近づくなか特に女性有権者を不快な気分にさせるには十分だ。

またムーアは、故郷フリントがミシガン州知事リック・スナイダー(共和党)の政策によって水質汚染に苦しんでいる姿を告発する。経済がひっ迫したフリントに州が民営の水道を開設したが、その水に鉛が混入していた。水を飲んだ住民は子供を含め健康に異常をきたすが、州はこれを隠蔽する。

実業家出身のスナイダーはトランプの古い友人であり、ムーアがメスを入れるスナイダーの「隠蔽体質」には、ロシア疑惑の渦中にあるトランプを思い浮かべずにはいられない。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

情報BOX:パウエル米FRB議長の発言要旨

ワールド

バイデン政権の対中関税引き上げ不十分、拡大すべき=

ワールド

OPEC、世界需要予想据え置き 「OPECプラス産

ワールド

米のロシア産ウラン輸入禁止措置、8月11日から開始
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少子化の本当の理由【アニメで解説】

  • 2

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダブルの「大合唱」

  • 3

    アメリカからの武器援助を勘定に入れていない?プーチンの危険なハルキウ攻勢

  • 4

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 5

    英供与車両から巨大な黒煙...ロシアのドローンが「貴…

  • 6

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 7

    ユーロビジョン決勝、イスラエル歌手の登場に生中継…

  • 8

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 9

    「ゼレンスキー暗殺計画」はプーチンへの「贈り物」…

  • 10

    ロシア国営企業の「赤字が止まらない」...20%も買い…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 4

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 7

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 8

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 9

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 10

    ウクライナ防空の切り札「機関銃ドローン」、米追加…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中