なぜ、いま「著作権」について考えなければならないのか?―ヨーロッパの現場から
現在の「著作権」を捉えなおす試みがヨーロッパで活発になっている
著作権はどうあるべきか 2016年、アンネ・フランクの『アンネの日記』とヒトラーの『わが闘争』がパブリックドメインになった
2016年は、パブリックドメインのビッグ・イヤーだった。パブリックドメインとは著作物の著作権が切れて権利者の許諾なしに作品が自由に使えるようになることで、日本でも江戸川乱歩、谷崎潤一郎、中勘助など有名な作家が2016年に死後50年を迎え、作品がパブリックドメインに入った。
ヨーロッパでは2016年、このパブリックドメインがとくにおおきな話題を呼んだ。2016年は、アンネ・フランクの『アンネの日記』とヒトラーの『わが闘争』がパブリックドメインに入ったからである。
この「パブリックドメイン」のように、ヨーロッパでは「著作権」の問題がしばしば話題に上がる。ユーザーの権利はどこまで認められるべきなのか、創作物が公共に与える役割とはなんなのか、といった視点から現在の「著作権」を捉えなおす試み、が特にヨーロッパでは非常に活発だ。
「著作権」はいま根本的な見直しを迫られている
一方で、日本で「著作権」が問題になるとき、こういった視点から論争が起こることはほとんどないように思う。
無理もないかもしれない。日本にいて日本語のコンテンツを享受している限り、著作権について深く考える必要に迫られないからだ。誰かの創作物に対しては著作権がある、それは守らなければならない。無断でコピーや二次創作をしたり、それで儲けてはいけない。そうするためには権利者に許諾をとる必要がある。それのどこに問題があるんだろう、というのが大半の意見ではないだろうか。
しかし世界に目を向けてみると、この「著作権」はいま様々なところで取り上げられ根本的な見直しを迫られる、大きな問題となっている。さらにこの問題には、「インターネットとデジタルテクノロジーの発達」という背景が多分に影響している。