最新記事

チベット

ダライ・ラマは聖人にあらず

世界が仰ぎ見る「けがれなき」人は、実は中絶と同性愛に否定的。理想郷化がもたらす大き過ぎる弊害

2010年3月25日(木)14時47分
クリスティーナ・ラーソン(フォーリン・ポリシー誌編集者)

灯台か広告塔か ダライ・ラマを崇拝する人々は、彼の保守的な側面は見ようとしない(09年8月、スイスのローザンヌで) Valentin Flauraud-Reuters

 チベットと聞いて人々が想像するもの──雪に覆われた山々と息をのむような絶景、風にはためくチベット仏教の祈祷旗、透き通るような青い空、サフラン色の法衣をまとい祈りのマニ車を回す僧。そして何より、時が止まったような神聖さ。

 チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世もやはり特別だ。揺るぎない信念と深い慈悲の持ち主で、彼自身が啓示であり道義的な羅針盤であり、騒然とした現代の国際社会にあっても航路を照らし続けてくれる灯台だ。

 独立運動や困難な政治状況を脇に置き、西側にとってのチベットの意味をひとことで表すとすれば、「けがれなさ」だろう。こうしたイメージは、リチャード・ギアやスティーブン・セガールなどのハリウッド・スターがチベット独立を崇高な運動に祭り上げるよりずっと以前から定着していた。

 最も有名なのは1933年のイギリスの小説『失われた地平線』だ。主人公はヒマラヤ山中のラマ寺院を訪ね歩くうち、いつも満足して幸せで若々しく、一般人の悩みからは隔離されたような謎めいた人々に出会う。『チップス先生さようなら』で有名な作者のジェームズ・ヒルトンがこの作品で描いたのは、かすみのかかった渓谷にたたずむ僧院「シャングリラ」だ。以来、シャングリラは地上の理想郷と同義語になった。

 チベット問題に、遠く離れた西側の多くの人が親近感を持っているのは、ダライ・ラマが精力的に世界を飛び回って訴えているからだけでなく、何より、チベットがはるか昔から西側の人々の心を捉える存在だったせいだ。

 同じ中国の少数民族でも、ウイグル人の窮状にはわれわれは気付かなかった。新疆ウイグル自治区の区都ウルムチで、彼らが暴動を起こすまでは。

 私が住むワシントン界隈では、チベット仏教の祈祷旗タルチョを連帯の印としてバルコニーやポーチに掲げている家も少なくない。2月18日には、中国政府の激しい抗議にもかかわらず、バラク・オバマ米大統領がホワイトハウスでダライ・ラマと会談した。

名声にあやかりたがる外国人

 ダライ・ラマは精神的指導者というだけでなく、宗教や自己啓発に関して多くの本を書いている。『ダライ・ラマ 科学への旅──原子の中の宇宙』(邦訳・サンガ)や『こころの育て方』(邦訳・求龍堂)などの本は、各国の言語に翻訳され出版されている。

 ヨーロッパに行けば一国の政治指導者のところに立ち寄ることもあるし、ロサンゼルスに行けばエンターテインメント業界の大立者にも会える。1989年にノーベル平和賞を受賞し、米タイム誌が毎年選ぶ「世界で最も影響力のある100人」にも2度選出されている。初めて西側へ旅したダライ・ラマとして、彼は実に見事な国際的イメージをつくり上げた。

 ダライ・ラマの名声と地位があまりにも高いので、最近はその話題性にあやかりたい一心でダライ・ラマを表彰するケースもあるようだ。ポーランドの町ウロツワフは08年、ダライ・ラマを名誉市民にした。米テネシー州メンフィスも昨年9月、似たような申し出を行っている。

 だが、西側がダライ・ラマのことをどれだけ知っているというのだろう。慈悲の精神や環境保護といったダライ・ラマの主張は主としてリベラル派の間に多くの信奉者を持つ。だが彼の社会的な保守性はよく知られていないか、故意に無視されている(イギリスのジャーナリスト、クリストファー・ヒッチェンズは例外の1人だ)。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

アングル:韓国大統領代行の韓悳洙首相、超党派の実務

ワールド

韓国大統領の弾劾訴追案可決、与党議員が一部造反 

ワールド

情報BOX:韓国大統領の命運握る憲法裁、弾劾可決受

ワールド

韓国与党、大統領弾劾への方針協議 午後に国会で再び
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:韓国 戒厳令の夜
特集:韓国 戒厳令の夜
2024年12月17日号(12/10発売)

世界を驚かせた「暮令朝改」クーデター。尹錫悦大統領は何を間違えたのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ミサイル落下、大爆発の衝撃シーン...ロシアの自走式多連装ロケットシステム「BM-21グラート」をHIMARSで撃破の瞬間
  • 2
    「どんなゲームよりも熾烈」...ロシアの火炎放射器「TOS-1」をウクライナ軍が破壊する劇的瞬間をカメラが捉えた
  • 3
    半年で約486万人の旅人「遊女の数は1000人」にも達した江戸の吉原・京の島原と並ぶ歓楽街はどこにあった?
  • 4
    電池交換も充電も不要に? ダイヤモンドが拓く「数千…
  • 5
    ロシア兵「そそくさとシリア脱出」...ロシアのプレゼ…
  • 6
    コーヒーを飲むと腸内細菌が育つ...なにを飲み食いす…
  • 7
    2年半の捕虜生活を終えたウクライナ兵を待っていた、…
  • 8
    増加し続けるウクライナ軍の「脱走兵」は20万人に...…
  • 9
    統合失調症の姉と、姉を自宅に閉じ込めた両親の20年…
  • 10
    「炭水化物の制限」は健康に問題ないですか?...和田…
  • 1
    ロシア兵「そそくさとシリア脱出」...ロシアのプレゼンス維持はもはや困難か?
  • 2
    半年で約486万人の旅人「遊女の数は1000人」にも達した江戸の吉原・京の島原と並ぶ歓楽街はどこにあった?
  • 3
    ミサイル落下、大爆発の衝撃シーン...ロシアの自走式多連装ロケットシステム「BM-21グラート」をHIMARSで撃破の瞬間
  • 4
    「炭水化物の制限」は健康に問題ないですか?...和田…
  • 5
    2年半の捕虜生活を終えたウクライナ兵を待っていた、…
  • 6
    男性ホルモンにいいのはやはり脂の乗った肉?...和田…
  • 7
    「男性ホルモンが高いと性欲が強い」説は誤り? 最新…
  • 8
    人が滞在するのは3時間が限界...危険すぎる「放射能…
  • 9
    「どんなゲームよりも熾烈」...ロシアの火炎放射器「…
  • 10
    コーヒーを飲むと腸内細菌が育つ...なにを飲み食いす…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 4
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 5
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 6
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 7
    ロシア兵「そそくさとシリア脱出」...ロシアのプレゼ…
  • 8
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 9
    半年で約486万人の旅人「遊女の数は1000人」にも達し…
  • 10
    「炭水化物の制限」は健康に問題ないですか?...和田…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中