最新記事
映画

科学者「オッペンハイマー」を描く試みが不完全...原爆と水爆の違いも説明せず...映画に感じた「不満」

SCIENCE VS NARRATIVE

2024年4月9日(火)13時00分
チャールズ・サイフェ(ニューヨーク大学ジャーナリズム研究所所長)
クリストファー・ノーラン監督(右)の描くオッペンハイマーは、優れた科学者であるが故に精神を病んだ男というよくあるパターンを踏襲している ©UNIVERSAL PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.

クリストファー・ノーラン監督(右)の描くオッペンハイマーは、優れた科学者であるが故に精神を病んだ男というよくあるパターンを踏襲している ©UNIVERSAL PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.

<ドラマチックな映像は素晴らしいが、科学者オッペンハイマーを描く試みは不完全>

映画『オッペンハイマー』のような「実話に基づく物語」の難点は、分かりやすく整理された実話はめったにないということだ。ハラハラするクライマックスの後に、大団円のエンディングが待っていることはまずない。現実の世界は正義感と懸け離れた動機や失敗や挫折だらけで、話の展開もつまずいたり急に進んだりとスムーズにはいかない。

そこで創作の出番となる。話の流れをスムーズにしたり、第三者にも分かりやすくするために、実話に少しばかり手を加える作業がなされる。

だが、科学は分かりやすいストーリーにされることをかたくなに拒否する。そこが科学を描く映画の難しいところだ。ストーリーの基礎を成す科学と登場人物と歴史に忠実でありつつ、観客が求める緊張感やドラマを盛り込むのはとてつもなく大変な作業だ。そして多くの場合、科学が真っ先に犠牲になる。『オッペンハイマー』も例外ではない。

この作品では、科学が大きなカギを握っている。そもそも主人公のロバート・オッペンハイマーは物理学者であり、彼の科学を理解せずして、彼という人間を理解することはできないし、マンハッタン計画におけるオッペンハイマーの役割を完全に把握することもできない。

脚本も担当したクリストファー・ノーラン監督は、ある部分では物語の流れにマイナスになる可能性があっても、科学的な事実に忠実であるために極端なことをした。

例えば、音と光では伝わるスピードが違うという科学的な事実の扱い方。オッペンハイマーらが史上初の核実験を観察したベースキャンプは、爆心地から約16キロ離れていた。つまり、スクリーンいっぱいに原子爆弾のキノコ雲が広がってから、オッペンハイマーたちが爆音を聞くまでの間に、まるまる1分ほどの不気味な静寂があるはずだ。

下手な監督なら、観客がその間にけげんな顔をすることに不安を覚えるだろう。だが、ノーランはそれを完全に表現することを恐れなかったどころか、ドラマチックな演出のために時間差を延長している。しかも閃光と奇妙な沈黙と遅れてやって来る爆音という流れは、物語の中心的なテーマとして映画の中で何度か効果的に登場する。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米住宅供給問題、高水準の政策金利で複雑化=ミネアポ

ビジネス

米金融政策は「引き締め的」、物価下押し圧力に=シカ

ワールド

ガザ休戦合意に向けた取り組み、振り出しに戻る=ハマ

ビジネス

マクドナルド、米国内で5ドルのセットメニュー開始か
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:岸田のホンネ
特集:岸田のホンネ
2024年5月14日号(5/ 8発売)

金正恩会談、台湾有事、円安・インフレの出口......岸田首相がニューズウィーク単独取材で語った「次の日本」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 2

    「少なくとも10年の禁固刑は覚悟すべき」「大谷はカネを取り戻せない」――水原一平の罪状認否を前に米大学教授が厳しい予測

  • 3

    ウクライナ防空の切り札「機関銃ドローン」、米追加支援で供与の可能性

  • 4

    過去30年、乗客の荷物を1つも紛失したことがない奇跡…

  • 5

    中国のホテルで「麻酔」を打たれ、体を「ギプスで固…

  • 6

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 7

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 8

    休養学の医学博士が解説「お風呂・温泉の健康術」楽…

  • 9

    「一番マシ」な政党だったはずが...一党長期政権支配…

  • 10

    「妻の行動で国民に心配かけたことを謝罪」 韓国ユン…

  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 3

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋戦争の敗北」を招いた日本社会の大きな弱点とは?

  • 4

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 5

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 6

    テイラー・スウィフトの大胆「肌見せ」ドレス写真...…

  • 7

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 10

    休養学の医学博士が解説「お風呂・温泉の健康術」楽…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 7

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 8

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

  • 9

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

  • 10

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中