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85歳の巨匠が先取りする「デジタルアーティスト」の未来について

Hockney Goes Immersive

2023年4月23日(日)14時10分
サイモン・マッキューン(英ティーズサイド大学芸術学教授)
デービッド・ホックニー

「若者たちに何かヒントを与えられたら」と語るホックニー JUSTIN SUTCLIFFE

<「鑑賞」から「体験」する時代へ。最先端を行く没入型エキシビションに巨匠デービッド・ホックニーが新たに挑む>

イギリス生まれのアーティスト、デービッド・ホックニーは数々のテクノロジーの波に乗ってきた。画家としては従来の慣行に挑戦、iPadやiPhoneを駆使してコンピューター・ドローイングをいち早く取り入れた。

ロンドンにオープンした没入型アートスペース「ライトルーム」で開催中の『デービッド・ホックニー より大きく&近く(小さくなく遠くない)』は、複数の大型ディスプレイを使って85歳の巨匠の過去60年の作品を振り返るとともにアーティストとしての未来ものぞかせる(10月1日まで)。

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ライトハウスで開催中のホックニー展は観客に作品の物語を「体験」させる ©DAVID HOCKNEY COLLECTION CENTRE POMPIDOU, PARIS. MUSÉE NATIONAL D'ART MODERNE - CENTRE DE CRÉATION INDUSTRIELLE

没入型エキシビションは今までも開催されているが、存命の主流派アーティストではホックニーは先駆け的存在だ。

没入型エキシビションは「真の」芸術愛好家ではなくインスタグラム時代向きの商業的企画だ、との批判も多い。だがホックニーはiPadなどのテクノロジーを取り入れ、現在のデジタル社会を受け入れている。最先端かつユニークな「体験」を求める消費者に、静的な絵画の鑑賞にとどまらない体験価値をもたらそうとしている。

ホックニー作品の魅力は脱構築的手法にある。例えば砂漠の風景の革新的なフォトコラージュ『ペアブロッサム・ハイウェイ』は1980年代の写真技術を拡張して制作した作品で、観客の目を引くため対象をばらばらにしてから再構築してある。

「私がこの広大なアメリカの風景を(車で)通り過ぎながら見るものを見てごらん」とホックニーが語りかけてくる気がする。

ホックニーは研究者としても知られ、初期のカメラ・オブスキュラ(ピンホールカメラ)などの使用によって絵画が重要な変化を遂げたことも考察。最先端技術は自分の制作プロセスの一助であり活用し実験すべきものだと説く。

作者自身が内容を管理

問題は彼の大量の作品を脱構築してから再構成し、観客にとって有意義で楽しめて刺激的でさえある体験にできるかどうかだ。

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「若者たちに何かヒントを与えられたら」と語るホックニー JUSTIN SUTCLIFFE

アート作品の没入型エキシビションに対するアート界の反応は複雑だ。制作後の編集・加工やアニメ化は作品の原形をとどめないほど変えているという声も少なくない。例えばフィンセント・ファン・ゴッホの『夜のカフェテラス』が風にはためくのれんと化す、という具合だ。

アート作品の知的財産搾取自体は今に始まったことではない。以前からミュージアムショップにはオリジナル作品を商品化したカップや皿やショルダーバッグが並ぶ。こうした状況とともにアート作品のビデオインスタレーション化も軽蔑するべきなのか。

今回のホックニー展がこれまでと違うのは、作者自身が存命で自分のテクノロジーとビジョンを管理できる点だ。ホックニーはこのパフォーマンスの視覚効果や音響効果に深く関わっている。

展示は6章構成で一巡するのに約50分、制作プロセスも分かる。アメリカの作曲家ニコ・ミューリーによるオリジナル・サウンドトラックとホックニー本人の解説が流れるなか、慎重に振り付けられた作品が壁面に躍る。

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iPadで描いた12枚の絵で構成される新作の模型を見るホックニー ©DAVID HOCKNEY. PHOTO CREDIT: MARK GRIMMER

デジタル技術を使った実験は長年行われてきた。ジェフリー・ショーの『レジブル・シティ(可読都市)』(1988~91年)は都市を自転車で巡る行為を読むという双方向かつ没入型の行為に変貌させる。スクリーンに映し出される都市(実際の都市情報に基づく3DCG)に単語や文章でできた建築物が並び、自転車(ルームサイクル)をこいで街を読みながら移動する。

この作品は観客を巻き込む難しさを浮かび上がらせた。アーティストは見てくれのテクノロジーでごまかすのではなく、観客を楽しませる工夫をしなければならない。今では視覚的にも技術的にも古くなったとはいえ、コンセプトとしては十分通用する。

観客を飽きさせない工夫

仮想現実(VR)や拡張現実(AR)やプロジェクションマッピングは有益なツールだが、コンセプトデザインがなければ使ってもすぐに古びる。当初のスリルと技術的な意外性が薄れてからも観客を飽きさせないためにはどうすればいいのか。

重要なのは見せ方だ。イメージの移り変わりを次々に見せるだけでは不十分かもしれない。優れた没入型エキシビションは感情を探り、また生み出すはずだ。スリルや不安やユーモアや驚きを利用して観客に物語を体験させる。

60年代後半、アーティストのエドワード・キーンホルツはアメリカの人種差別を反映した複合インスタレーションを生み出した。彼の『ファイブ・カー・スタッド』は今なお極めて重い意味を持つ。

映画のセットのような暗い部屋に自動車や木々と、石膏で型を取って作られた等身大の人間たちが配置され、観客は人種差別に基づく殺人の現場を目撃する。衝撃的な体験だ。

没入型ホックニー展が大規模な回顧展の域を超えて成功し、より多くの人が現代アートに興味を持つことを願う。それはホックニー自身の望みでもある。「若者たちに何かヒントを与えられたらいい」

85歳の巨匠は、年齢が自分の半分のアーティストの多くよりもデジタルの未来を先取りしている。次は何を先取りするのか、目が離せない。

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60枚のキャンバスに描かれた油彩(98年)のインスタレーション ©DAVID HOCKNEY COLLECTION NATIONAL GALLERY OF AUSTRALIA, CANBERRA

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大型スクリーンに投影される作品に見入る観客 JUSTIN SUTCLIFFE

The Conversation

Simon Mckeown, Professor of Art, School of Arts & Creative Industries, Teesside University, Teesside University

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

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