かつてウォークマンは革命だった
今ではアンティークの音楽プレーヤーとソニーが、「好きな音楽を自分で選ぶ」時代を切り開いた
自慰?破壊? ウォークマンの出現は人々の生き方まで変えた(写真は1981年に発売された「2代目」のWM-2) Esa Sorjonen
10月25日、ソニーはカセットテープ式の携帯音楽プレーヤー「ウォークマン」の日本国内での製造・販売を終了したと発表した。カセットテープ式の携帯型再生機がいまだに作られていたなんて!
いやいや、もう少し敬意を払おう。iPodやiPad、スマートフォンが全盛の今となっては、デカくてダサくて原始的にみえるウォークマンも、かつてはポップカルチャーに多大な影響を与えた革命的な発明だった。
発案者は、日米を往復する飛行機の中でオペラ音楽を楽しみたいと考えたソニーの共同創業者の盛田昭夫。ただしウォークマンの真髄は、どこにでも持ち運べる携帯性以上にユーザーの「孤立」と「自立」にあった。ウォークマンは世界における自分の居場所についての概念を覆したのだ。
1979年夏に発売された初代モデルTPS-L2には、ヘッドフォンプラグの差込口が2つあった。ソニーの広告の絵柄も、異なる風貌の2人(背の低い高齢の日本人男性と長身の若いアメリカ人女性など)が一つのウォークマンで一緒に音楽を聞くというもの。さらにTPS-L2には音楽を一時停止させるボタンがあり、ヘッドフォンを介して会話もできた。
社会規範の崩壊か、個人の自由の象徴か
「ウォークマンが登場するまで、音楽鑑賞は他人と共有する体験だった」と、ウォークマン誕生20周年の99年にソニー・アメリカのボブ・ニール副社長(当時)が私に話してくれた。当時は、自分一人で聞くために音楽コンテンツを購入するなんて思いもよらなかった。そんなことをすれば、周囲に「無礼」だと思われたはずだ。だから、ウォークマンを携えた多くの人が、自ら進んで外界から遮断され、好きな音楽に浸りながら街を闊歩する姿は衝撃的だった。
この現象を見て、社会規範が崩壊すると恐れる人もいれば、精神の解放だと喜ぶ人もいた。
キリスト教雑誌「クリスチャニティー・トゥデー」は、ウォークマンは若者にとって「神の声に取って代わる新たなライバル」だと警告した。哲学者のアラン・ブルームもベストセラー『アメリカン・マインドの終焉』で、「ウォークマンのヘッドフォンを装着したまま、数学の宿題をしている」13歳の少年に言及。「ウォークマンがあるかぎり、少年たちは伝統に耳を傾け」なくなり、「自慰的なファンタジー」の世界で生きることになると指摘した。
一方、著名な左派批評家レイ・チョウは、ウォークマンは「歴史の拡声器に耳を閉ざす自由」をもたらす存在で、マスメディアによる集団主義をテクノロジーによって破壊する手段だと絶賛。ソニーもそうしたリバタリアン(自由主義者)の主張に便乗して、「ウォークマンを「個人の選択」と「自由」の象徴としてアピールしたという。