最新記事

アメリカ経済

米国債めぐるエコノミストの激突

国債利回りの急騰はインフレの兆しなのか、それとも景気回復のシグナルなのか──専門家の間で激しい論争が続く

2009年6月10日(水)19時47分
ダニエル・グロス(ビジネス担当)

賛否両論 ガイトナー財務長官は債券市場をどう考えているのか Jim Bourg-Reuters

 米財務省証券(米国債)の10年債と30年債といえば、人気テレビ番組のように米国民を魅了する話題ではないかもしれない。だがこの半年間、エコノミストの間では国債をめぐって熱い議論が戦わされてきた。

 10年物国債の利回りは、世界経済が危機に陥った08年12月の2.07%から今年6月1日には3.715%へと79%上昇。30年物の利回りも同じ期間に2.5%から4.5%に上昇している。これらの数字が持つ意味をめぐって今、ノーベル賞経済学者ポール・クルーグマンをはじめとする一派と、『マネーの台頭』の著者で歴史家のニーアル・ファーガソン率いる一派が激しくぶつかり合っている。

 4月下旬、クルーグマンとファーガソンはニューヨークで開かれた討論会でやり合った。その後もファーガソンはフィナンシャル・タイムズ紙上で、クルーグマンはニューヨーク・タイムズ紙のコラムで、それぞれ自説を展開してバトルを続けている。

「景気対策がインフレを引き起こす」

 一言で言えば、ファーガソン一派はこう信じている。国債利回りの上昇は、オバマ政権とFRB(連邦準備理事会)の財政・金融政策が必然的に引き起こすインフレを、市場が懸念していることの証しだと。

 膨れ上がる財政赤字や、公的年金と高齢者医療保険の財源不足を考えれば「債券市場がおじけづくのも無理はない」と、ファーガソンは言う。「国債発行の津波が『利回り上昇の圧力にならない』などと言えるのは、浮世離れした入門経済学の講義の中でだけだ」。ドイツのアンゲラ・メルケル首相やほかのインフレ嫌いの経済学者らも、同様の懸念を抱いている。

 それに対してクルーグマン一派は真っ向から反論する。国債利回りの上昇は、差し迫った危機の兆候とはほど遠く、むしろ状況が改善しつつある証しだと主張している。
 
 昨年12月に利回りがあれほど低くなったのは、世界中の投資家がリスクを異常に恐れたためだ。投資家は、アメリカ株や新興国の国債、ヨーロッパの社債やインドの株式などすべてを売り払った。そして最も安全で流動性の高い投資先の米国債に現金を避難させたのだ。

 その後の数カ月で、景気刺激策と金融機関救済によって経済が安定し、投資家は落ち着き始めた。市場のストレスを示す指標も改善した。今春になって投資家は、利回りの低い国債を売り、株式や他の資産を買い始めた。例えばブラジルインドの最近6カ月の経済指標を見るといい。

 フィナンシャル・タイムズの論説委員マーティン・ウルフは、いつもどおり明晰(めいせき)な頭脳でこう書いた。「国債利回りの上昇は、パニック後の望ましい正常化の形だ。投資家はドルと国債に飛びついた。彼らは今、急いで去りつつある。気まぐれな金融市場へようこそ」

 こうした議論は筋が通っている。08年12月の利回りの低さがいかに常軌を逸していたかを示す30年債の長期チャートを見れば、なおさらそう思える。市場が将来の長期的なインフレと高い金利を懸念しているように見えるだろうか。

オバマいじめが目的なのか

 楽観主義者と悲観主義者の主張を比較して評価する際は、主張している人物も評価する必要がある。そういう意味では、ファーガソン一派の信頼性は低い。風刺作家H・L・メンケンは、清教徒のことを「誰かがどこかで幸せかもしれないという恐怖にとらわれている」人たちだと呼んだ。

 ファーガソンは、さしずめ「誰かがどこかで社会保険を受けているかもしれない」という恐怖にとらわれた知的保守主義者だろう。こうした人々は巨額の財政赤字への対応策として、公的給付削減と増税回避を常に主張しているようだ。

 一方で、債券市場について警告を発する「監視役」が、民主党政権のときにだけ現れることにお気付きだろうか。スタンフォード大学のジョン・テーラー教授はブッシュ前政権の時代、急増する財政赤字のインフレ誘発的側面についてあまり論文を書かなかった。政権と議会が財政支出を大幅に増やし、黒字の財政を巨額の赤字に転落させていたのにもかかわらずだ。テーラーはブッシュ政権で財務省に勤めていた。

 クルーグマンはこう述べている。「いまインフレの恐怖を大げさに言い立てているのは政治的な行為ではないかという気がしてならない。そうした発言の大半は、減税による財政赤字は気にしないのに、政府が米経済を救うために支出を増やすと急に文句を言うタイプのエコノミストによるものだ。彼らの目標は、オバマ政権をいじめて経済救済をあきらめさせることだと思える」
 
 とはいえ、ファーガソン一派と(私自身を含む)クルーグマン一派の双方とも、債券の短期的な価格変動を深読みし過ぎる傾向があるようだ。債券市場ではもっと多くの要素が絡み合っている。

市場はスターウォーズの酒場

 そもそも市場の動きが何かを伝えてくれるという考えは間違った前提に基づいている。つまり、情報を効率的に処理する合理的な参加者たちの知恵を市場が反映しているという前提だ。

 もちろん市場には冷静で先見の明のある投資家がたくさんいる。だが一方で、奇人や愚かな者、強欲な投機家、デイトレーダー、隠れた動機を持つ政府関係者なども大勢いる。市場は、プリンストン大学の学者が集うラウンジというより、多種多様な人々が集まる映画『スターウォーズ』の酒場に似ているのだ。
 
 プリンストン大学のラウンジにかつて生息していた1人、ベン・バーナンキFRB議長は6月3日の議会証言で、対立する意見を2で割ったような立場を取った。

「しかしながら、ここ数週間で長期財務省証券と固定金利型住宅ローンの金利は上昇した」とバーナンキは述べ、こう説明した。「これらの上昇は、連邦政府の巨額の赤字に対する懸念だけでなく他の要素も反映しているように見える。その中には、より楽観的な経済見通し、『質への逃避』からの反転、そして住宅ローンのヘッジに関連する技術的な要素が含まれる」

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

アングル:トランプ氏なら強制送還急拡大か、AI技術

ビジネス

アングル:ノンアル市場で「金メダル」、コロナビール

ビジネス

為替に関する既存のコミットメントを再確認=G20で

ビジネス

米国株式市場=上昇、大型ハイテク株に買い戻し 利下
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプ暗殺未遂
特集:トランプ暗殺未遂
2024年7月30日号(7/23発売)

前アメリカ大統領をかすめた銃弾が11月の大統領選挙と次の世界秩序に与えた衝撃

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「習慣化の鬼」の朝日新聞記者が独学を続けられる理由【勉強法】
  • 2
    BTS・BLACKPINK不在でK-POPは冬の時代へ? アルバム販売が失速、株価半落の大手事務所も
  • 3
    【夏休み】お金を使わないのに、時間をつぶせる! 子どもの楽しい遊びアイデア5選
  • 4
    キャサリン妃の「目が泳ぐ」...ジル・バイデン大統領…
  • 5
    地球上の点で発生したCO2が、束になり成長して気象に…
  • 6
    カマラ・ハリスがトランプにとって手ごわい敵である5…
  • 7
    トランプ再選で円高は進むか?
  • 8
    拡散中のハリス副大統領「ぎこちないスピーチ映像」…
  • 9
    中国の「オーバーツーリズム」は桁違い...「万里の長…
  • 10
    「轟く爆音」と立ち上る黒煙...ロシア大規模製油所に…
  • 1
    正式指名されたトランプでも...カメラが捉えた妻メラニアにキス「避けられる」瞬間 直前には手を取り合う姿も
  • 2
    すぐ消えると思ってた...「遊び」で子供にタトゥーを入れてしまった母親の後悔 「息子は毎晩お風呂で...」
  • 3
    月に置き去りにされた数千匹の最強生物「クマムシ」、今も生きている可能性
  • 4
    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…
  • 5
    「習慣化の鬼」の朝日新聞記者が独学を続けられる理…
  • 6
    【夏休み】お金を使わないのに、時間をつぶせる! 子…
  • 7
    ブータン国王一家のモンゴル休暇が「私服姿で珍しい…
  • 8
    「失った戦車は3000台超」ロシアの戦車枯渇、旧ソ連…
  • 9
    「宇宙で最もひどい場所」はここ
  • 10
    ウクライナ南部ヘルソン、「ロシア軍陣地」を襲った…
  • 1
    中国を捨てる富裕層が世界一で過去最多、3位はインド、意外な2位は?
  • 2
    ウクライナ南部ヘルソン、「ロシア軍陣地」を襲った猛烈な「森林火災」の炎...逃げ惑う兵士たちの映像
  • 3
    ウクライナ水上ドローン、ロシア国内の「黒海艦隊」基地に突撃...猛烈な「迎撃」受ける緊迫「海戦」映像
  • 4
    ブータン国王一家のモンゴル休暇が「私服姿で珍しい…
  • 5
    正式指名されたトランプでも...カメラが捉えた妻メラ…
  • 6
    韓国が「佐渡の金山」の世界遺産登録に騒がない訳
  • 7
    すぐ消えると思ってた...「遊び」で子供にタトゥーを…
  • 8
    月に置き去りにされた数千匹の最強生物「クマムシ」…
  • 9
    メーガン妃が「王妃」として描かれる...波紋を呼ぶ「…
  • 10
    「どちらが王妃?」...カミラ王妃の妹が「そっくり過…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中