コラム

バグダードのテロ再び──テロ犠牲者の遺恨を体現した「フランケンシュタイン」は再来するか?

2021年02月02日(火)14時45分

2016年7月に自爆テロを受けたバグダッド北方の警備チェックポイント Khalid Al Mousily-REUTERS

<バイデン米大統領の就任を受け、米軍撤退後のイラクを再び混乱に陥れようとISが動き始めた>

1月21日、イラクの首都バグダードの中心街で大規模な爆破事件が起きた。翌日にはISが犯行声明を出したが、イラク国内でISによるものと思われるテロ事件はバグダード以外では1年半前(2019年8月、キルクーク)、バグダードでは3年前の2018年1月以来である。トランプ前政権が、イラク駐留米軍の数をこれまでの3万人から2500人に減少させるとした期限の1月15日から1週間後、バイデン大統領の就任式の翌日というタイミングを考えると、米軍撤退後のイラクを再び混乱に陥らせようというISの思惑が透けてみえよう。

興味深いのは、爆発現場となった場所である。3年前、当時のアバーディ・イラク首相がIS掃討作戦を「勝利」で終えたと宣言した一か月後に、バグダード市内で38人の死者を出したのも、同じ場所、タイヤラーン広場だった。3年前だけではない。タイヤラーン広場は、イラク戦争以降頻繁に爆破事件の現場になってきた。大きなものでは、2007年5月に停留所近くで起きたミニ・バス爆破で24人が死亡した事件、同年12月にペットショップ近くで起きた爆発で買い物客など14人が死亡した事件などがある。それ以外にも、2005年頃から市場や職を求める求職者の列、巡回中の警官などがターゲットになっている。

なによりも、タイヤラーン広場を世界的に有名にしたのは、アラブ文学のブッカー賞ともいわれるアラブ国際小説賞を2014年に受賞した『バグダードのフランケンシュタイン』(アフマド・サアダーウィ著)だ。本書冒頭で、タイヤラーン広場でのバス爆発事件が衝撃的な形で描写されるが、おそらく2005年9月に6人の死者を出した自爆テロ事件のことだろう。

この小説は、テロで生まれた死者の体のパーツをつなぎ合わせて作られた「名無しさん=バグダードのフランケンシュタイン」が、死者のさまざまな遺恨を体現して「報復」してまわる、というストーリーを軸に、当時の混沌としたバグダードの「普通の人々」の生き様を描いたものだ。タイヤラーン広場とそこから南に広がるバッターウィーン地区という、伝統的なバグダードの商業中心街が小説の舞台だが(旧地名なので現在の行政地図には載っていない。1961年のバグダードの交通地図はこちら)、さまざまな宗派、宗教、民族、地方出身者が交じり合うこの地区は、まさに多民族・多宗派からなるイラクという国のありかた自体を象徴している。

外国資本の象徴として、何度もテロ攻撃の対象に

タイヤラーン(「航空」の意味)という言葉からわかるように、かつてこの広場の近くには航空関係者の協会があった。空軍にせよ民間航空業界にせよ、60~70年代は最先端の花形産業の担い手が集う場所だったわけだ。タイヤラーン広場から西、チグリス川に500メートルほど寄ったところにタハリール広場があるが、タハリール広場から南に下がるサアドゥーン通りは昔ながらの目抜き通りで、筆者が住んでいた80年代後半には、航空会社の本社ビルや銀行、デパートなどが立ち並んでいた。高級感では「銀座」とまではいかないが、新橋、有楽町あたりの伝統的なビジネス街として活気を保っていた(もっとも、「新宿」や「渋谷」にあたる若者向け・上流向けの地区としては、チグリス川西岸側のマンスールが繁栄しているが)。

このサアドゥーン通りと並行するニダール通りの間、南はフィルドゥース広場までの地区が、バッターウィーンである。フィルドゥース広場は、2003年、米軍がイラクに進軍するなかで、サッダーム・フセインの銅像を引き倒してバグダード制圧の象徴にした、その銅像があった場所である。40年近く前からメリディアン(現地名パレスチナ)・ホテル、シェラトン(イシュタール)・ホテルという二大外資系ホテルが広場西側にそそり立ち、広場から東に歩いて4分のところにノヴォテル・ホテルがあった。

2003年以降、フセイン政権時代の繁栄、外国資本の象徴として、広場周辺は何度もテロ攻撃の対象となってきた。サアダーウィが描く「名無しさん」が体現するさまざまな死者の遺恨の継ぎ合わせは、この地域では、フセイン政権時代への遺恨と、フセイン政権が倒れて栄華を失ったことへの遺恨、そして外国軍の介入に対する遺恨によって成り立っている(サアダーウィ氏への筆者のインタビューをぜひご覧ください)。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
コラムアーカイブ(~2016年5月)はこちら

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米加金利の乖離に限界あり=カナダ中銀総裁

ビジネス

米新規失業保険申請、20万8000件と横ばい 4月

ビジネス

米貿易赤字、3月は0.1%減の694億ドル 輸出入

ワールド

ウクライナ戦争すぐに終結の公算小さい=米国家情報長
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:世界が愛した日本アニメ30
特集:世界が愛した日本アニメ30
2024年4月30日/2024年5月 7日号(4/23発売)

『AKIRA』からジブリ、『鬼滅の刃』まで、日本アニメは今や世界でより消費されている

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 2

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロシア空軍基地の被害規模

  • 3

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 4

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 5

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 6

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 7

    「複雑で自由で多様」...日本アニメがこれからも世界…

  • 8

    中国のコモディティ爆買い続く、 最終兵器「人民元切…

  • 9

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 10

    「TSMC創業者」モリス・チャンが、IBM工場の買収を視…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドローンを「空対空ミサイルで撃墜」の瞬間映像が拡散

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 5

    AIパイロットvs人間パイロット...F-16戦闘機で行われ…

  • 6

    日本マンガ、なぜか北米で爆売れ中...背景に「コロナ…

  • 7

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 8

    「すごい胸でごめんなさい」容姿と演技を酷評された…

  • 9

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 10

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 10

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story