コラム

2022年、大江千里の職業は「生きること」

2022年01月08日(土)16時00分

愛犬「ぴ」と新居で迎える初めての元旦 SENRI OE

<昨年はコロナワクチンでアナフィラキシーショックを経験したNY在住の大江千里。11月には3回目の接種も終え、2022年の目標を「生きること」に定めた理由とは>

明けましておめでとうございます。

役目を終えたツリーを片し、「さあ、今年こそ新たにまた動き出せるはずだ」と新しい年に希望を託していたまさに去年の1月2日、大家からいきなり「男の子が生まれるんだ。君が住んでいる場所を改造して家族のついのすみかにしたい」と告げられる。

「よく考えてくれ。君とは10年来の友人でもあるし」。10年住み続けている場所を動くのかと、頭が真っ白になった。コロナで疲弊している上、また新たな難題が降り掛かったと、袋小路に迷い込んだ気持ちになった。

2021年1月10日、予約していた1回目のワクチンを受ける。その5日後に今いる新居への引っ越しを終える。まるでジェットコースターライフ。

引っ越したその夜に、ガス漏れで2週間ヒーター、温水が止まったままに。シャワーなし、洗濯機なし、自炊なし。朝のコーヒーはカセットコンロで。ダウンを着て愛犬「ぴ」と抱き合い眠った。

そのうちこの状況の中でこそ新しい音楽をつくろうと思い立ち、パソコンとミニキーボードをつないで「1人」で「パンデミックジャズ」と銘打ち、新たな電子の音でのジャズをつくり始めた。ベース、ドラムなど全ての楽器を指で弾きサンプリングを多用し、アルバム『Letter to N.Y.』が完成。冬枯れの見慣れない景色の中で起こる、ブルックリンの人たちのエネルギー交換をそのままキャッチし音楽に。

また思いもよらぬ事件、2月10日に2回目のワクチンでアナフィラキシーショックを起こし昏睡状態に。だが助かった。本も上梓。タイトルは『マンハッタンに陽はまた昇る』(KADOKAWA)。コロナによって多くの価値観が崩壊するなかでひたすらサバイブし、そこから見つける希望をつづった。

帰国ライブはお預けだけど

11月1日、3回目のブースターワクチンはあっという間。迷いはしたが、それでも先へ進もうと受けることに。コロナでいったん全滅したライブやフェスの仕事が秋あたりから少しずつ復活。本数は少ないが未来への希望がともる。

そして今、10年分ほど過ごしたような気さえするが新しい家で迎える初めての元旦だ。日本は海外からのアーティストの招聘のめどが立たない状態なので残念ながら帰国ライブはまだお預けだ。

ニューヨークでの主要ライブハウスも復活はしてもまだ客足は微妙な状況。経済の復興には痛みが付き物だが、生きることが困難になる逆境の中で、人の情けや親切に触れ、たとえ懐は寒くても心は温かい。僕は、なおもこの街で生き続ける。

生きることとは僕にとって、音楽をつくり続け演奏すること。暗闇のトンネルから脱出できたのは「音楽」に背中を押されたからだ。心の信じるままに生きよう。

なくなった過去を振り返るのではない。人生がどれほど続くかは誰にも分からないが一日とて同じ日は来ない。その連続をミスしたくないと思うし、ほかの誰のためでもなく、いま生きている証しを深く刻んでいきたい。きっと理由がありここにいる。

職業は「生きること」。楽器は「笑顔」だ。

プロフィール

大江千里

ジャズピアニスト。1960年生まれ。1983年にシンガーソングライターとしてデビュー後、2007年末までに18枚のオリジナルアルバムを発表。2008年、愛犬と共に渡米、ニューヨークの音楽大学ニュースクールに留学。2012年、卒業と同時にPND レコーズを設立、6枚のオリジナルジャズアルパムを発表。世界各地でライブ活動を繰り広げている。最新作はトリオ編成の『Hmmm』。2019年9月、Sony Music Masterworksと契約する。著書に『マンハッタンに陽はまた昇る――60歳から始まる青春グラフィティ』(KADOKAWA)ほか。 ニューヨーク・ブルックリン在住。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ガザ休戦交渉再開、ハマスが修正案 米「相違埋められ

ワールド

中仏首脳、昼食会で親密さアピール 貿易では進展乏し

ビジネス

米テスラのマスク氏、中国で自動運転タクシーの試験提

ワールド

アングル:インドの国内出稼ぎ労働者数億人、「投票か
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:岸田のホンネ
特集:岸田のホンネ
2024年5月14日号(5/ 8発売)

金正恩会談、台湾有事、円安・インフレの出口......岸田首相がニューズウィーク単独取材で語った「次の日本」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    「自然は残酷だ...」動物園でクマがカモの親子を捕食...止めようと叫ぶ子どもたち

  • 3

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 4

    「真の脅威」は中国の大きすぎる「その野心」

  • 5

    いま買うべきは日本株か、アメリカ株か? 4つの「グ…

  • 6

    デモを強制排除した米名門コロンビア大学の無分別...…

  • 7

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 8

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 9

    中国軍機がオーストラリア軍ヘリを妨害 豪国防相「…

  • 10

    イギリスの不法入国者「ルワンダ強制移送計画」に非…

  • 1

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 2

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 3

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 4

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 5

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 6

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 7

    どの顔が好き? 「パートナーに求める性格」が分かる…

  • 8

    ロシアの大規模ウクライナ空爆にNATO軍戦闘機が一斉…

  • 9

    ロシア軍の拠点に、ウクライナ軍FPVドローンが突入..…

  • 10

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

  • 10

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story