コラム

ルーマニアの裏側......映画『ヨーロッパ新世紀』が映し出す政治文化と民族対立

2023年10月12日(木)17時30分

村長は独裁が終わり、平和が訪れたように語るが、村人たちの発言はロマに対する排斥が繰り返されていることを物語るし、平和は危ういバランスの上に成り立っているようにも見える。そこで重要になるのが、前掲書の以下のような記述だ。

514B9HAGDAL._SY466_.jpg

『現代東欧史 多様性への回帰』ジョゼフ・ロスチャイルド  羽場久浘子・水谷驍訳(共同通信社、1999年)


「しかし、権力の集中と特権の構造はチャウシェスクの没落ののちまでしぶとく生き延びた。強制、恐怖、疑惑、不信、離反、分断、超民族主義といった政治文化がルーマニアで克服されるまでには長い時間が必要である。結局のところこうした文化は、半世紀にもおよぶ共産主義支配によってさらに強化される前から、すでにルーマニアの伝統となっていたからである」

本作の登場人物たちのやりとりからは、そんなルーマニアの歴史とそれに対する複雑な感情を垣間見ることができる。

たとえば、フランスのNGOのメンバーに部屋を提供しているルーマニア人の村人は、フランス人にこんなことを語る。フランス人にとっては世界=西欧だろうが、ルーマニアはオスマン、ロシア、ハンガリーなど常に帝国の間で苦しみ、2千年にわたって西欧を守る壁になってきた。また、マティアスは息子に、彼らの祖先がルクセンブルクあたりから700年前にやってきたと説明する。

村に暮らすルーマニア人や少数派にはそうした背景があるが、見逃せないのは、村にやってきたふたりのスリランカ人に対する彼らの反応に違いがあることだ。

スリランカ人労働者と民族間の反応

クリスマス休暇に入って村で開かれたパーティには、スリランカ人も招待される。ドイツ人のマティアスはハンガリー人のグループと行動をともにしているが、スリランカ人の存在を苦々しく思っているのは、そのハンガリー人の仲間たちだ。仲間のひとりは、自分の姉がスリランカ人と踊っていたと知らされ、怒りが込み上げる。そして、それまで話していたルーマニア語が突然、ハンガリー語になって、「このゴキブリめ、痛い目に遭わせてやる」と息巻くのだ。

この場面はひとつのポイントになっている。なぜなら、その後、村人たちに影響を及ぼしていくのは、ネットのコミュニティ・フォーラムだが、そこでも少数派と多数派の反応の違いが露わになっていくからだ。

コミュニティ・フォーラムに、最初に「奴らがやるのは盗みと殺しだけ」、「一人雇えばじき群れになる」、「病気を持ち込む」などのコメントを書き込むのはハンガリー人だ。そして、これに対してルーマニア人から、「差別するのはハンガリー人」、「ハンガリー語学校を閉鎖しよう」、「その2人よりハンガリー人が去れ」といった反応が現れる。

ここで思い出したいのは、先ほどの最初の引用にある「ルーマニア人と少数民族(おもにハンガリー人とロマ)」を「相互に、またそれぞれの内部で反目させる」という部分だ。

地元のパン工場の女性オーナーは、彼女から経営を任されているシーラと同じハンガリー人だ。彼女たちはEUから補助金を得る条件を満たすために、最初は村に求人広告を出していたが、村人はより報酬がいい西欧への出稼ぎを選ぶため、やむなく最低賃金でも働く外国人労働者を雇用した。しかしそれが思わぬ結果を招き、ハンガリー人同士が対立していく。

さらにマティアスも、スリランカ人の雇用を守ろうとするシーラと、彼らを排斥しようとするハンガリー人の仲間との間で、難しい立場に追いやられ、居場所を失っていく。

言語、政治文化、そして葛藤

ムンジウ監督は、言語も含めた緻密な構成や長回しなどを駆使して、表面的な平和に潜んでいる克服し難いルーマニアの政治文化を見事に炙り出している。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米、中国関連企業に土地売却命令 ICBM格納施設に

ビジネス

ENEOSHD、発行済み株式の22.68%上限に自

ビジネス

ノボノルディスク、「ウゴービ」の試験で体重減少効果

ビジネス

豪カンタス航空、7月下旬から上海便運休 需要低迷で
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 2

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少子化の本当の理由【アニメで解説】

  • 3

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 4

    年金だけに頼ると貧困ライン未満の生活に...進む少子…

  • 5

    「ゼレンスキー暗殺計画」はプーチンへの「贈り物」…

  • 6

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    「人の臓器を揚げて食らう」人肉食受刑者らによる最…

  • 9

    ブラッドレー歩兵戦闘車、ロシアT80戦車を撃ち抜く「…

  • 10

    自宅のリフォーム中、床下でショッキングな発見をし…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 4

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 5

    「恋人に会いたい」歌姫テイラー・スウィフト...不必…

  • 6

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 7

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 8

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 9

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 10

    ウクライナ防空の切り札「機関銃ドローン」、米追加…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 7

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 8

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 9

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story