コラム

金利がある世界、過度な楽観は禁物

2024年03月22日(金)20時15分

2000年や2006年の拙速な利上げとは相違点が多い

今回の日銀の政策変更は、日本経済にどう影響するか?わずかでも金利引き上げなのだから、住宅投資など金利敏感セクターにはブレーキがかかり、経済成長を抑制する。「金利上昇で利子所得が増える家計には恩恵」「金利上昇によってゾンビ企業の淘汰が進む」「金融正常化は変革の好機になる」など、金利がある世界が望ましいかのようなメディアの報道は的外れだろう。

一方、当面短期金利はゼロ近傍で推移するが、日本のインフレ期待は2%に向かい今後定着する過程にあるとみられる。いわゆる実質金利でみれば、当面かなりのマイナスのままで推移すると見込まれる。このため、今回の利上げが日本経済を失速させて、デフレリスクを高めるには至らないとみられる。なお、筆者の予想外の動きなのだが、日銀の政策転換はこれまでのところ円高を招いておらず、経済安定にとって朗報である。また、日銀の利上げの失敗ケースと言えば、2000年や2006年などがあるが、当時の拙速な利上げと、今回の利上げでは相違点が多いと筆者は考えている。

明確な賃上げによるインフレ環境の変化が、政策転換をもたらす、という理屈に関して筆者は理解できる。ただ、賃金上昇率を含めてより多くの情報が得られる4月会合まで、判断を待たなかった理由は植田総裁からは聞かれなかった。できるだけ早く金融緩和を止めたかった、という情緒的な植田総裁らの思いが、早期の判断に影響したのだろうか。また、新たに定めたゼロ金利をやめる条件などを日銀は全く明示していない。この曖昧な対応が今後行き過ぎた引締めを招くことになれば、日本株市場などにとってリスク要因になる。

実際には、今後日銀は追加利上げを見据えることになるが、より確かなエビデンスがなければ、利上げに踏み出すのは難しいだろう。24年夏場以降の実質賃金上昇が、個人消費を刺激して需給ギャップがプラス領域に転じ、インフレ圧力が高まることが、次の利上げの条件になるだろう。このハードルは相応に高いため、追加利上げはせいぜい24年末までに訪れるかどうかではないか。

日本が普通の経済状況に戻る通過点の一つ

2024年になって、日経平均株価は1989年のバブル期以来の最高値を更新するなど、日本経済の長期停滞が終わりつつある事を示唆する動きがみられている。かつては、日本は人口減少のおかげで成長停滞が続くため、デフレは避けられないなどの言説も散見され、金融緩和も不十分にしか実現しなかった。実際には、黒田前体制で実現した政策レジーム転換で金融緩和が強化されたことで、デフレはようやく克服されつつある。

デフレ克服に必要な政策手段は役割を終えたと判断する日銀の判断は、長年にわたった日本経済の異常な停滞が終焉しつつあることを意味する。もっとも、異常な状況を是正する対応により必然的に、「金利がある世界」に戻りつつあるというだけで、日本が普通の経済状況に戻る通過点の一つに過ぎない。象徴的な出来事ではあるが、一方的に楽観視するべきではないだろう。

金融緩和は、衰退企業を延命させるよりも、前向きな企業行動を促す大きな効果がある。金融緩和が弱まるネガティブな影響に配慮しながら、日本銀行は拙速かつ行き過ぎた引締めに踏み出さないことが肝要である。今回の政策変更によって、事実上フリーハンドを得た日銀の政策判断が、株式市場の不確実性を高める新たな要因になった、と冷静に認識すべきだろう。

(本稿で示された内容や意見は筆者個人によるもので、所属する機関の見解を示すものではありません)

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プロフィール

村上尚己

アセットマネジメントOne シニアエコノミスト。東京大学経済学部卒業。シンクタンク、証券会社、資産運用会社で国内外の経済・金融市場の分析に20年以上従事。2003年からゴールドマン・サックス証券でエコノミストとして日本経済の予測全般を担当、2008年マネックス証券 チーフエコノミスト、2014年アライアンスバーンスタン マーケットストラテジスト。2019年4月から現職。著書「日本の正しい未来」講談社α新書、など多数。

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