コラム

「代わりの移動手段がないから」だけではない、運転免許を手放せない本当の理由

2021年12月15日(水)21時00分
自動車と日本の高齢男性

免許返納に踏み切れない理由は「代わりの移動手段がないから」だけではない(写真はイメージです) yoshiurara-iStock

<免許証を返納することで病気になってしまうような状態は「クルマ生活習慣病」と言っても過言ではない。そのリスクとは?>

11月に大阪府大阪狭山市のスーパーで89歳の高齢者が暴走事故を引き起こすなど、全国各地で運転操作ミスによる事故が絶えない。

高齢ドライバーがクルマの運転免許の自主返納に応じないことは、家族ひいては社会の悩みの種となっている。クルマに代わる移動手段がないためなのか。他にも原因は考えられる。

警察などの調査によると、自主返納しない高齢者の中には「免許の返納を考えたことがない」と回答する人がいるという。交通事故は以前から大きな社会問題として取り上げられているにもかかわらず、自主返納を考えたことがない高齢者がいるのか。

「ドライバーになる」「ドライバーである」ということに比べて、「ドライバーを卒業する」ことについては、深く考えられてこなかったせいではないだろうか。

この免許返納すなわち「ドライバー卒業」は、単にクルマが運転できなくなり不自由が生じるというだけではない。クルマがステータスで憧れた世代であればあるほど、「大人ではなくなる」「人の面倒になる」など自尊心が損なわれるため、受け入れ難いものであるようだ。

また運転免許をひとたび取得すると、定期的に更新しさえすれば一生涯クルマに乗れるものと思っている人も多いだろう。しかし長寿・高齢化時代の到来とともに、高齢者による事故が増え、免許返納の必要性が叫ばれるようになった。免許返納は生活を一変させてしまうだけに受け入れられない人が多いのも不思議ではない。

免許更新の矛盾

社会の仕組みを見ても、クルマを運転する許可を与えることと、交通ルールを守る厳しい仕組みはある。しかし、許可を得た後は、誕生日が近くなると知らせがくる、免許更新のために、警察署に行って講習を受けることはあるものの、クルマの運転スキル診断や、それをもとに運転を見直したり、いつドライバーを卒業するのか、卒業した後の移動手段や生活はどうするのかを念頭に置いたプログラムがない。運転スキルの見直しや、道路のヒヤリハット*1は自分で行う必要があり、それをしているのは職業ドライバーくらいではないだろうか。

家族から免許返納を勧められる高齢ドライバーの中には、免許更新ができた人もいる。しかし、家族や周囲は不安で、運転してほしくないと思う。運転可否を判断する公的で定量的な物差しがないのが現状だ。感情的に「あなたの運転は危ない!」と伝えても説得力はなく、口論にもなりかねない。

免許返納は本人の意思で行うものであり、「自分の運転は危ない」「もう年だから返納しよう」といった自覚がないかぎり、前向きな免許返納は難しい。

────────────────
*1 大きな事故を起こしそうな場所を発見すること

プロフィール

楠田悦子

モビリティジャーナリスト。自動車新聞社モビリティビジネス専門誌『LIGARE』初代編集長を経て、2013年に独立。国土交通省の「自転車の活用推進に向けた有識者会議」、「交通政策審議会交通体系分科会第15回地域公共交通部会」、「MaaS関連データ検討会」、SIP第2期自動運転(システムとサービスの拡張)ピアレビュー委員会などの委員を歴任。心豊かな暮らしと社会のための、移動手段・サービスの高度化・多様化とその環境について考える活動を行っている。共著『最新 図解で早わかり MaaSがまるごとわかる本』(ソーテック社)、編著『「移動貧困社会」からの脱却 −免許返納問題で生まれる新たなモビリティ・マーケット』(時事通信社)、単著に『60分でわかる! MaaS モビリティ革命』(技術評論社)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

上海市政府、データ海外移転で迅速化対象リスト作成 

ビジネス

中国平安保険、HSBC株の保有継続へ=関係筋

ワールド

北朝鮮が短距離ミサイルを発射、日本のEEZ内への飛

ビジネス

株式・債券ファンド、いずれも約120億ドル流入=B
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 2

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた異常」...「極めて重要な発見」とは?

  • 3

    存在するはずのない系外惑星「ハルラ」をめぐる謎、さらに深まる

  • 4

    羽田空港衝突事故で「日航の奇跡」を可能にした、奇…

  • 5

    「円安を憂う声」は早晩消えていく

  • 6

    老化した脳、わずか半年の有酸素運動で若返る=「脳…

  • 7

    アメリカはどうでもよい...弾薬の供与停止も「進撃の…

  • 8

    共同親権法制を実施するうえでの2つの留意点

  • 9

    日鉄のUSスチール買収、米が承認の可能性「ゼロ」─…

  • 10

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 1

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 2

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 5

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 6

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 7

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 10

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story