コラム

危機下のウクライナに「ヘルメット5000個」 武器提供を拒むドイツの苦悩

2022年01月29日(土)08時55分

悩ましいのは経済問題だけではない。前述したように、この問題にはたいへん複雑な歴史問題がからんでいる。

第二次世界大戦の際、ナチス第三帝国は、ソ連に侵攻した。独ソ戦と呼ばれている。今はウクライナは独立国で、ロシアとウクライナは別の国だが、当時はソ連という一つの国で、軍隊はソ連「赤軍」と呼ばれていた。

あまり日本では知られていないが、ウクライナのキエフ近郊では、1941年に大戦闘が行われた。第三帝国軍に包囲されて、ソ連赤軍は、南西方面の軍隊が消滅するほどの犠牲を払った。ソ連軍の死傷者は約80万人と言われている。

そんな歴史に言及して、ドイツ外相のベーアボック氏は、ウクライナに武器を輸出するのを拒否したのだった。

旧ソ連人(ウクライナ人・ロシア人の両方)の殺害に使われるような兵器を渡すことは、ドイツ人には受け入れがたい。第二次大戦の「過ち」を繰り返すことになるし、76年かけて築いてきた信頼関係や、悪評の撤回の努力を壊し、歴史問題を再燃させることになりかねないからだ。

駐英ウクライナ大使のプリスタイコ氏は、Sky Newsで、あの時代にドイツが「私たちの土地で行ったこと」を、ウクライナ人は「まだ覚えている」と述べたという。

二つの内容は矛盾をはらんでいる。

「あなた方は、かつて我々の土地を侵略した。我々の土地で戦争を起こし、兵士だけではなく、一般市民にも多くの犠牲者を出した。だから二度と来るな、人殺しの武器など送るな」ならわかりやすい。しかし、現実はそのように単純ではない。

一方では、歴史の記憶のために、ドイツからの武器援助を歓迎したくない気持ちがある。しかしもう一方では、今はもう友人なのだから送るべきだ、なぜ我々を助けないのだ、と主張する。ウクライナ人の苦しみと懊悩が伝わってきて、胸が痛む。

大変重要な地位にあるウクライナの駐ドイツ大使、メルニク氏は「この責任は、ウクライナの人々に向けられるべきものだ。ナチスの占領下で、少なくとも800万人のウクライナ人の命が失われたのだ」と言っている。つまり、ドイツは過去に犠牲者を出した責任を考えて、今度は助けるべきだと主張しているのだろう。

(ちなみに、日本人の第二次大戦の死者数は、兵士と一般市民を合わせて310万人以上と、63年に厚生省は発表している)。

もし日本の近隣で有事が起きたら──と考えずにはいられない。同じことが起きるのではないだろうか。

プロフィール

今井佐緒里

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出合い、EUが変えゆく世界、平等と自由。社会・文化・国際関係等を中心に執筆。ソルボンヌ大学(Paris 3)大学院国際関係・ヨーロッパ研究学院修士号取得。日本EU学会、日仏政治学会会員。編著に「ニッポンの評判 世界17カ国最新レポート」(新潮社)、欧州の章編著に「世界が感嘆する日本人~海外メディアが報じた大震災後のニッポン」「世界で広がる脱原発」(宝島社)、連載「マリアンヌ時評」(フランス・ニュースダイジェスト)等。フランス政府組織で通訳。早稲田大学哲学科卒。出版社の編集者出身。 仏英語翻訳。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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