コラム

東京は「われ歩く、ゆえにわれあり」/My Toe in Tokyo

2010年02月15日(月)11時30分

今週のコラムニスト:マイケル・プロンコ

 数週間前、自宅の廊下で本棚にしこたま足をぶつけた。まず足の薬指と小指が、その後は足首全体が青から紫、そして緑色へと変わっていった。

 グーグルで調べた治療法に従って患部を冷やし、痛み止めを飲んで足を高く上げてみたが、試験の監督をしなければならない数日後になっても痛みは一向にひかなかった。

 そのためつま先をテーピングし、痛み止めを飲んで大学に向かうことにした。そしてこの日から、私の東京との接し方が180度変わった。

 日本の偉大な映画監督である小津安二郎は、畳すれすれの低いカメラアングルから東京の人々の暮らしを見つめたことで有名だが、私の目線はそれよりもさらに低く、まさに地面からのものになった。つま先の目線で見つめると、これまで見えていたのとはまったく別の東京が見えてきた。

 まず気になったのは地面だ。東京はお世辞にも、平らで滑らかとは言えない。歩道はデコボコで階段の高さは不規則だし、床は滑りやすい。そしてこうした危険がいちいち、私のつま先に牙をむく。小さな出っ張りの1つ1つに敏感になった。目の不自由な人のためにある黄色い誘導ブロックも今や脅威となり、横切るたびに足が悲鳴を上げた。

アメリカの都市は車中心のつくりになっているが、東京はほぼ完全に足で歩くことを中心に設計されている。東京では無数の足が通りを闊歩し、そのすべてが突如として私を脅かす存在に変わった。何千もの足のうちどれが私の敏感なつま先に襲いかかってくるか、分かったものではない。私は一番痛みの強い右足の薬指をかばって、人混みからじりじり遠ざかりながら歩いた。

ハイヒールを履いた女性も、もはやセクシーには思えない。ヒールが小さな竹刀のように見えてくる。私はずっと下を向き、周囲の人の靴の硬さや、彼らの足と自分の足との距離を確認してばかりいた。

怖くてありがたい満員電車

 ある日、そんな私に試練が訪れた。いつも乗るJRの中央線が遅れていたのだ。それは、その後に到着する何本かの電車がいつもの3倍混雑することを意味する。つま先に爆弾を抱える私にとって、危険も3倍に増えるということだ。

 私は我慢して、次の電車を見送った。だがその後の2本も混雑していたため、思い切って勝負に出ることにして電車に乗り込んだ。扉が閉まった瞬間に気付いたのは、痛む方の足をフラミンゴのように折りたたんで立っていても、満員電車なら周りにいる人たちが私の体をしっかりと支えていてくれるということだ。このときばかりは、混雑がありがたかった。

 その週は、かわいい女の子が通りかかったときだけは露骨に足を引きずらないようにしたものの、その他のときは酔っ払いのように手すりにしがみついて歩いた。曲がり角では十分なスペースを取って辺りを見回し、右足が往来に巻き込まれないように気を配り、目は常にエスカレーターやエレベーターを探していた。

 右足を軸に体を回転させるなんてとても無理だったから、正面から来る人を器用によけるなんていう芸当はできず、何度も足を止めなければならなかった。

 これまでは周囲の人の流れに合わせて動く、という東京ならではのスキルを習得していた私は、つま先をけがしたことで突然、東京の「流れの一部」から「ふさわしくない障害物」に変わった。人混みの中をフランケンシュタインのようにヨロヨロ歩きながら、東京が人間の足の26本の骨にどれだけ負担をかける街かということばかり考えていた。

スローペースも悪くない

 今なら、なぜ東京にはコンビニよりも靴屋の方が多いのかがよく分かる。自分の足にぴったりの靴を見つけることは、東京を自分の意のままに歩き回ることができるということを意味する。逆にぴったりの靴がないと、ここでは自分の望むようには暮らせない。東京では「われ歩く、ゆえにわれあり」なのだ。

 とはいえ、歩くペースを落としたことで、まったく新しい東京を発見したことは大きい。スローなペースで進む東京だ。これまで私が早足で通り抜けていた道を、お年寄りがのんびり歩いている。急ぐことなく、周囲を眺めながらぶらぶら歩いている人もいる。

 これまでは、ラッシュ時以外の電車に乗る生活があることに気付かなかった。11時32分発の急行電車に乗ると、空席もあった。それほど急いでいない東京人は大勢いる。これまで常に急いでいたために、東京のスローペースな一面が見えていなかったように思う。

 足の痛みはひいてきたが、また速いペースの東京に戻るべきか迷っている。スローペースの東京もなかなか良いものだ。まだ時々、地面の小さな出っ張りに足が悲鳴を上げることもあるが、東京を普段と違う目線から見られるし、この街をもっと深く感じることができる。
 
 


 

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

世界秩序は変化「断絶ではない」、ECB総裁が加首相

ビジネス

シティ、3月も人員削減へ 1月の1000人削減後=

ビジネス

ユーロ圏総合PMI、1月速報値51.5で横ばい 価

ビジネス

グリーン英中銀委員、インフレ圧力や賃金上昇指標を依
MAGAZINE
特集:「外国人問題」徹底研究
特集:「外国人問題」徹底研究
2026年1月27日号(1/20発売)

日本の「外国人問題」は事実か錯誤か? 7つの争点を国際比較で大激論

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡張に新たな対抗手段
  • 2
    データが示す、中国の「絶望的な」人口動態...現実味を帯びる「超高齢化」による「中国社会崩壊」
  • 3
    ラブロフ、グリーンランドは‌デンマーク​の「自然な一部」ではないと指摘
  • 4
    防衛省が「新SSM」の映像を公開、ノルウェー・コング…
  • 5
    【銘柄】「古河機械金属」の株価が上昇中...中国のレ…
  • 6
    40代からは「積立の考え方」を変えるべき理由──資産…
  • 7
    コンビニで働く外国人は「超優秀」...他国と比べて優…
  • 8
    老化の9割は自分で防げる...糖質と結び付く老化物質…
  • 9
    宇宙人の存在「開示」がもたらす金融黙示録──英中銀…
  • 10
    湿疹がずっと直らなかった女性、病院で告げられた「…
  • 1
    防衛省が「新SSM」の映像を公開、ノルウェー・コングスベルグ社のNSMにも似ているが...
  • 2
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡張に新たな対抗手段
  • 3
    【銘柄】「古河機械金属」の株価が上昇中...中国のレアアース規制で資金が流れ込む3社とは?
  • 4
    ピラミッドよりも昔なのに...湖底で見つかった古代の…
  • 5
    ニュージーランドの深海に棲む、300年以上生きている…
  • 6
    ラブロフ、グリーンランドは‌デンマーク​の「自然な…
  • 7
    完全に「ホクロ」かと...医師も見逃した「皮膚がん」…
  • 8
    韓国『日本人無料』の光と影 ── 日韓首脳が「未来志向…
  • 9
    データが示す、中国の「絶望的な」人口動態...現実味…
  • 10
    【銘柄】「住友金属鉱山」の株価が急上昇...銅の高騰…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?【2025年の話題クイズ5選】
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    中国製防空レーダーは米軍のベネズエラ攻撃に屈した─…
  • 5
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 6
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?【202…
  • 7
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 8
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 9
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」は…
  • 10
    前進するロシア、忍び寄る限界...勝者に見えるプーチ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story