コラム

子ども手当はすべて「現物支給」で

2010年05月13日(木)12時51分

 財政が危機に直面する中、2011年度予算で子ども手当5兆円を満額支給するかどうかで、民主党がゆれている。民主党の国民生活研究会は、現金給付は2010年度と同じく月額1万3000円とし、残りは保育所の整備など、教育・子育てに関する「現物支給」にするという案を提言したが、長妻厚生労働相は「全額現金が望ましい」と主張し、まだ結論が出ない。

 これは「財源不足で福祉予算をケチった」と受け止められがちだが、保育行政を考え直すいい機会である。以前にも私が「アゴラ」に書いたように、日本の保育所は、国と都道府県と市町村から三重に補助を受け、児童受け入れの優先順位も保育料も所得(納税額)で決まるため、所得を捕捉しにくい自営業者の子供に片寄るなど、問題が多い。

 このように社会主義的に運営されているため効率が悪く、地域別に割り当てが決められているため、都市部では人口増に保育所が追いつかない。保育所に申し込んで入れない「待機児童」は全国で2万人以上いるが、潜在的には80万人とも推定されている。このように不足や行列が慢性的に続くのは市場経済ではありえないことで、日本の福祉行政が社会主義で運営されていることを示している。

 これを解決する方法としては、イギリスや韓国などで実施されている保育バウチャーを支給すればよい。これは一定の基準を満たす保育所はすべて認可し、公立・私立を問わずその保育料を政府の支給する切符(バウチャー)で払うものだ。これによって保護者は、子供に最適の保育所を選ぶことができ、私立保育所への投資が増え、待機児童が解消されることが期待できる。子ども手当は、全額バウチャーで現物支給することが望ましい。

 さらに本質的な問題は、幼稚園と保育所がバラバラに設置され、所管も文部科学省と厚生労働省にわかれて、幼児教育についての体系的な政策がないことである。日本の教育に対する政府支出は小学校以降に片寄っており、幼児期にはきわめて少ない。民主党の子ども手当も、こうした幼児期の福祉支出を他の先進国なみにするというのが理由だが、これは問題を取り違えている。

 欧米諸国が幼児教育に力を入れるようになったのは、アメリカで1960年代に行なわれた「ペリー就学前実験」の影響が大きいといわれる。これは貧しい家庭の子供が幼児教育を受けた場合と受けなかった場合の学力や職歴を追跡した調査で、幼児教育を受けたグループのほうがはるかに成績がよかった。その後の同様の研究でも、教育投資の効果は幼児期が最大で、年をとるほど低くなることがわかっている。

 こうした調査結果を受けて、OECD諸国では「人的資本への投資の効率化」として幼児教育への政府支出を増やしてきた。それは労働生産性を高めるとともに女性の就労を支援して成長率を高め、貧困を減らして社会保障支出も節約できるからだ。たとえばイギリスでは1997年から10年間に幼児教育への公的支出を倍増し、義務教育を5歳からにした。アメリカでも、オバマ大統領が幼児教育を政府支出の重点にあげている。

 こうした中で、日本の子ども手当の無原則ぶりは際立っている。問題は親にいくらばらまくかではなく、幼児をいかに育てるかである。幼児教育は親のための「保育」ではなく、子供のための教育なのだから、保育所は幼稚園に統合して文科省が所管することが合理的だ。これまで日本では、専業主婦が育児を行なうことを前提としてきたため、例外的な働く女性を援助する制度として保育所が設けられてきたが、今後の人口減少時代には、女性が働くことを前提にして「社会で子供を育てる」という発想の転換が必要である。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

スポット銀が最高値更新、初めて80ドル突破

ビジネス

先行きの利上げペース、「数カ月に一回」の声も=日銀

ワールド

米大統領とイスラエル首相、ガザ計画の次の段階を協議

ワールド

中国軍、30日に台湾周辺で実弾射撃訓練 戦闘即応態
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 2
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と考える人が知らない事実
  • 3
    【銘柄】子会社が起訴された東京エレクトロン...それでも株価が下がらない理由と、1月に強い秘密
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 6
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」と…
  • 7
    「アニメである必要があった...」映画『この世界の片…
  • 8
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 9
    2026年、トランプは最大の政治的試練に直面する
  • 10
    素粒子では「宇宙の根源」に迫れない...理論物理学者…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 6
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 7
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 8
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 10
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story