コラム

iPadはインターネットを「マルチメディア」に引き戻すのか

2010年04月15日(木)19時29分

 4月初め、アメリカでアップルのタブレット端末、iPadが発売された。発売後1週間で50万台を超える予想以上の売れ行きで、日本版の発売は5月に延期された。私もアメリカ版を借りて、使ってみた。世の中では、アマゾンのKindleに対抗する読書端末とみられているが、私の印象では、iPadは昔いろいろな大企業が試みて失敗した「マルチメディア」端末のような感じがする。

 1990年代には、IBMからNTTに至るまでほとんどのIT企業が「ビデオ・オンデマンド」などのマルチメディアに巨額の投資をしたが、すべて失敗に終わった。世界を変えたのは、どこの企業も投資しなかったボランティアによる通信網、インターネットだった。初期のインターネットは、ビデオ・オンデマンドとは比較にならい貧弱な画面だったが、その自由さによって多くのユーザーが参加し、彼らが無数のウェブサイトをつくり、マルチメディアをはるかに超えるメディアになった。

 しかしアップルは、自律分散のインターネットを徐々に自社中心のマルチメディアに変えようとしている。iTunes Storeの音楽はiPodでしか聞けないし、iPhoneでソフトウェアを配布するにはアップルの「許可」が必要で、30%の手数料を取られる。画像を表示するアドビのソフトウェア「フラッシュ」は、なぜか使えない。今月あらたに発表されたiAdというシステムは、コンテンツの広告収入の40%をアップルが取るしくみだ。

 これって要するに、昔の大型コンピュータや電話交換機によってユーザーがコントロールされるマルチメディアの世界じゃないのだろうか? もちろんスティーブ・ジョブズは「こうした課金システムは、クリエイターが報酬を得てより多くの作品を創造するための道具だ」と説明しているが、それを額面どおり信じる人はいないだろう。

 アップルは、かつてマッキントッシュでこうした閉鎖的な方針をとり、オープンなIBM-PCに敗れた。マイクロソフトは世界中のコンピュータ・メーカーにOSを供給して世界最大のIT企業になったが、マッキントッシュはアップルのハードウェアでしか使えないため、少数派になって高価になり、それによってさらに少数派になる・・・という悪循環に入った。アップル社は経営破綻の危機に瀕して、ジョブズはアップルを追放された。

 それ以来、閉鎖的なマルチメディアは嘲笑の的で、オープンなインターネットに未来がある、と多くのユーザーが信じてきた。「邪悪になるな!」というグーグルの社訓は、つねにシステムをオープンにして独占利潤を追求するな、ということだ。その流れは、ついに邪悪なジョブズのマルチメディアに敗れるのだろうか?

 結論を出すのは、まだ早い。マイクロソフトはスマートフォン(超小型PC)を発表し、グーグルは第2四半期にオープンな無料OSによるタブレット端末を出すといわれている。そのインターフェースも、iPadとほとんど同じタッチパネルだ。タブレット市場は、まだ立ち上がったばかりで、勝者はわからない。iPadのハードウェアは単純なもので、日本メーカーだって作れる。

 ただ、かつてと違うのは、タブレットはPCのような「事務機」ではなく、ソファに座って使う「遊び道具」だということだ。この世界で勝負を決めるのは、処理速度や記憶容量ではなく"cool"(イケてる)かどうかである。iPadは、間違いなくcoolだ。これを超えるものをつくるために必要なのは、ものづくり能力ではなく芸術的センスである。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

アングル:トランプ氏なら強制送還急拡大か、AI技術

ビジネス

アングル:ノンアル市場で「金メダル」、コロナビール

ビジネス

為替に関する既存のコミットメントを再確認=G20で

ビジネス

米国株式市場=上昇、大型ハイテク株に買い戻し 利下
MAGAZINE
特集:トランプ暗殺未遂
特集:トランプ暗殺未遂
2024年7月30日号(7/23発売)

前アメリカ大統領をかすめた銃弾が11月の大統領選挙と次の世界秩序に与えた衝撃

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「習慣化の鬼」の朝日新聞記者が独学を続けられる理由【勉強法】
  • 2
    BTS・BLACKPINK不在でK-POPは冬の時代へ? アルバム販売が失速、株価半落の大手事務所も
  • 3
    【夏休み】お金を使わないのに、時間をつぶせる! 子どもの楽しい遊びアイデア5選
  • 4
    キャサリン妃の「目が泳ぐ」...ジル・バイデン大統領…
  • 5
    地球上の点で発生したCO2が、束になり成長して気象に…
  • 6
    カマラ・ハリスがトランプにとって手ごわい敵である5…
  • 7
    トランプ再選で円高は進むか?
  • 8
    拡散中のハリス副大統領「ぎこちないスピーチ映像」…
  • 9
    中国の「オーバーツーリズム」は桁違い...「万里の長…
  • 10
    「轟く爆音」と立ち上る黒煙...ロシア大規模製油所に…
  • 1
    正式指名されたトランプでも...カメラが捉えた妻メラニアにキス「避けられる」瞬間 直前には手を取り合う姿も
  • 2
    すぐ消えると思ってた...「遊び」で子供にタトゥーを入れてしまった母親の後悔 「息子は毎晩お風呂で...」
  • 3
    月に置き去りにされた数千匹の最強生物「クマムシ」、今も生きている可能性
  • 4
    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…
  • 5
    「習慣化の鬼」の朝日新聞記者が独学を続けられる理…
  • 6
    【夏休み】お金を使わないのに、時間をつぶせる! 子…
  • 7
    ブータン国王一家のモンゴル休暇が「私服姿で珍しい…
  • 8
    「失った戦車は3000台超」ロシアの戦車枯渇、旧ソ連…
  • 9
    「宇宙で最もひどい場所」はここ
  • 10
    ウクライナ南部ヘルソン、「ロシア軍陣地」を襲った…
  • 1
    中国を捨てる富裕層が世界一で過去最多、3位はインド、意外な2位は?
  • 2
    ウクライナ南部ヘルソン、「ロシア軍陣地」を襲った猛烈な「森林火災」の炎...逃げ惑う兵士たちの映像
  • 3
    ウクライナ水上ドローン、ロシア国内の「黒海艦隊」基地に突撃...猛烈な「迎撃」受ける緊迫「海戦」映像
  • 4
    ブータン国王一家のモンゴル休暇が「私服姿で珍しい…
  • 5
    正式指名されたトランプでも...カメラが捉えた妻メラ…
  • 6
    韓国が「佐渡の金山」の世界遺産登録に騒がない訳
  • 7
    すぐ消えると思ってた...「遊び」で子供にタトゥーを…
  • 8
    月に置き去りにされた数千匹の最強生物「クマムシ」…
  • 9
    メーガン妃が「王妃」として描かれる...波紋を呼ぶ「…
  • 10
    「どちらが王妃?」...カミラ王妃の妹が「そっくり過…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story