コラム

30秒以内に検知...受精卵で父親由来のミトコンドリアが「消される」仕組みが明らかに

2024年03月08日(金)21時30分

一方、IKKE-1の構造は、哺乳類において機能が低下した不良ミトコンドリアをオートファジーで除去する際に働く「TBK1/IKKε」というタンパク質によく似ています。今回の実験では、線虫ではIKKE-1の遺伝子が欠けていると、ALLO-1bの集まり方が弱くなり、オートファジーが正常に起こらないことも明らかになりました。

つまり、線虫ではALLO-1bがまず父性ミトコンドリアを識別し、さらにIKKE-1の働きによって父性ミトコンドリア周囲に一定レベル以上のALLO-1bが集まることで、オートファジーが開始されることが示唆されました。

これらの結果から、研究チームは父性ミトコンドリアにはALLO-1bで識別される母性ミトコンドリアとは違う目印が付いている可能性に注目しており、今後はこの目印を解明することでミトコンドリアの母性遺伝の仕組みに迫れるのではないかと考察しています。

さらに、IKKE-1のアロファジーにおける役割とTBK1/IKKεとの類似性から、父性ミトコンドリアの除去におけるオートファジーの仕組みは、哺乳類での不良ミトコンドリア除去の仕組みに類似していると予測しています。

ミトコンドリアの機能が低下すると、エネルギーを供給できなくなるために、脳、心臓、骨格筋といった身体でもとくに多くのエネルギーが必要である器官に異常が生じて、重篤な疾患(ミトコンドリア病)につながることが知られています。

本研究は、母性遺伝の謎の解明だけでなく、不良ミトコンドリアを除去し正常に保つ仕組みの解明にもつながることが期待されます。

ちなみに線虫では、オートファジーが正常に起こらない場合、父性ミトコンドリアは幼虫期頃まで分解されずに残りますが、分裂も融合も増殖もせずに当初の形を保つと言います。つまり、残っていても成長にはほとんど影響しないようです。

さらに他の生物種のミトコンドリアDNAの研究から、父親由来のミトコンドリアDNAを除去するためのメカニズムはオートファジー以外にもいくつか存在することが分かっています。たとえば、ショウジョウバエでは、精子形成時にミトコンドリアDNAが分解されて消失します。マウスでは、精子形成過程でミトコンドリアDNAの減少が起きるとともに、受精後に分解されるための目印(ユビキチン)が付加されます。

生物はなぜ多様な手段を使って、何重にも保険をかけて、頑なにミトコンドリアDNAの母性(片親)遺伝を保とうとしているのでしょうか。科学研究では、謎が一つ解明されると新たな謎が生まれます。次は、一歩進んだどのような新しい知見が得られるのか楽しみですね。

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プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト/博士(理学)・獣医師。東京生まれ。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第 24 回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)など。

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