ウィリアム王子のヒーロー、ナチスからユダヤ人家族を守ったプリンセス・アリスの物語
プリンセス・アリスは、曾祖母であるビクトリア女王が見守る中、1885年にウィンザー城で生まれた。父親はドイツ王族のプリンス・ルイ、母親はビクトリア・マウントバッテン。8歳のときに難聴と診断され、読唇術を学んだ。
1902年、いとこであるエドワード7世の戴冠式で、アリスはギリシャのアンドレアス王子と出会い、恋に落ちた。彼らは翌年に結婚、アリスはギリシャおよびデンマーク王家のアンドレアス王子妃となる。ウィリアム王子の祖父であるエジンバラ公フィリップ王配を含む、5人の子どもに恵まれた。
(1921年、エリザベス女王の伴侶となるフィリップ王配を抱くアリス)A portrait of Prince Philip when a baby in the arms of his mother, Princess Alice of Battenberg, Princess of Greece, from 1921, the year of his birth.#HappyBirthdayHRH pic.twitter.com/aN8YbjQ0W1
— Alex David (@alexdavidwriter) 2018年6月10日
しかし1919〜22年、トルコとの間に起きた希土戦争での軍事的失敗を非難され、夫がフランスに亡命。それと同時にアリスの結婚生活も終わりを迎えた。
アリスは心を痛め、1930年からスイスの精神医療機関で統合失調症の治療を受けることとなり、家族と離ればなれになった。彼女の息子であるフィリップ王配は、叔父であるルイス・マウントバッテンとジョージ・マウントバッテンと暮らすためイギリスに移る。3人の娘はみなドイツの王子と結婚したが、アリスが結婚式に出席することはなかった。
戦争の暗い影
アリスはそれから、ギリシャで貧しい人々のために働いた。ヨーロッパでの反ユダヤ派が日に日に勢力を強める最中、旧友でありギリシャ議会のユダヤ人メンバーのハイマキ・コーエン、彼の妻であるレイチェル、彼らの家族と再会する。その際、必要があれば、どんな時でもコーエン一家の助けになる、と約束をした。
ドイツによりギリシャのユダヤ人が一斉に検挙されていた1943年、未亡人となっていたレイチェルは、アリスに助けを求めた。アリスはレイチェルと彼女の娘のティルダ、息子のマイケルを自分の小さなアパートに匿う。そこはゲシュタポオフィスの目と鼻の先であったため、非常に危険な行動だった。アリスは別の場所でヘルパーとして働きながら、ほんの少数の人だけを信頼してコーエン一家の面倒を見た。
当時、一部の人はアリスはドイツ寄りであると考えていたそうだ。しかし、ある将校が「あなたのためにできることはありますか?」と尋ねた際、彼女はこう答えた。「私の国からドイツ軍を撤退させてほしいわ」。
(若き日のアリス。優しさを行動に移せる女性だった)Princess Alice of Battenberg, Prince Philip's mother, was born #OnThisDay at #Windsor Castle in 1885. #royal pic.twitter.com/BpC6LMkrxF
— Alex David (@alexdavidwriter) 2017年2月25日