生成AIで記事も動画も作れる今の時代に、記者としてすごく悩んでいること

TADA IMAGES/SHUTTERSTOCK
<生成AIの能力はどんどん進化しているが、倫理を無視したサービスやモノは「イノベーション」ではなく「退行」では?>
およそ半年前から新しい書籍を執筆しながら、すごく悩んでいることがある。どう書けば生成AIではなく、自分の手と頭を使って書いた本であることが読者に当然のこととして伝わるか、という悩みだ。
おかしな悩みだと思われるかもしれないが、おそらく私だけでなく、ほかの小説家やエッセイストも自分の書き方について改めて考えているはずだ。技術の観点からみれば生成AIの能力はすごいが、私はそれよりも問題点のほうを強く感じる。
既にアマゾンなどでは生成AIで書かれた電子書籍が販売されている。誰でも数分や数時間で簡単に、チャットGPTやほかの生成AIサービスを使って数百ページの本を書くことができる。
生成AIの書く能力も段々進化し、どの本でも「誰が書いたのか」と読者が疑いを持つようになるのは確実だ。
私は小説も含めていくつかの書籍を出版している。今後は、自分にしか書けないことを書くのがますますキーポイントになるが、そういうものがあるのか。
あるとすれば、それは個人で経験したことしかない。今まで「私」という単語を文章で使いすぎるのは良くないと思っていたが、これからは最も重要な単語になるかもしれない。
記者としても生成AIの怖さを肌で感じている。記事や動画、写真、音声も全て生成AIで作れる時代になり、「本物なのか」といった疑いが必ず生まれる。現場に行った取材の証拠を視聴者や読者、リスナーに見せることが不可欠になるし、新しい報道の仕方を想像・創造すべきだろう。
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